tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

旅の魅力 受験旅行を楽しむ。そこで得たもの

旅の醍醐味

これを一言で表すなら、「未知との出会い」だと思う。

 

ネットの情報やガイドブック、人の話で得た知識を元に旅に出て、ああ、なるほど、書いてあった(話に聞いた)通りだったと確かめるだけで満足できる旅があるだろうか。

 

予定通りに移動し、予定通りに到着し、予定通りのことをして、予定通りに帰るだけならば、通学や通勤と同じでただ日常が繰り返されているに等しいと思う。何かの旅行でも、自分の代わりに誰かに行ってもらって良かったのに、なんて思える内は、単なる移動と言えそうだ。

 

 

旅では、それまでに無い経験をしたいと思う。むしろ、未知との出会いがあってから旅が始まるのだとも思う。さらに言えば、たとえ日常の中であっても、何かを発見したり、疑問を感じたりするところから、旅が始まることもあるだろう。私もそうだった。

 

初めての旅

私の旅は、高1で読んだ小さな新聞記事から始まった。「青春18のびのびきっぷ」の紹介記事だ。

青春18のびのびきっぷ」は後の「青春18きっぷ」である。国鉄の鈍行列車であれば、1日乗り放題という切符だ。

 

これを使って旅行を計画した。友人と二人、意気揚々と臨んだ初めての旅だったが、計画が細かすぎた。予定をこなすことに意識が向いてしまい、ほぼ予定通りに観光地を回ったものの、時間に追われた印象が残り、満足のいく観光になったかと考えると、やはり反省も多かったのである。

 

反省は教訓として生きた。

  • 行きたい場所をたくさん選ぶより、ここと決めた場所を満足できるまで回る方が私には合っている。
  • 計画には必要以上にこだわらない。一番の目的地を楽しむために、他の目的地を諦める柔軟性は持っていた方がよい。
  • 旅の一番の目的は、旅自体を楽しむことに尽きる。

こんな感じ。おかげで、受験旅行でさえ、不安より楽しみの方が何倍も大きかった。

 

受験旅行

受験旅行を楽しむ

青春18のびのびきっぷの経験は高3の受験旅行に繋がっている。大学入試出願の際、大学が斡旋する宿を頼んだこともあったが、自分で宿を探すことを含め、旅程を組むのに特に不安はなかった。駅を降りて宿までの移動や受験会場の下見で、知らない街のバスや徒歩を楽しんでいた。バスの乗り違えや宿までの道に迷ったことはあれど、幸いにして野垂れ死にすることも、警察や救急車に保護されることも無かった。

 

受験旅行を楽しむというと、目的は受験ではなく旅行なのかと誤解されるかもしれない。でも、不安や緊張を過度に持ち続けた旅行後の受験で、十分な力が発揮できるとは思えない。もっとも私のように、移動中もどこか気分が高揚していて、目に入るいろんなものが珍しく、勉強を忘れるほどはしゃいでしまうのは、さすがにまずかったと思う。ことごとく受験に失敗したのはそれが原因なのかもしれない。

 

でも受験に失敗しても、その旅行で得難い物をたくさん得られたのは確かだ。それを負け惜しみと言う人もいるだろうが、受験旅行を一つ紹介しておこう。

 

気まずい相部屋

大学が斡旋する宿を頼んだ結果、初顔同士の受験生が4、5人で一つの和室で相部屋になったことがある。もちろん男ばかりだ。最初は誰もが遠慮して黙って部屋の隅に陣取り勉強をしていた風だった。風だったというのは、私も参考書を手に持って座っているものの、相部屋になった人がどんな人なのかが気になって、ちっとも勉強になっていなかったのである。きっと誰もが居心地の悪さを我慢して、勉強のふりして様子見を続けていたのだと思う。

 

そんな重苦しい雰囲気が壊れたのは、腕組をして立ち上がった男の提案からだった。

「おいおい、こんな雰囲気で受験の夜を過ごすのはさすがにまずいだろう。隅に散らばってないで、集まって自己紹介くらいはした方が良いだろう。」

しかし、まだ誰も動かない。

「あ、そうか。まず自分から。」とその男がそのまま自己紹介する。

名前、どこから来たか、希望する学部、そんな程度だったと思う。

そして、「はい次。」と誰かを指名した。その人が仕方ないといった感じで紹介を終えると、また「次はあなた。」と指名していく。一通り終わると、

「よし、まあ、お茶でも飲もうか。」

と、机の上に置いてあったお茶を淹れようとする。

そこでようやく、「じゃあ、手伝うよ。」と皆が机に寄ってきた。お茶請けのお菓子もあったように思う。そんな感じで場が少し和やかになってくると、

「自己紹介パート2。質問付き。」

なんてやりだした。大学の志望動機や将来の夢なんかを話したと思う。質問で、誰かが彼女がいるかどうかを聞いて以降、自己紹介パート3に突入したように思う。言い出した本人を含め、今付きあっている者は皆無だった。ただ、告白したことはあるという者、以前つき合っていたことがあるという者もいた。受験を前に付き合いを一時停止しているそうだ。

受験生の恋なんてそういうものだよと慰め合った記憶がある。

 

堅苦しい雰囲気が解けると、受験前日も神経質になって勉強したいという者はいないとわかった。同じ境遇同士だったせいか、風呂に入っている隙にカバンを見られるんじゃないか等の心配も特に起きなかった。ただ、鍵の無い和室だったので2交代制で入ったように思う。

 

テレビは100円玉を入れると見られるタイプだった。100円で30分だったろうか。テレビのスイッチを切っていても、30分経てば見られなくなる、いやコンセントを抜いておけばその分はカウントされないとか、記憶が曖昧だ。

 

それほど遅くない時間に布団を敷くことになった。

じゃんけんで寝床を決め、お互いが寝床を陣取る。

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受験の宿が相部屋

自分の住む町とこの宿でラジオ放送が違っているか知りたくて、携帯ラジオを持参した受験生がいた。深夜放送を聞いてみたいとも言っていたが、他の受験生から、いやさすがに早く寝た方が良いだろうと諭され、早めに就寝することになった。

 

いざ、みんなが寝るときになって、誰かが受験失敗の不安を漏らした。誰かが、なるようにしかならないと言った。大学を受かっても受からなくても、いつか何かの仕事に就いて、いつか死ぬから皆一緒だという声も聞いた。死んでしまえば何もかも、はい、さようなら、とも。

 

私は即座にそれに反論してしまった。受験の合否に関わらずいつかは死ぬからこそ、それまでに何をするか、何を残すかが大事だと思う。なるようにしかならない中でも、自分にできることを見つけたいと、つい熱く語ったのだ。

 

理想は理想、現実は現実だよ。受験が終わってから考えればいい。なんて声が一回り出たところで、ラジオを聞いていた人が、「ちゃんちゃん。はい寝る時間~。」と話を打ち切り、ラジオを消し、皆静かになった。

 

旅の魅力

翌日の試験問題も、会場の様子もほぼ記憶がないが、この時の会話(もちろんすべてを正しく憶えている訳でもないが)は印象に残っている。人の縁とは、摩訶不思議だと思う。これまで会うことも無く互いに知らなかった者たち。それぞれが勉学に励んだ後、同じ大学の受験という縁で同じ宿に泊まることになった者たち。会えば気まずさの中で、各自できるだけ距離を取って部屋の隅に座っていた者たち。それが、形ばかりの自己紹介から始まり、同じ風呂に入り、同じ飯を食い、並んで寝る。その何時間かで、同じ受験生として精一杯肩肘を張り、不安を漏らし、夢を語る。そして、それらを無難に流して明日の受験のために寝入るのだ。夜中、トイレで目覚めれば、そんな者たちを平気でまたいで行くのだろう。

 

こんな出会いや時間の流れを予想した者がいただろうか。今となっては一緒にいた者の名を一人として思い出せないが、あの一晩は貴重な経験になっている。でも、これもほんの小さな一例にしか過ぎない。まったくもって、旅というのは予想がつかない。だからこそ面白い。

 

機会あれば、また別の受験旅行記を書いてみるつもりだ。

 

敢えて、繰り返す。

旅の醍醐味を一言で表すなら、「未知との出会い」だと思う。

旅には溢れんばかりの未知との出会いがある。

 

何も、無計画、無鉄砲な旅を勧める訳ではない。どこもかしこも首を突っ込むのが良いという訳でもない。それでも、未知との出会いを恐れ、何から何まで計画通り進むのを良しとする旅は、大きな魅力を欠いていると思えてならない。

 

未知との出会いのある旅。

これが私の推しである。

 

 

特別お題「わたしの推し

 

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