tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽5.『ルビーの指環』(寺尾聰)

私の高校時代に一番売れたレコード・CDは何だろうと調べてみました。大ヒット(ミリオンセラー)したシングルは意外と少なく、私の高校時代という期間限定となると判断に悩むこともありました。少し古いデータ(2006年)の売り上げ枚数200位以内に入っていた歌は、4曲でした。

 

1981.02.05 寺尾 聰  ルビーの指環(※1)1,340,890枚 109位

1982.07.21 あみん  待つわ 1,089,790枚 191位

1982.08.01 大川栄策 さざんかの宿 1,209,470枚 145位

1983.12.14 山下達郎 クリスマス・イヴ(※2)1,806,230枚 37位

(※1)1981年2月5日発売発売、約1ヶ月程経った後から徐々に売上を伸ばし、同年3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得 (※2)1983年に12インチ・シングルとして限定リリース、1986年11月28日、7インチEPとして再リリ ース。 (追記 20190430)いろいろ探していると、上記以外にもミリオンセラーがありました。この頃は、発売してから数か月後から売り上げが伸びるという歌も珍しくなかったようです。1981年の邦楽ヒット曲 ランキングに、以下2曲が入っていました。

1980.06.25 竜鉄也 奥飛騨慕情 128.0万枚 

1980.12.12 近藤真彦 スニーカーぶる~す 104.7万枚

 

 『ルビーの指環』のリリースが、実際は2月だったことにちょっとびっくり。それを考えると、私の高校時代の売り上げ枚数が一番多かったのは『さざんかの宿』になるのかも知れません。若い人に限って受け入れられた『待つわ』より、『さざんかの宿』は、幅広い年齢層に受けた影響もあるように思います。その辺の詳細なデータが不明なのはちょっと残念です。『クリスマス・イブ』は、一般的にリリースは1986年とされてますから、ここでは除外して考えていいと思います。 

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ルビーの指環

その辺りを考慮しても、高校時代、記録でも記憶でも印象強い歌は、やはり『ルビーの指環』ですね。ウィキペディアによれば、「TBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった」、「日本テレビ系『ザ・トップテン』では放送第1回の第1位かつ10週連続1位」、「翌1982年春開催の第54回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用」、「第23回日本レコード大賞を受賞」等、華々しさでも群を抜いているように思います。

 

当時「口を開けない」「お経みたい」とも言われた歌でしたが、その歌い方もヒットの要因だったかもしれません。

 

それにしても、この歌にも、音楽1.『めだかのきょうだい』(わらべ)と同様、歌詞の憶え違いがありました。

歌い始め「くもり硝子の向こうは 風の街」のところ、ずっと「くもり硝子の向こうは 雨の街」と思い込んでいました。頭の中にはずっと、雨の湿気で硝子が結露して曇っていたというイメージだったのです。そのため「枯葉ひとつの重さもない命」は、ぬれ落ち葉で、街ゆく人に踏みつけられてるイメージでした。でも、「風の街」となると、軽くて風に舞うイメージになります。

いつから記憶の入れ違いがあったのか不明ですが、今になってこのイメージの転換に少なからず驚かされました。

 

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<余談『ザ・トップテン』>

この記事を書くまで、日本テレビ系『ザ・トップテン』という番組があったのをすっかり忘れていました。で、この番組の司会に堺正章と榊原郁恵が起用されていたことを知り、確かにあったあったと、思い出しました。また、寺尾 聰のアルバム(『Reflections』)の中にあった歌、「HABANA EXPRESS」を「バナナ・エクスプレス」と紹介されてしまったこともあったような…。違ったかなぁ?

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