tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況48.父と芸術の秋2023年 美術展での収穫

先日、父の知人が県の美術展に出品をしているとのことで、見に行きました。

最初はカラオケの会があるので行かないと言っていた父ですが、私が一人でも行くつもりだと知ると、「じゃあ、一緒に行こう。」とすんなり方針転換となりました。

 

車で行っても良かったのですが、父の健脚度も知っておきたかったのです。このところ、早朝の散歩になっているのでいっしょに行けていません。また、車で行くと駐車場を探したり、駐車料金を気にしながら観るのは気疲れしそうで、列車を使うことにしました。駅から会場までは、徒歩で20分弱。

 

展示会は、日本画、洋画、立体作品の3部門。

とは言え、私には日本画と洋画の区別できないです。画材が違う、陰影や立体感が違う等の話も聞きますが、そこにこだわりのない絵も多いです。まあ、調理も洋風と和風の区別が完全にはつかない物も多いので、囚われ過ぎる必要はないでしょう。

 

展示会では、基本、父と一緒に回ることは意識せず、それぞれのペースで観ます。この辺りは去年の市の美術展と同じ。

それでも、時折同じ絵を見ることがあります。父の気になっている絵を、私がどんな風に思うのか気になるようで、先を進む父が私の所にやってくる、或いは、私が来るのを待っていることがあります。

 

以前の記事に

父はもっぱら写実主義的作品が好みで、誉め言葉として「写真みたいだ」との言葉を何気なく使うことがあります。父に「写真で表せないことを絵にしているって発想はないの?」と意見したこともあります

と書きましたが、今回は少しそれを意識していたのか、「写真みたいだ」の連発はなくなりました。

 

ロープウェイで山を下りながら見える夜景を描いたと推察できる絵がありました。去年なら「写真みたいだ」と言ってそうな、父好みの絵です。

父が気になった美術展の絵 イメージ

父は、私がこの絵を見に来るのを待っていたような感じで、

「この絵はどうだ?」と聞いてきます。

私が「気に入ってるの?」と聞くと、「良いと思うから、お前に聞いているんだ」との返事でした。「父ちゃんの好きそうな絵だよね。」と言うと頷きます。

 

私は絵の専門家では無いので頓珍漢な考えも多いのですが、自分の見方はなるべく具体的に言いたいタイプです。

 

「ロープウェイから夜景を見た絵だと思うけど、山の中でロープウェイの光が当たっている場所、街の夜景、小さいけど向こう岸の街の灯の三つの明かりがあるから、奥行きが感じられて良いと思う。街の夜景だけだったら、ぼんやり眺めてる風になってしまうんじゃないかな」みたいなことを言いました。また、上の雑なイラストからは、わかるはずもないですが、「山の木の葉っぱの細かな濃淡と、夜景の細かい光の粒との対比が面白くていい感じ」みたいなことも話しました。

 

さらに、「夜景の写真を撮ってそれを見て描いたのかも知れないけれど、三つの明かりと、細かな粒の対比は、意識して描いたんじゃないかな?その分、写真を超えてる絵だと思うよ。」的な話も意地悪く付け加えました。「写真みたいだ」が口癖の父に当てつけたと思われても仕方ないところ。

 

でも、父は、なるほどなあと納得したようでした。

 

結局、美術展には1時間半程滞在。私はもっと観たかったのですが、父は椅子に座って待っていたようです。つかれている風に見えたので、そこで切り上げました。今回、私の知る限りでは、父は去年の美術展の時みたいな大きいあくびをしてないようでした。

 

父の知人の絵も観ましたが、その作品については聞いてきませんでした。多分、自分なりの見方で納得していたのでしょう。

 

そして、帰宅後。

父はその知人に電話をして、絵の話もしたようでした。そこで、他の絵についても聞かれたのでしょう。夜景の絵が良かった、近い所と夜景と遠くの街の光があって、引き立っていたと話していたのが、漏れ聞こえてきました。

 

いえ、それでいいんです。父がきちんと話を理解して聞いてくれていたとわかったのが、その日一番の収穫に思えたので。

 

 

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