tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況24.父と紅葉ドライブに行ってきました

このところ、コロナが落ち着いてきているので、実家と自宅の行き来がしやすくなっています。ただ、オミクロン株を含めて安心はできませんが。

 

紅葉ドライブ

昨日、紅葉を見に行くのが好きな父のリクエストに応えてドライブに出かけました。ただ、山や渓谷等の有名どころはもう見頃を過ぎている頃。ネットで11月下旬から12月初旬で見頃な場所を探しました。

 

最初の目的地はJ寺。四国八十八カ所ではないですが、平地にあって紅葉も遅め。当初、父は行ったことがあると乗り気ではなかったものの、ややマイナーながらも紅葉の見どころになっているのならと了解をえました。

 

 

父の案内(1)

ナビ設定をしかけると、父が「案内する」と言い出します。そういう場合は要注意です。J寺は平地なのに山を通るずいぶん遠回りなルートを案内されます。気になりながら進んでいると、途中の山を指さし、この場所の紅葉も見たかったとのこと。それならそれで、最初に言ってくれれば不要な心配をしなくてすんだのにと思いましたが、その場所の地名を思い出せず上手く説明できなかったようです。ただ、やはり見頃は過ぎている感じでした。

 

父は少し前からよく来ていたと言います。昔はこの辺りはみかん畑だった、前はここにカラオケ喫茶があった等、いろいろ話してくれました。

「カラオケ喫茶はコロナが広がったから経営も大変になっただろうね。」

「コロナ?それは関係ない。退職して間もない頃の話で、今は店の人は亡くなり建物もない。」

そうでした。父の言う「少し前」「ずいぶん前」「昔」は退職しての21年分があてはまるのでした。よくよく聞けば、退職後、毎年のように母とこの辺まで紅葉を見にドライブしていたとのことでした。

 

父の案内(2)

以前、ドライブした時に

「あ、さっきのところ右に曲がってくれ。」

「え?!」

交差点を超えてからそんな風に言われることがありました。

そればかりか、曲がる交差点の手前で

「そこを曲がってくれ。」

「うん。右?左?」

「ここだ。」

「だから、右?左?」

「だから、ここを曲がれって…、ここ!ああ、行き過ぎた・・・」

後続の車もあるので不用意な減速、停止もできず交差点を過ぎて、しばらく走ってからUターンしました。

 

また、中央線の無い道で

「ここを真っすぐ行ってくれ。」

「うん。」と直進すると、

「なんで、真っすぐ行かないんだ?!」

と怒ります。

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真っすぐってどっち?

「え?直進したよ。」

「直進とは言ってない。真っすぐだ。」

???

「真っすぐってどういう意味?」

「真っすぐは真っすぐ。」

「別の言い方で言うと?」

少し考えてから出た返事は、

「……、いつも通る道。」

「こっちは初めての道なのにわかるはずがない。」

そんな感じ。もっとも、「真っすぐ右に曲がってくれ」みたいなことも言います。最近になってからの話ではないです。

 

父の案内(3)

全然別の日のドライブで、

「この辺りに神社があるはずだから、そこに行ってくれ。」

「どこにあるの?」

「近く。」

「どんなところ?」

「道端。」

埒が明かないので、神社があるはずという通りまで出てきて、

「この道を右?左?」

「それがわかったら苦労しない。」

結局、そこからまず左に折れて進んでいきます。

「見えたらすぐわかる。どんどん進んでくれ。」

でも、もう3kmほど進んだと言うと、

「逆だったかも知れん。戻ってくれ。」

Uターンして進んでいく内、先ほどこちらに曲がった交差点が見えてきました。

すると、そのすぐ手前で

「あ。そこを右。」

と見つけました。

「見えたらすぐわかるって言ってたのに。」

「さっきは見えてなかっただけだ。見えてないのに見つかるわけがない。」

と開き直ることもあります。

 

私が子どもの頃から、とぼけているのか、本当にそうなのか、わからないことは珍しくなかったです。

 

高校時代の話

父に頼まれた屋根のペンキ塗り手伝いの記事があります。

下の図で言えば、屋根をペンキで塗るとき、Aの部分を先に塗り、後からBの部分を塗るなどの工夫をしないと、身体の置き場所が無くなる、塗りたての瓦に囲まれてしまう等の事態になります。それを黙ったまま、私の好きな順に塗っていいと言っていたのです。

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屋根瓦のペンキ塗り計画

作業の途中でこれに気づいて

父に話すと、

「ほう、それに気がついたか。」

とニヤニヤ。ペンキの塗りたてを踏まないようにしてくれればそれでいいと言ってましたが、きっと私が気づくかどうか、試していたのだと思います。うっかり、下に降りられなくなるところでした。 

こんな調子です。

 

以前なら、笑い話だと思えていたことも、最近は、認知症の心配が絡んで、ジョークかどうかわからないことが増えました。厄介です。

 

お寺の紅葉

目的地のJ寺へも、右往左往しました。そこで、この辺りのはずだというところまできて、ナビで検索。寺はすぐ表示されたものの、細い道が多くどの道から寺に入れるのかよくわからず苦労しました。結局、新しい道になっていたとわかり到着できました。父に言いたいことはいろいろありましたが、せっかく楽しみに来たのだからと、ぐっとこらえます。

 

何より、紅葉の程度がよく、父もこのお寺でこれだけ紅葉が見られるとは知らなかったと満足気なのでよかったです。平日の隠れスポットらしく、じっくり、ゆっくり見て回れました。

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お寺の紅葉(1)

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お寺の紅葉(2)

紅葉を狙ったわけではなく、門などを撮った写真に写り込んでいたのを切り出しています。撮影も編集も未熟でペコンです。

 

一方、歴史的にゆかりのあるお寺だと分かったのも収穫でした。お寺の隣の墓地も見て、慶安の頃(1648年 – 1652年)の大きなお墓に驚きました。もっとじっくり見たいと思いましたが、お寺には石段も多くて父にはきつそうなので長居はやめました。トイレが見当たらないと言い始めてたので、戻ることにしました。

 

山へ紅葉を見に行きたい

トイレ後、父はまだ山にも紅葉があるかも知れないと言い出します。予想はしてましたが、坂や階段が気になって私からは提案せずにいました。でも、大丈夫だろうと言うので、少し離れた山の神社に行くことにしました。

 

すると、どうでしょう!前日の強い雨風のせいか、大量の落ち葉が一面に。

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大量の黄色い落ち葉

吸い込まれるように、黄色い落ち葉に立ち、落ち葉を踏みしめる音や感触を楽しみます。父の「待ってくれ」の声が遠くなっていくのは、私一人ずんずんと歩いているから。

 

父を残して歩いた報いでしょうか。突然、足がずぶずぶと沈んでこけそうになりました。そこの落ち葉の下はぬかるみになっていたのです。横を見ると大量の雨のせいと思われる小さな滝ができていました。ところどころに石礫も転がっています。

「こっちにきたらいか~ん!」

と父の歩みを止め、私はこんもりしている場所に飛び移りました。ところが、そこも単に葉っぱが積もっていただけで、下はぬかるみ。すんでのところで倒れずにすみましたが、そそくさと引き戻したのでした。

 

他のところも少し散策しました。石段や坂も難なくのぼれました。ただ予想外に、まだもみじは緑色が多く、赤く染まっていたのは先の方だけ。また、黄色い落ち葉もよく見ると緑がかったものが少なくありません。前日の風はかなり強かったのでしょう。

 

車に戻り、もっと上に行ってみようとなりましたが、しばらく行くと民家が途切れ、道には石というより岩に近い塊がごろごろ。パンクする心配も出てきて、ドライブというより冒険や探検という感じです。仕方なくUターンして帰ってきたのでした。

 

最近の父の様子

以前の記事にも書いたように、

CPAPを着けて普通に寝られることが続いています。うっかり外したまま寝てしまうことはまだあるものの、回数は減ってきています。

 

ふらつきが多かった頃は、階段や坂道を避けることも多かったのですが、今は多少であれば気にすることなく上り下りしています。

 

ただ、以前より寒くなってきたせいか、立ち上がろうとしたときに、腰や膝が痛むことが増えた気はします。とにかく、急に動き出さずにゆっくりで、と声をかけていますが、それでも、何かの拍子で痛みが起きることはあるようです。また、乾燥のせいか、大きなくしゃみをすることが増え、思わず大きく動いてしまうこともあります。転倒防止のために壁や家具に手をつける、座るなどしてくれるといいのですが、そうできないこともあるでしょう。

 

不安は尽きませんが、そんな中でも行って良かったと思えた紅葉ドライブでした。

 

 

今週のお題「赤いもの」