谷村新司さんの訃報をスマホのニュース通知で知りました。亡くなられたのは10月6日、享年73歳とのこと。「アリス」のツアー延期は知っていましたが、きっとその内と復帰されるだろうと思っていたので、驚いています。
お悔やみ申し上げます。
私にとって思い入れのある谷村新司さんの歌(ソロ曲以外も含む)を7つまとめてみました。発表順に並べています。
谷村新司さんの歌7選
ジョニーの子守唄(1978年6月)
歌がリリースされた頃は、あまり意識していませんでした。
私が退職して音沙汰が途絶えてしまった頃、昔の仲間から、「元気にしてる?」と気遣ってくれたメールが届きました。
その時の返事に歌詞を借りて「(体調はまだ十分ではないけれど)まだ、少しは燃えているよ」、「風の噂程度でも伝わってくれたら幸い」的に返すと、すぐ「『ジョニーの子守歌』を口ずさめるなら安心」的に指摘されたことがあります。
風の噂で聞いたけど 君はまだ燃えていると
オーオー、ジョニー それだけが
オー、ジョニー ただ嬉しくて
歌を媒介にして伝えたかったことが伝わった安堵がありました。
いい日旅立ち(1978年11月)
山口百恵さんの歌として、国鉄の「いい日旅立ち」キャンペーンに使われ、広く浸透しました。出発や到着の際、駅でこのメロディーをよく聞いたものです。また「いい日旅立ち」、「日本のどこかに私を待っている人がいる」等の歌詞が、三浦友和への思いと重なる風にもとれるところも効果絶大。私も旅先で会う人に思いを馳せながらメロディーを聞いていました。
チャンピオン(1978年12月)
ボクシングの歌でこれを超えるものは未だないと思います。
リングの上で若い挑戦者に追い詰められる年老いたチャンピオン。チャンピオンの足跡を知る者の視線で、その悲哀を歌っています。
一度は倒れた彼を立ち上がれと鼓舞しますが、再び倒れたときには彼が戦いから解放される、救われるよう神に願うのです。
帰れるんだ これでただの男に
帰れるんだ これで 帰れるんだ オー
ただの男に帰ったその後、どうするのかには触れていないのですが、ただの男になった後も別の場でやりたいことがあるのだと思ってしまうのは私だけでしょうか。
秋止符(1979年12月)
これも発表当時はあまり気に留めていなかったのですが、大学で失恋をしたときに、胸に刺さった歌です。
左利きのあなたの手紙
右手でなぞって真似てみる
私のケースと比べると、男女が入れ替わっているし、彼女も私も左利きではなかったのですが、当時はメールも無く携帯も無く、きちんと思いを伝えるには手紙が多かったのです。手紙にはメールや電話とは違う時間的なズレや距離感があります。何通も残された手紙を読み返すと、もらった時とは違うこともたくさん思い出されました。
いくら書いても埋めつくせない
白紙の行が そこにある
ほんとに、白紙の行が長く長くあるのです。この歌詞は強烈でした。
昴(1980年4月)
大学のコンパ(懐かしい言葉!)の2次会はカラオケになることが多かったですが、そこで私がよく歌った歌です。お世辞にも上手とは言えない私の歌唱力で、当時の学生に人気のあった歌を選ぶ勇気はありません。かといって、演歌だと趣味から離れすぎだなと、そんな思いで選んでいました。
「めがねが曇った。何も見えぬ。余計に悲しい。」
これは卒業の際に残した言葉。『昴』の歌詞をヒントにした物でした。
群青(1981年7月)
高校時代に観た映画『連合艦隊』の主題歌が『群青』です。
公開後、ずいぶん後に知ったことですが、戦争を扱う作品の歌の依頼を谷村新司は一度断ったそうです。それでも、強く説得され、戦争によって子を亡くした遺族への鎮魂歌的な内容にしたとのこと。
歌については、今なお複雑な思いがあります。
うまく、消化できずに引っかかり続けています。
ただ、冬薔薇と書いて「ふゆそうび」。冬に咲く薔薇があるとは、この歌で知りました。
クラシック -CLASSIC-(1986年11月)
この歌は、奥田瑛二と谷村新司のデュオでリリースされた歌です。知っている人は少ないと思います。私も、就職後、友人から教えられるまで知りませんでした。私と友人の大学時代を予言していたかのような歌詞には驚かされました。
あの頃 あんたは妙に冷めて暮らしてた
あの頃 おまえは甘い夢ばかり話してた
さめていたのは、また甘い夢を見ていたのは、私なのか友人なのか定かではありません。でも二人とも、一方が冷めている風にな事に対して、もう一方は甘い夢を見ていた気もします。
歌の最後は
古いタイプの男さ 思い出失くしてまで生きたくない
ですが、これも、複雑な思いが残ります。
「思い出を捨ててでも生きたい」と反発を憶えつつも、「思い出を失くして生きられるのか」と自問すると、う~~~ん、と悩んでしまうのです。
歌を知った当時と比べ、このブログの影響でしょうか、「思い出を全て失くして、自分らしくいられるのか」という疑問も持つようになりました。
谷村新司さんの歌のイメージ
7つの歌を選びましたが、改めて見ると、どれも何かしらの「区切り」を意味する歌であると気づきました。その中で、『群青』だけが異色で、他の歌は「区切り」はあれど、幾分かでも前を向くイメージがあります。
『群青』はそこに留まるイメージです。これと似た歌はないかと思い返すと、『帰らざる日々』も終わる歌として同類に含まれそうです。
谷村新司さんの全部の歌を知っているわけでは無いので、浅い考察にしかなりませんが、彼の多くの歌は人生の区切りの歌とも言えそうです。そして、それらの歌の中に幾つか、区切りの向こう側の無い歌もありますが、多くは区切りの向こう側をぼんやりながらも示しているというイメージです。
こんな風に考えていくと、『チャンピオン』は際立って見えます。この歌の中には、友と君(チャンピオン)の別れ、君とチャンピオンの別れ、チャンピオンとファンの別れ等、幾つかの別れがあり、一方で、君とただの男との出会いがあります。そして、友がただの男との出会いをどう迎えるかについては沈黙しています。
人生における区切りは何度も何度も訪れます。立ち直れないこともあるでしょうが、多くの場合、区切りの先には次があります。今までとは別の自分と向き合うこともあるでしょう。違った世界に身を投じることや、大事にしてきたものを捨てること、別の誰かを待つこと、新しい道を選ぶこと、様々です。
あまりに突然に、谷村新司さんとの区切りを迎えてしまったことは残念でなりません。
谷村新司さんが教えてくれた歌、若い頃に歌った歌を糧にしていきたいと思います。
谷村新司さん、素敵な歌をたくさんありがとうございました。
安らかにお眠りください。
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