1980年代、欽ちゃんこと、萩本欽一の番組は絶大な人気を得ていました。
1981年に始まった『欽ドン!良い子悪い子普通の子』は、視聴者からの葉書をネタにしたコントが大人気。番組内の3人の子ども役、よしお(山口良一)、わるお(西山浩司)、ふつお(長江健次)がグループ「イモ欽トリオ」を結成し、シングルレコードを発売しました。それが『ハイスクールララバイ』です。
以下、タイトルに「異例」をつけた理由がわかってもらえたら嬉しいです。
厳しい歌詞
あらためて歌詞を見てみると、けっこう辛辣なものがあります。
ねぇ君 下駄箱のらぶれたあ
読まずに破くとはあんまりさ
など、「もうこの恋はだめだ、あきらめよう」と思っても不思議ではありません。
2番の歌詞では、学校帰りの満員バスが急ブレーキした際、
息までかかるほど急接近
いきなり平手打ち ハイスクールララバイ
です。
アップテンポな曲調で、深刻な感じではありませんが、大抵のことも平気で流してしまえそうな長江健次のイメージとぴたり符合している感じです。冴えないけれど健気、それでも報われない。そんな男子高校生はきっと、全国にたくさんいたはず。そこに光を当てたのが、ヒットの要因かもかもしれません。
それにしても、これをララバイ(子守歌)にしてしまう感覚。こんなにつらいことがあったけど、一晩寝たらどうってことは無いって応援歌との捉え方もできそうです。
イモ欽トリオ
ユニット名の由来は、当時人気だった「たのきんトリオ」と「YMO」にあやかってのこと。「YMO」を「イモ」と読んでユニット名に採用したのは萩本欽一のアイデアだが、長江は「たのきんトリオよりイモ臭いから」という発言もしている。
( イモ欽トリオ - Wikipedia より引用)
ちなみに『ハイスクールララバイ』の曲はYMOメンバー細野晴臣によるものでした。
アイドルグループソング?
1980年代、男性アイドルグループとしては、たのきんトリオ(田原俊彦(トシちゃん)、野村義男(ヨッちゃん)、近藤真彦(マッチ))やシブがき隊が有名でした。イモ欽トリオは、それらとは一線を画したお茶の間アイドルであって、アイドルと言えばアイドル、違うと言えば違うといったイメージがあります。
シンセサイザー?テクノポップ?
イントロはYMOの曲『ライディーン』のパロディとも。当時、シンセサイザー音楽が広がりを迎えていた時代。これをとりいれた歌謡曲はまだ少数派で、この後、『恋はルンルン』(伊藤つかさ)や『君に、胸キュン。』(YMO)等も登場して、テクノポップ、テクノ歌謡とも呼ばれるジャンルが確立します。その中で『ハイスクールララバイ』は最大のヒット曲です。細野晴臣が「職業作曲家」として広く認知されることになったのはこの歌の大ヒットが切っ掛けとも言われているようです。
その後、テクノ技術は時代の進化と共に様々な曲に取り入れられ、テクノ歌謡という分類自体あやふやになりました。ただ、その流れは Perfume や きゃりーぱみゅぱみゅ などに受け継がれているという見方もあるようです。
単年ではミリオンセラーにならず、累積で突破
カテゴリー「高校時代の音楽」を作った頃に、それなりに、レコード(CD含む)の売上ランキングについて調べたつもりでした。でも、調査によって統計結果が違っていることが少なくないです。『 音楽5.『ルビーの指環』(寺尾聰) 』の記事では
少し古いデータ(2006年)として、高校時代のミリオンヒットを6曲紹介。
1980.12.12 近藤真彦 スニーカーぶる~す 104.7万枚
1981.02.05 寺尾 聰 ルビーの指環 1,340,890枚
1982.07.21 あみん 待つわ 1,089,790枚
1982.08.01 大川栄策 さざんかの宿 1,209,470枚
1983.12.14 山下達郎 クリスマス・イヴ 1,806,230枚
ただ、発売日が早くてもヒット(売り上げ急増)までに時間がかかることも珍しくなく、加えて、ミリオンヒットもその年内の売上数なのか、暦年の累積なのかでも結果が変わります。そのため、私の「高校時代」や、「〇〇〇〇年ヒットランキング」という括りも捉え方によって違いが出てくるようです。
『ハイスクールララバイ』も盲点になっていました。
1981年、95.9万枚とわずかに100万枚に届かず4位。でも、その後の累積で100万枚を突破していました。「オリコン7週連続1位、1981年度オリコン年間4位、累計160万枚のミリオンセラーを記録」とのことです。
イモ欽トリオその後
イモ欽トリオ自体の活動はそれほど長くはありませんでした。
1982年9月、長江が大学受験専念を理由に『欽ドン!』を卒業し、同時にユニットを脱退。『欽ドン!』ではコーナー存続のため、二代目のフツオに後藤正を抜擢した。
( イモ欽トリオ - Wikipedia より引用)
でも、長江程の人気を獲得するには至りませんでした。それでも当初の3人グループの人気は続きます。同引用元では
『欽ドン!』終了後も現在までに、オリジナルメンバーで幾度か再結成し、テレビ番組に出演することがある。2007年の『24時間テレビ』では、萩本欽一のマラソン応援の為にメンバーが集結したが、山口が寄席のため出演できず、勝俣州和が山口の代理として「ハイスクールララバイ」を披露した。
2014年7月、神戸チキンジョージで行われた長江の50歳を記念したライブ『長江健次生誕50周年記念LIVE「健次の五十路」〜今回はバンドでやっちゃいます〜』に山口と西山がゲスト出演した。また、2015年1月24日には同所で「イモ欽トリオ」名義ライブを行った。
などが紹介されています。また、2014年には紅白歌合戦にも出場。
この中での長江健次も、私の好感度は高いです。「冴えないけれど健気、それでも報われない」とは私の勝手なイメージですが、報われなくてもやはり健気は健在であると思えてしまうので。
長江健次の好きな逸話
長江は高校在学中に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の出演者オーディションを受けます。大阪予選は突破したものの、東京での本選で落選します。
オーディション終了後、帰りの大阪行きの新幹線がもう無く、フジテレビ局内で始発まで時間を遣り過ごしていた長江をたまたまスタッフが見かけて萩本欽一に伝えたところ、ワルオ役のオーディション時とは違うあまりにも普通過ぎる普通な長江の風体に萩本が目を留めた。萩本はインスピレーションを感じ「フツオ役」を演じさせてみたところ、見事に嵌り、その場で一転して「合格」を言い渡され「フツオ役」を与えられた。後日、配役が変更となり、西山がワルオ役、山口がヨシオ役に廻された。
「 長江健次 - Wikipedia 」より引用。
普通であることが大ヒットにつながったという異例。
願いが報われなかったとしても、それが無駄になるわけではない。
このブログの「人生に無意味な時間は無い」とも一致するのです。
※記事には「 ハイスクールララバイ - Wikipedia 」を参照した部分が多数あります。
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