tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び62.将棋界のタイトル争い60年を(簡単に)振り返る

昨日、藤井聡太竜王・名人の7冠達成したことと、8冠への展望を記事にしました。

そこで、私の高校時代(1980年代前半)含め、将棋の主要タイトル争い(約60年分)について、触れておきたくなりました。

高校時代の注目

一番注目を浴びたのは、1983年6月、最年少(当時21歳2か月、尚、先日藤井聡太棋士が20歳10か月に更新)で谷川浩司名人が誕生したことでしょう。1976年12月に中学2年でプロ棋士加藤一二三棋士以来)となって以降、2期目の順位戦からC1級(1978年度)、B2級(1979年)、B1級(1980年)、A級(1981年)とリーグ昇級し、1982年度のA級挑戦1年目で、A級リーグ1位、名人挑戦権を得ています。そのまま、1983年、当時の加藤一二三名人を倒し、棋士としての初タイトルで名人位を獲得したのです。

 

このときは、加藤一二三棋士については、1分将棋や棒銀、矢倉戦法、居飛車の代表的な指し手として知っていました。私は大山康晴棋士の影響を受け、振り飛車が好きで、よく四間飛車を指していました。時代は既に居飛車が主流でした。谷川浩司棋士をよく知らなかったのですが、居飛車党の代表格、加藤一二三棋士を破っていきなり名人位を奪取したので、また、新しい時代が来るんじゃないかと思ったものです。

 

将棋のタイトルに関心を持つようになったのはこの時からで、それまでのタイトル保持者の推移も調べました。

5大タイトル以降60年を(簡単に)振り返る

大山対中原の20年

将棋の主要な5大タイトルができたのは1963年。名人・棋聖・王位・十段・王将でした。1960年代は大山康晴棋士が5大タイトルをほぼ独占した時代です。

60年でタイトル数は5から8へ

1970年辺りになると中原誠棋士が台頭します。1974年に6つ(王座が加わる)になった主要タイトルの独占を大山康晴棋士が阻むという構図に。そこへ加藤一二三棋士米長邦雄棋士、内藤國雄棋士が割って入り群雄割拠にもつれ込みました。そして、1982年、10年続いた中原名人の時代を止めて加藤一二三名人が誕生。今後の展開が注目されていたのです。

谷川名人誕生

ところが、翌1983年に最年少で谷川名人が誕生します。棋界に限らず、世間も大いに驚きました。年功序列が重んじられ、名人になるまで何年もかかるのが当然と思われた時代から、チャンスがあれば逃さない実力主義の時代へ。将棋界の勢力図が大きく変わるのではと予感したものです。

 

しかし、谷川名人は1度はタイトル防衛をしたものの、1985年には中原誠棋士に名人位を奪われ、期待された新しい時代は訪れません。むしろ、1986年には谷川棋士は無冠になり、新しい時代は幻想であったかに思えました。1983年、王座を加えて7大タイトルになりましたが、1987年にはそれを7人の棋士が分け合う大混戦となっていました。

 

谷川名人復活

でも、谷川棋士は復活します。1988年に名人に返り咲いた後、保持タイトル名を変えながらも1991年度には四冠(この時点で史上4人目)を獲得し、その後も王将位を維持し続けます。1995年、神戸市に住んでいた谷川棋士は、1月17日の阪神淡路大震災に罹災しながらも、3月の王将のタイトル戦で羽生善治6冠に競り勝ち、7冠達成を阻んでいます。

 

羽生7冠誕生

谷川棋士に7冠を阻まれた羽生棋士でしたが、その後も6冠を防衛した上で、1996年に再び王将タイトル戦で谷川棋士に挑み、前人未到の7冠独占に成功したのです。比類なき強さに、今後しばらく、羽生7冠の時代が続くと予想した人も多かったでしょう。

 

しかし、羽生棋士が7冠を維持できたのは、数か月でした。7冠達成後、名人位を防衛したものの、その後の棋聖戦三浦弘行棋士に敗れ6冠、更に竜王戦で谷川棋士に敗れ5冠、翌年の名人戦でも谷川棋士に敗れ4冠と後退しています。前回の記事にも書きましたが、タイトルを多く持つほど、当然タイトル戦も多くなり、維持も難しくなります。

 

棋士が対局で手を抜くことは無いでしょうが、タイトルを保持すると、失いたくないタイトルで強みを発揮することは珍しくありません。というより、複数タイトルを同時に維持することが相当に困難ということでしょう。

 

その羽生棋士は、現在、タイトルを通算で99期獲得。もちろん、史上最高の数です。100期の大台まであと1つ。現在、無冠であるものの、2022年度の王将戦で藤井棋士に挑戦しました。タイトル奪取にはならなかったものの、2勝を挙げ、強さは健在です。かつて、谷川棋士が羽生棋士から名人のタイトルを奪取したように、羽生棋士が藤井棋士からのタイトル奪取に期待したい思いもあります。この辺りちょっと複雑です。

 

既に7つのタイトルについては、一定期間・回数のタイトル保持して、永世7冠となっているので、まだ獲得したことのない叡王のタイトルを奪い、藤井棋士より先に永世叡王?の資格を取るといろんな記録が更新されそうに思います。

将棋タイトル獲得記録(2023年6月3日時点)

※ 表は 藤井聡太 - Wikipedia より

 

藤井7冠誕生、次は?

藤井棋士のタイトル奪取は2020年7月16日の棋聖に始まり、先日の2023年6月1日に名人獲得で7冠です。驚くのは、この間15回タイトル戦に挑みんで、15期のタイトルを獲得していること。タイトルの奪取・防衛率が100%で、負けがありません。この記録がいつまで続くのか、誰が止めるのか、そこにも注目したいです。

 

まずは6月5日の棋聖戦(5番勝負)第1局。ベトナムでの対戦。

その後の王位戦も防衛しないと8冠達成はなりません。

もし、この2つの防衛に失敗すると、来年はタイトル挑戦権獲得までの対局数が一気に増えるので、達成はさらに困難になります。人生で8冠を目指せるチャンスはそう多くないはずです。

熱いタイトル争いはまだまだ続きます。

 

4冠以上になった棋士

以上、将棋5大タイトルが創設されて以降、4冠以上に輝いた棋士を中心に書いてきました。少しまとめておきます。

大山康晴十五世名人 5冠(名人・十段・棋聖・王位・王将)1963年

中原誠十六世名人 5冠(名人・十段・棋聖・王位・王将)1978年

米長邦雄永世棋聖 4冠(十段・棋聖棋王・王将)1985年

谷川浩司十七世名人 4冠(竜王・王位・王座・王将)1992年

羽生善治九段 7冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)1996年

藤井聡太7冠 7冠(竜王・名人・王位・叡王棋王・王将・棋聖)2023年

の6人です。60年で6人ですから、10年に1人出るかどうかという計算。

※十段のタイトルは九段の名称から始まり、後の竜王へと受け継がれている。

※主要タイトルは、1963年より5つ、1975年より6つ、1983年より7つ、2018年より8つ。

 

前回も触れましたが、8冠達成には日程的な難しさが生じます。

世紀の一瞬は、さてーー。