tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

わさび記念日と味覚地図

初めてのわさび

小5の誕生日、夕食をステーキにするか寿司にするかと聞かれて、寿司と答えた。

ファミレスはポツポツ出始めていたものの、まだ、回転寿司は身近でなかった1976年。遠慮なく高くつく方を選んだのだ。

 

と言っても、もちろん高級寿司店ではなく、良心的値段で時折に訪れていた庶民的な寿司店。大抵の注文は、家族4人分の盛り合わせや握りの皿に加えて、鉄火巻きやキュウリ巻き、バッテラなどを2、3皿程注文したのを分け合い、それで満足していた。

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盛り合わせの一皿 イメージ

 

ただ、兄は盛り合わせでは量的に不満があったのか、かつ丼を注文することもあった。寿司屋でかつ丼?と疑問に感じる人もいるだろうけれど、食べてみるとこれが確かに美味しかった。蓋つきで出てくるかつ丼は、蒸され具合も良く、卵のとじ具合も、出汁具合も絶妙。今でも人生で指折りのかつ丼になっている。

 

寿司に話を戻そう。

 

誕生日だから好きな一皿を

この日は、座敷に座って盛り合わせを4人前、私の分はわさび抜きで注文。それが卓上に並んだ頃、追加注文で、私の誕生日だから好きなものを頼んでい良いという話になった。

 

私は即答でえびを一皿とリクエスト。ただし、メニューにえび一皿というのは無く、値段も不明。聞いてみると作るのは可能で、値段が800円くらいだったように思う。とにかく、盛り合わせ一皿より高くて驚いた。

 

誕生日記念にワサビを

ところが、注文の際、兄が私に「お前ももう10歳超えているんだから、わさび付きで食べろ」と言い出した。「誕生日の記念にちょうどいい」、「酒は二十歳から、わさびは十歳から」なんて言う。後で思えば、兄がわさび抜きを食べるのが嫌でこじつけた理由だったのだろうが、ちょっと不安ながらも確かに記念になると了承。こうして初めてのわさび挑戦が確定したのだ。

 

一皿には、確かえびが8貫(当時の数え方で4貫)がきれいに並べられ、私の目にはキラキラと光って見えた。ただ、そのえびの下にワサビが入っていると思うと、ドキドキもした。父と母は1貫ずつ、私と兄それぞれが3貫食べることになった。

 

当時は、ネタを一度シャリから剝がして醤油をつけ、それをシャリに戻して食べていた。

 

1貫目。

わさびをずっと毛嫌いしていた私がどう食べるのか、家族の視線が注がれた。しかし、ネタをはいでみると思った以上のわさびの量にひるむ。最初は少しだけにして試してみると兄に言い訳して、ネタとシャリについているわさびをほとんど箸で削ぎ取る。「それだとわさび付きで食べたとは言えないぞ。」と兄の突っ込み。3貫目では削がずに食べると見栄を張ると、絶対だぞと念を押されてしまった。

食べてみると、ツンと言うほどの辛味は感じず、むしろいい香りが鼻を抜ける。これなら大丈夫そうだと安心した。

 

2貫目。

気持ち的にかなり余裕があったものの、それでもネタについているわさびを削ぎ取って食べた。完全に油断していた。予想外にガツンと辛みがあって、香りが鼻を抜けたあとヒリヒリしている気がする。

く~~っと涙が出るのを見て、兄が大笑い。母が大声で恥ずかしいと注意する。

無理に食べなくていいと母は言ってくれたが、兄より先に私が「武士に二言はない。」などど大見栄を張った。私がいつから武士になったのかは知らないが、ここで食べなければ、兄にずっとからかわれるのは間違いなかった。食べない訳にはいかない。

 

3貫目。

約束通り、わさびは一切削がずに食べた。

ところが。ガツンと来る程の辛みは来なかった。鼻を抜ける香りは強かったがヒリヒリする感じも無かった。

ちょっと不思議に思いながら、約束通りわさび付きを食べたぞと胸を張った。

 

結論から言えば、11歳の誕生日は私にとってわさび記念日になっている。

 

味覚地図

ところで3貫目を食べてそれほどの辛みを感じなかったのは、後に舌にはそれぞれの味に対応した場所、味覚地図があると知って納得した。舌のどこでわさびの辛みを感じたのかはわからないが、食べ方によって味が違って感じられるのはなんだか面白い。

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味覚地図は間違い?

と思っていたのだが、最近は味覚のメカニズムの解明が進んだ結果、味覚地図は存在しないとうのが一般らしい。ひとつの味蕾ですべての基本味を感知するという仕組みが明らかになったのだ。これはこれで納得できるのだが、小5のわさび経験以外にも、粉末薬を飲む時に舌の先近く落とした方が苦みが少なく感じるとか、じっくり味わうには口の中を転がして下の全部分に触れさせた方が良いとか、食べ方によって味に差があると思われた経験は結構ある。

 

また、「ひとつの味蕾ですべての基本味を感知する」=「味覚地図は存在しない」と言えるのかと疑問が残る。甘味に反応しやすいとされる場所でも他の味を感じることができるとしても、またよく見る味覚地図の根拠が怪しいとしても、味蕾によって反応しやすい味や反応しにくい味があって不思議ではない。

5本の指が、太さによって使い方が変わったり、人指す人指し指、紅差す薬指のような使い分けがあるように、味蕾の使い分けもあるんじゃないかと思ったりもする。

 

とは言え、思うのは自由でも、事実は思うようにならないのが常。

味覚地図は、間違いだと自分に言い聞かせることに成功すれば、味覚で楽しむことが増えるかもと思う。

幼少の頃、好き嫌いが酷かったのに、今はほぼ好き嫌いがない。アレルギーなどの例外を除けば、好き嫌いは偏見からきていると思う私だ。味覚の感じ方も思い込みなのかも知れない。そう思うとまだまだ味覚を楽しむ余地は大きいと楽しみでもある。

 

 

今週のお題「寿司」