tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn87.森村誠一さん、「あの帽子、どうしたでせうね? 」

今日、森村誠一さんの訃報を知りました。肺炎で亡くなられたとのこと。90歳でした。お悔やみ申し上げます。

 

映画、『人間の証明』と『野生の証明』

人間の証明』は、『犬神家の一族』(1976年)で角川映画が注目された翌1977年に第2弾として公開されました。次いで翌1978年に第3弾『野生の証明』が公開されるのですが、その公開直前にテレビで『人間の証明』が放映されています。当時、劇場公開から1年しか経たない映画をテレビで放映するという前例がなく、かなり話題になりました。私も観たのですが、まだ中学生だったからか『人間の証明』はよくわかりません。ただ、「キスミー」と「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? 」は印象に残り続けました。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? 」

こうした宣伝効果もあったでしょう、『野生の証明』は映画館で観ました。自衛隊が隊員歴を持つ民間人の殺害を狙うなんて、いくら小説でもありえないことで、自衛隊は映画の協力を拒否したとも聞いています。でも、その戦闘シーンは大迫力でした。私の中では『人間の証明』より『野生の証明』の方が圧倒的に好きな作品というイメージになったのです。

 

ところが、『野生の証明』のテレビドラマ版を観て評価が変わります。テレビドラマ版には自衛隊は全く出てきません。映画版の主演高倉健の格好良さや迫力に比べ、ドラマ版の林隆三は今ひとつ冴えないのですが、人間臭さや社会の生きにくさみたいなものが伝わってきました。そして映画版の派手な戦闘シーンは、後付けされたのだと考えるようになります。『野生の証明』の映画版とドラマ版の間で、一つ自分が大人に近づいた気がしました。

 

「見てから読むか、読んでから見るか」

角川映画戦略の「見てから読むか、読んでから見るか」という選択が話題になっていました。映画と原作、どちらを先にするかみたいな話です。でも、長い話を読むのが苦手な私は、映画だけで十分と結論付けていました。

 

この結論をひっくり返したのが、映画『2001年宇宙の旅』でした。

テレビ放映で観たときに、後半部分の映像に引き付けられながらも、その意味が理解できません。そして、文庫版の原作(もちろん翻訳されたもの)を購入して読みました。高1の時だったと思います。

 

すると、原作には原作の、映画には映画の良さが、そして、原作と映画を比べたり繋げたりする面白さもあると気づきます。次に手にした原作は、『スターウォーズ』でした。『帝国の逆襲』は映画館で観ていましたが、『スターウォーズ』はまだ観ていない時です。小説の中で、断片的な写真の記憶をあれこれイメージしながら読むのも楽しかったです。

 

こうした経緯もあって、「キスミー」と「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね? 」に魅かれるように『人間の証明』の原作を読むことにしました。

 

人間の証明』を読む

それ以前の推理小説で読んだのは、『シャーロックホームズ』シリーズや江戸川乱歩シリーズ程度。『人間の証明』はそれらとはまったく違う世界に思えました。推理小説の範疇とは言えど、社会派ドラマのように、人の生い立ちや成長、そこでのしがらみ、登場人物の思惑等が入り乱れます。

 

特に驚いたのが、性表現の個所。1980年代、漫画や映画、テレビドラマでもそのシーンを目にする機会はよくありましたが、社会派的な文章が並ぶ中で、文字での性表現を読んだのは初めてだったかも。ま、ここでは深く触れません。

 

そして、「キスミー」や「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね? 」の詩に行き着きます。

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

 

西条八十の「麦藁帽子」という詩だそうです。何度も繰り返して読めることで、詩への思いが膨らみます。映画では味わえない感覚です。とは言え、今となっては、小説の詳細を憶えている訳でも、文庫本が手元にあるわけでもありません。単なる、私が勝手に持ち続けているイメージでしかありません。

 

どこまで本当だったのかもよくわからない、確かめようにも誰にも聞きようがない、それなのに、記憶から消せずにいるイメージ。森村誠一さんの訃報を知って、ふっと頭の中に浮かんだのです。

 

「あの帽子」のような記憶を、人は誰しも、長い間持ち続けているのかも知れません。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

見たはずがないものまで、見たようなイメージとして浮かび上がるほどに。

 

森村誠一さん、「あの帽子、どうしたでせうね? 」

 

森村誠一さん、素敵な作品をありがとうございました。

安らかにお眠りください。