忘れるとは何だろう?
そんなことを考える様になったのは、このブログのせいだ。忘れたと思っていたことが思い出せたり、逆に憶えていたつもりのことが勘違いだったり、そんなことがたびたび起きる。
忘れるとは、単なる錯覚かも知れない。それは、その記憶に価値を感じなくなっただけであったり、記憶に手を伸ばすことに戸惑いや恐れ、面倒くささがあったり、過去を無かったことにしたくて逃避していたり、そんな理由で思い出せない事にしているのかも知れない。このブログを続けてきて、そう思う。
果てがないわずか3年
高校時代なんて、わずか3年程の短い期間だ。いくら多感な時代とはいえ、これまでの人生の1割にも満たない。ブログに書きたいことなどすぐに枯渇するんじゃないかという当初の心配は、呆気なく覆ってしまった。もっとも、「高校時代blogと言いながら、高校時代と無関係な記事の方が多いじゃないか」という批判は、甘んじて受け入れる。それでも、高校時代が今の人生に大きく影響していたことには間違いがなく、違った高校時代を送っていたら、今の時代についての記事もまた違った内容になっていただろう。
わずか3年の体験が身に染み込んで、今なお私の血となり流れている気がする。あの時のあの瞬間のことが思い出されるとき、予期せず周りの風景や匂い、音、声まで克明に、例えるなら8Kの映像のごとく、それもスローモーションのように見えることがある。こんなことまで憶えているものだろうかと疑いたくなるほどに。いや、こんなに憶えているはずがない。ブログを始める前は、まるで白黒の8mmフィルムを再生するくらいの色や音に乏しい高校時代だったとの思いが霧散していく。
わずか3年間でも思い出せることに果てがない。そう思う。それでも、思い出を懐かしんだり、眺めたりするだけでは、記憶の扉は閉じたままで、その向こう側にはなかなかたどり着けない。記憶の扉は多くの場合、自分の思い込みだ。その思い込みを越えて、もう一歩進もうとしたとき、すっかり忘れていた記憶が突然にして鮮やかに蘇ることがある。
記憶が正しいとは限らない
ただ、それが正しいかどうかは別の話。 知らぬ間に記憶が別の記憶に繋がっていたり、勘違いの上に勘違いを重ねただけだったり、都合よく自分で記憶を書き換えていたりすることも珍しくなく、冷静に二つの記憶を振り返ると、つじつまが合わないなんてこともある。
わかりやすい例が歌詞だ。自分では完全に記憶したつもりの歌詞が、実際の歌詞と違っていたということは案外多い。「『小さい秋見つけた』って歌、歌える?」と話題を振ると、半数近い人が歌いだしから間違えるとか。
あなたは、『めだかのきょうだい』を一番から順に歌えるだろうか。自信満々でいただけに、私はショックを受けた。
間違えて記憶していることを、間違いだったと確信するには、きっかけが必要だ。記憶を記憶で確かめようとすると、確かめようとした記憶すら違う記憶にすり替わってしまうことがある。だから、何かの記録とか、思い出の品があると心強い。それを手に取り、読んだり、並べたりしている内、どこかでスイッチが入って、一気に記憶が湧き起こるなんてことも珍しくない。今湧き上がった記憶は、本当に忘れていたのか、何かの理由で封印していただけなのか。そんなことを考える。否、幾らかの手がかりを元に、今新たに作り上げた創作話なのではないか。そんな風にも思う。
実際のところ、どこまで正しいのか自信は無い。でも、蘇った記憶を綴る文章が止まらなくなる瞬間は、とても楽しい。それは自分の肯定感や有用感に繋がっている。このブログを書く一番の原動力かも知れない。そんな畳み掛けるような感情に、少しサイコチックな危うさを感じて、書いたばかりの文章を読み返す。
うん、まあ、これなら大丈夫かな?なんて、ようやく息をつく。
記録の力、記憶の力
記事作成に重宝している高校時代の映画手帳がある。映画のみならず、ちょこちょこ日常で感じたこともメモ程度に書いている。
そのわずか一行の記録でも、まるでドラマを観ているかのように、現実感を伴って記憶が蘇ることがある。それは、他の人が読んでも決して蘇らない。私だけの劇場だ。
例えばこんな記録。
「いちばんきらいな曜日。剣道があるため。」
1982年6月8日(火)にあった一行である。怒ったように書きなぐった文字を見て、あの日の痛みを思い出した。剣道が嫌いだったのは憶えていたが、それを記事に書き始めると、痛みの前後まで次々と思い出されていった。
この記事から、二カ所引用してみる。
上手な人は、狙ったところにピタリと当てられるようなのです。顎の出し方で被った面の角度を一定にすると、それほど痛みを感じることなく当ててくれます。ラルの台詞を借りるなら「正確な打ち込みだ。それゆえ痛みの少ない打たれ方も予想しやすい。」と言ったところでしょうか。
その授業で、ランバ・ラルの言葉を使ったかどうかは不明。でも、その頃、ガンダムやルパン、ヤマトなどの台詞をよくもじっていたのは確か。
また冷静に、臆病な初心者と勇猛果敢な初心者の分析も思い出した。
私とは別世界にいる、初心者でも果敢に打って出る人もいました。(中略)恐いから更に身がすくんでしまうせいか、打たれるとやたらと痛い。こちらからの攻撃は力も狙いも中途半端になるためか相手の痛い所に当ててしまう。それで時には、相手を本気で怒らせてしまったかと思うほどの勢いで迫られたこともありました。
嫌いで仕方なかった剣道の授業。ブログを書く前はそのくらいのイメージでしかなかったのに、書き進める内、上級者と初心者の違いや、何故手帳に怒ったような文字で書いたのか、また、嫌いだった剣道の授業の中にも爽快になれた瞬間があったことなどを記事にできた。記事には書いていないが、何が起きて、誰をどんなふうに怒らせたのかまではっきり思い出せた。
記録と記憶の二つが合わさって、昨日のことのように思い出せる不思議。
ただ、それが正しい記憶かどうかは定かではない。ないのだが、書いた後にこう思った。嫌な記憶だったが、丁寧に思い出してみると嫌なことばかりでもなかったな。
断言はできないが、嫌な記憶と向き合うことは悪いことばかりではない気がする。
記憶するとは何だろう?
記事の冒頭で書いた「忘れるとは何だろう?」の答えは見出せないが、こう反問したい。「記憶するとは何だろう?」人は都合のいいことばかり記憶するわけでも、嫌なことばかり記憶するわけでもなさそうだ。
剣道の一行日記を見て、多くのことを思い出した。それは、相手を怒らせた罪悪感からであったか、恐怖感からであったか。その恐怖感に、防具の内側で感じた蒸れた汗の匂い、正面の面金の視界の悪さに加えて左右の視界も大きく削られる圧迫感も伴われていたように思う。一方、授業で爽快感を得たことも思い出せたのは、その圧迫感の開放からであったろう。記憶と記憶は思わぬところで繋がっている。
何か一つのことを思い出したとき、それに付随するいろんなことを予期せず思い出すことがある。となれば、人は何かを記憶するとき、記憶したいことを選んだり、意図的に記憶しなかったりできるものだろうか。どうにも怪しい話である。
憶えているつもりでも、憶えていないことがある。
憶えたつもりはなくても、憶えていることがある。
忘れたと思っていても、忘れていないことがある。
忘れていないつもりでも、忘れていることがある。
今のところ、これくらいの結論しか出せないが、今回はここまでを『記憶と向き合うという事 高校時代を軸にした自由研究』の途中経過としたい。
「自由研究」が 今週のお題になっていた時期はずいぶん前に過ぎてしまった。でも、夏休み終了直前に慌てて宿題を仕上げるのはいつものこと。むしろ終了より1日早いなら上出来だろうなんて思う私である。
今週のお題「自由研究」