tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn67.10月を神無月と呼ぶことへの疑問

10月の和風月名は神無月(かんなづき)です。

全国の神々が出雲大社に集まり、各地の神々が留守になる月なので、神無月という説があります。一方、神々が集まる出雲では、神在月(かみありつき)と呼ばれます。

 

旧暦の複雑さ

和風月名は高校の頃に憶えたはずです。それ以降、上の話をそのままずっと信じていました。でも、和風月名は旧暦で作られています。旧暦の複雑さは以前の記事に

旧暦はよく言えばおおらか、悪く言えばわかりにくい暦です。例えば

明治2年(己巳)
この年は平年。月の大小は1月から12月まで「大大大小小大小小大小大大」の355日間。
明治3年(庚午)
この年は閏月の閏10月を含む閏年であり、 月の大小は「小大大小大小大小大小(=閏10月)小大」の13か月、383日間。

と書いたように、年によって28日も差があります。これは最近知った話です。となると、和風月名で季節の移り変わりをどこまで伝えられるのだろうかと疑問に思ったのです。

10月を神無月と呼ぶことへの疑問

11月も神無月?

新暦の10月を神無月として問題はないのか?調べてみました。で、発見。

discoverjapan-web.com

旧暦10月10日の夜。出雲大社から海へと西へ1kmほど向かったところにある稲佐の浜では多くの神職や氏子らが集まり、海からやってくる八百万の神さまを迎える神事、神迎祭(かみむかえさい)を行う。

出雲で神様を迎えるのは、旧暦10月10日。今年2022年で言えば、11月3日に当たります。つまり、神様が出雲に集まる前に神無月は終わってしまい、11月(霜月)に入ってから、神様は出雲で集まることになるわけです。

 

神様の移動スピードがどれほどなのか知らないので、集まりに出かける時は神無月だったのかも知れません。でも、出雲はまだ神様が集まっていないのに神有月です。とは言え、年によって28日の差ができる暦ですから、そんなことまで気を回す必要はないのかも。

 

和風月明を改めて見直す

ここで、 和風月名(わふうげつめい) | 日本の暦 を参照しました。

和風月名

なお、和風月名では、「無」の字は「の」を意味するそうで、水無月は水の月、神無月は神の月という意味だそう。

 

どこで聞いたか不明ながら、私は、水無月は地上にたくさん雨が降るので天上に水が無くなる意味として、神無月も出雲の地に神が降り立つため天上に神が居なくなる意味として、憶えていました。また、葉月は葉の色が濃くなるなるから葉月と憶えていましたが、葉が落ちる月だったと初めて知りました。調べてみると思い違いがあると気づきますね。

 

意味を自由に考えるのもあり?

でも、いろいろ検索してみると、どうやら和風月名にはそれぞれにいろんな説があるようです。水無月も、水の月という意味、水を引くから水が無くなるとの意味、等の説があります。推測するに、和風月名は口承で広がったのではないでしょうか。落語でも言葉の意味をたずねられた人が、思いつきで勝手な理由をつける話があります。

百人一首の中の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは」の落語は有名ですが、そうでなくとも、敢えて誤解を招きそうな表現にしているのではと思われる歌は少なくありません。

 

和風月名を教えた際に「どうして?」と興味津々に聞かれた時に「知らない」と答えるのはどうにも無粋に思われます。はっきりした出典や根拠がないなら、それらしい話をして場を盛り上げようという心配りは多くの人がしていたと思います。

 

それは嘘というより、願望に近い気がします。よく知らないけど、こうであったらいいなという感じ。星座も、星の集まりとしてはかなり細かく決まっていますが、その中で星をどう線で結びイメージ化するかは定まりがありません。なんだか、そんな感じでもいいんじゃないか?

 

最後に「~という説もあります。」と付け加えれば、たった今、自分で思いついた説であってもいいような気もします。もちろん、あまりにも突拍子もない説は、自然淘汰されるでしょう。

 

なので、

「かんなづき」ってのはなぁ、10月の神様は、大工仕事が好きなんだ。でもな、トンカチ嫌いで、カンナ好きだったんだ。それで神無月になったんだよ。

という説は、定着しなかったのです。

カンナ好き

 

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