tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

正しくサボる方法を考えてみた

サボらない

根が真面目なもので(ホントか?)、高2まで、あからさまにサボったことって思い出せないです。足を痛めてサッカーの練習ができるか微妙な時に大事をとって休もうとか、熱は下がったけどまだだるいから学校を休もうとか、何らかの大義名分でクラブや学校を休んだことはありますが、大手を振ってサボることはなかったと思います。

 

受験に影響のなかった数ⅡBの授業もサボったことはありません。クラスメイトの中には「今日はサボる。」と午後の授業に出なかった人もいました。サボった分の授業はどうするんだろう?とか、授業料を払ってるのにサボるのはもったいないとか思う一方で、好き勝手な行動力をほんの少し羨ましく思う部分もありました。でも、サボるのは勇気じゃなくて逃げだなんて、サボらない自分を肯定してました。

 

 

サボるようになる

日記代わりの映画手帳に、1983年8月4日(木)「補習サボる、兄と喫茶店で昼飯食う」と書いてあります。「共通一次試験まであと163日」とも。サボった記録を書いていることに苦笑しました。授業じゃくて補習だからいいかと思いつつ、気になって書いたのでしょう。それでも高校の授業はサボらなかったはずです。

 

しかし、卒業後に一気に成長(堕落?)して、予備校では平気でサボるようになりました。映画の日だったから授業をサボって映画に行くとか、ちょっとゲームセンターによるつもりがもう今日は予備校行かなくていいやぁとか、喫茶店で勉強していてコーヒーをゆっくり飲みたかったからとか。

 

全部を記録したわけではないでしょうが、上のサボりは手帳に記録していたことです。予備校では、基本高校で習ったことの復習だったからでしょうか、また、予備校の授業が休講になることもあり、どことなく緊張感に欠けていたのかも知れません。かつてのサボると授業料がもったいないという考え方は、サボってもサボらなくても同じ授業料という考え方になっていきました。

 

むさぼるようにサボる

東京のお昼時

仕事の研修で東京に行った時のことです。ひょいと入った食堂で昼食をとっていると、奥でスーツ姿の3人組が大声で話していました。ちょっと見てみると、机にビール瓶が何本もありました。

 

その内の一人はすっかり出来上がっているようで

「いいんだよ、今日の仕事は終わったんだ。もっと飲め!」

「いや、まずいですよ。この後、会社に戻らないと。」

「まずい?違うだろ。美味いだろ。仕事中のビールは、終わって飲むビールより何倍も美味いんだ。」

やがてその内の一人が客の多くの視線を感じたのか、

「とにかく、ここを出ましょう。」

とまだ食べ終わっていないままに帰り支度を始め、

「お騒がせしました。」

と、会計を終わらせ、そそくさと出て行きました。

 

私のすぐ近くでは

「ああなっちゃあ、いけないよなあ。」

と、小瓶からビールを注いでいるスーツ姿の人もいました。

 

車を運転しないですむことが多い都会では、昼食中にお酒を飲む人がけっこういるんだなとびっくりしました。もっとも、もう20数年前の話ですし、その店特有のことだったかもしれません。

 

平日のインターネット喫茶で

平日に休みをもらい、インターネット喫茶に入っていた時です。

ブース内での電話は禁止で、通話はロビー等に移動する決まりですが、電話が鳴る人もそう珍しくはありません。中には仕事中に寄っている?サボっている?人もいるようで、

「あ、今、出先なのでちょっと資料が手元にありません。会社に戻ってから折り返し電話します。」

って感じで、手短に話を終わらせていました。でも、電話の後も動かず、何事もなかったようにまた静かになりました。すっかり慣れていることのようでした。

 

高校時代、授業をサボる人をちょっと羨ましく思ったこともありましたが、さすがにここまでくるとちょっと引いてしまいます。

 

正しくサボる

「サボる」の語源は、フランス語の「サボタージュ」から来ていますが、今回下調べをしたところ、日本ではサボタージュを「労働争議の戦術としての怠業」と意味が限定されているようです。これに対し、フランス語や英語のサボタージュは、「一般的な破壊活動・妨害行為、または、労働争議中の、労働者による生産設備を破壊する行為」をいうそうです。

サボる - Wikipediaより)

 

思っていた以上に過激な言葉でした。

ということで、正しくサボる方法の私流の答えです。

 

サボるなら、ゆる~くサボりましょう。

 

「 自分を見失わない程度に」が、極意でしょうか。

  

以前、こんな記事を書きました。

働きアリの法則とは

・よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。

・よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。

・よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。

・サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

 というものです。

 

十分な解明は進んでいませんが、一定程度のサボりは組織の維持に必要という見方もあります。もちろん、アリと人間は違うので、人間社会に取り入れるためには、組織の機能が失われないよう、2割のサボりを上手く共有するといいかも知れません。

f:id:tn198403s:20210828233122p:plain

働きアリの法則を応用してサボる

以上、正しくサボる方法を考えてみました。

 

 

今週のお題「サボる」