tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn46.「かわいい」はどこまで突き進むのか?その変遷と大坂なおみ選手。

序章 E.T. はかわいいのか?

「かわいい」という言葉に強い違和感を感じたのは、1982年に映画『E.T.』が上映されて以降のこと。当時の映画解説者、淀川長治さんだったと思いますが、E.T.を「かわいい」と言って、グッズを求める女性が多いという話を聞いたときからです。

 

E.T.』は映画館で観ましたし、いい作品だと思っていましたが、顔面も身体もしわくちゃなE.T.を可愛いと思う感覚はなかったです。当時の私の中では、「かわいい」の対象は「赤ちゃん」や「幼児」、「小学生」といった子ども、せいぜい「うぶな新人」、百歩譲っても演歌に出てくる「耐え忍ぶ恋をしている女性」という感じでした。

 

1980年以前「かわいい」は、手放しで喜べるようなほめ言葉ではなかったはずです。どこか未熟さや、考えが至らない、小さい等、下に見られる側の形容詞というイメージでした。しかし、今や世界中で「kawaii」として受け入れられる日本を象徴する文化にまでなってきています。

 

ここでは「かわいい」の変遷と私が思うことについて述べてみます。 

 

 

「かわいい」の変遷

1970年代終わり頃の「かわいい」

1975年、キャンディーズの『年下の男の子』で「あいつは、あいつは、かわいい年下の男の子」という歌詞が世に受けたのは、年下とは言え、女性が男性に「かわいい」という意外な使い方をしたというのもあったと思います。しかし、通常、世の少年は「かわいい」と言われるのを歓迎せず、むしろ「子ども扱いするな!」と反発することが多かったのではないでしょうか。

 

象徴的な出来事の一つが、1980年、山口百恵の歌手引退でした。「かわいい」と評価されるアイドルと、結婚をした女性との境目が、はっきりしていた時代だったと思うのです。結婚すれば「かわいい」ではなくなり、もうアイドルでいられないのは仕方がない、そんな雰囲気が、本人だけではなく周囲にもあった気がしてなりません。当時、結婚は「かわいい」からの卒業だったとも言えそうです。

  

1980年代前半 新「かわいい」の始まり

1980年代に入ったすぐ、まだ「かわいい」は、下に見られる形容であって、それを積極的に受け入れようとする人に冷ややかな目を送る風潮もありました。「ぶりっ子」との揶揄はそれを象徴していたように思います。しかし、一方で「ぶりっ子」でも、かわいいならそれでも良いという見方の始まりでもあったのでしょう、あごの下に両こぶしを引き付け首をかしげるお決まりポーズも、完全に否定されるには至らず、徐々に広がっていった気がします。振り返ってみれば、「ぶりっ子」の登場、揶揄、反発、浸透した頃が「かわいい」のとらえ方の大きな変わり目だったかもしれません。

 

「うっそぉー!」「ほんとぉ~?」「かぁわぃい~!」の三つの言葉が、注目を浴びたのもこの頃。それに失笑する人もいましたが、この言葉が支持を得たのは、「若者文化の象徴」という後ろ盾があったからと思っています。「かわいい」の多用は、若いと思われる一つの手段だったと言えるかもしれません。大人が理解できず、入っていけない若者の世界を守る壁としても、利用されていた気がします。E.T.を「かわいい」としてグッズを求める女性が多いという話も、まさにその頃。淀川さんが理解できないとした驚きや嘆きは、世の大人たちを代弁していたように思えるのです。

 

しかし、その流れは加速して、より広がっていくばかり。なめ猫もきっとその象徴でしょう。これまで「かわいい」とは無縁だったツッパリの世界をも飲み込んでいきます。猫を使ってツッパリを可愛く見せたことで、硬派だけしかいなかったはずの世界に、「かわいい」が潜り込むきっかけを作っていきました。それまでなら、暴走族の特攻服を「かわいい」と言うなんてありえない表現だったでしょうし、そう言おうものなら馬鹿にするなと怒られそうです。しかし、なめ猫が登場してからは、怒られても「だって、なめ猫も着てるよ!」が通用します。ちょっと強引ですが「かわいい」はツッパリを骨抜きにしたと言えなくもなさそうです。  

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1980年代の「かわいい」

 1980年代後半 「かわいい」の広がり

80年代後半になると、時代の先端は「ぶりっ子」ではない新しい「かわいさ」をこぞって探し回っていった気がします。ここで象徴的なのが松田聖子の結婚と現役継続、さらに出産してもアイドル=ママドルを世間が受け入れていったことでしょう。当時、山口百恵が結婚して引退した姿とよく比較されました。ママドルを否定する層もありましたが、まだまだ人気があった松田聖子の影響は大きく、一部で反発を感じつつも、新しい女性の生き方として世間一般に定着していった感があります。その結果、結婚後も「かわいい」は継続できるという新しい流れが生まれたと思うのです。

 なめ猫以降、「かわいい」の領土はさらに拡大した感じです。いろんな物を「かわいく」アレンジすれば受け入れられるという流れは、文具などのファンシーグッズにも結び付いていきました。当初「ファンシー」は「少女向け」という意味合いが強かったはずですが、女子大学生やOLの増加等もあって、文具にとどまらず、事務用品にも少しずつ「かわいさ」が浸透し始めます。その流れは本当に少しずつでありますが、弱まることなく、今なおずっと拡大し続けている感じです。

  

 1990年代 「かわいい」の革命

90年代になると、むしろ「かわいい」と無縁の物の方が少なくなっていった気がします。お年寄りの頑固で堅いというイメージは、きんさんぎんさんの笑顔で崩壊しました。白物家電は次々にカラーバリエーションを増やしました。自動車も女性に向けにデザインされ軽自動車が増えていきます。

 

こうした流れの根底には、女性の社会進出が大きく影響していたと言えるでしょう。つまり、幾ら格差があったとはいえ、女性が社会で働くことはだんだんと当たり前になっていき、それにともなって女性の経済力が向上したからです。今までの男性相手に売ってきた商品とは違い、女性向け商品を作ろうとしたときに、手っ取り早い?或いは欠かせないコンセプトとして「かわいい」が脚光を浴びたのではないでしょうか。ちょっと大げさに言えば、「かわいい」という名のモンスター級商品革命。やがて「かわいい」は女性向けの物であったのが、だんだんと男性商品にも影響を与えていく流れも生み出していきます。「かわいい」を理解できる男性は、女心を理解できる男性という風潮も生まれ、「かわいい」が共有できる男性は魅力の一つというイメージになっていったように思います。

 

ファッションではすでに主流になっていたミニスカートに加え、校則の盲点を突いてルーズソックスが大流行。はいていない女子中高生が少数だった印象すらあります。アイドルでは、安室奈美恵がリードし、ファッションにも大きな影響を与えました。特に、「かわいい」の発信源となって、カリスマ的な存在になって、日本中を席巻していったように思います。

  

 2000年代 「かわいい」の分化

2000年代に入ると、増えすぎた「かわいい」によって、単に「かわいい」だけでは、注目を集められなくなったようです。「かわいい」のグループ化、差別化、先鋭化がはじまります。量的な部分からはじまり、質的な向上へとその流れは加速していきました。

 

例えば、通学に使うカバンに遠慮がちに少しだけ「かわいい」キーホルダー。一見校則に従順なようでありつつ、一つだけプチかわいいものをぶら下げるのが個性ある「かわいさ」といった印象を与えました。また、同僚への連絡事項をプチかわいい付箋にメモして机に貼る。小さくてもきらりと光る「かわいさ」は、目立ちすぎる「かわいさ」を苦手に思う男性にも受け入れられた気がします。

 

また、「かわいさ」の種類も増えたようです。プチ「かわいい」、ぽちゃ「かわいい」、エロ「かわいい」、きも「かわいい」、ゆる「かわいい」、カッコ(イイ)「かわいい」、キレ(イ)「かわいい」・・・。

 

倖田來未は、エロ「かわいい」、カッコ「かわいい」あたりに影響を与えていたように思います。また、ゆるきゃら「ひこにゃん」の人気で「ゆるかわ」キャラが話題になったのも2000年代のことでした。

 

2000年代以前なら、「エロ」や「カッコイイ」、「綺麗」等は「かわいい」とは分断された評価のはずでした。それらの分野が「かわいい」を取り込んだのか、「かわいい」がそうした分野に広がったのかはわかりませんが、かつてそこにあった境界線がうやむやになっていったのは確かだと思います。

 

 2010年代 「かわいい」から「kawaii」へ

 2010年代に入ると、きゃりーぱみゅぱみゅに代表される、個性が突き抜けた「かわいい」が注目を浴びた感じがします。コスプレであれば、以前なら、有名なキャラクターや職業をどれだけ真似られるかが主流だったように思いますが、この時期には、それをいかに自分らしくアレンジして「かわいい」を表現するかという部分に主眼が置かれるようになってきたようです。

 

そして、日本の漫画やアニメ、女子高生のファッション、きゃりーぱみゅぱみゅの活躍や、「かわいい」コスプレまでがまるごとネットの波に乗り、世界でも認められるようになりました。今や「かわいい」は「kawaii」ととなって、世界に通用する言葉になっているのだとか。cool Japan の代表格となり、「kawaii」を求めて日本を訪れる外国人は増え続けているそうです。(今はコロナで一時停止状態ですが)

 

この勢いだと、「かわいい」は地球からも飛び出し、月や小惑星、異星人にまで広がっていきそうな感じです。

 

「かわいい」のこれから

 ちょっと待った!

でもね・・・。

私が古い世代なのでしょうか、未だにE.T.を「かわいい」とした人への違和感が、消えることなく続いているのです。もう30年以上続く「かわいい」の無敵感が、ある意味、恐いくらいです。イメージ的に、「かわいい」と言われたら異議を唱えてはいけない鉄則でもあるかのような感じがします。 最近は「かわいい」が多くの人に受け入れられるための必須ワードになっている気すらします。

 

「かわいいでしょう?ほら!」と共感を求められるのも苦手。そう言われてしまうと、たとえかわいいと思うことであっても、本心から「かわいい」と思えなくなってしまうのです。「かわいい」への同調圧力に抵抗感が芽生えてしまうのです。それは、まるで私が「かわいい」アレルギーを患っているんじゃないか思うほど。

 

たしか『ドラえもん』の漫画で、のび太が過去に行き、自分の出生したばかりの姿を見て「かわいい」に共感できず、「サルみたい」と呟いてしまい、お父さんに激怒されてしまうシーンがあったと思います。その場面と自分が、頻繁に重なります。誰かの言う「かわいい」の流れに自分の気持ちを飲み込まれたくないなと思うのです。

 

「かわいい」が優先される裏側で

かわいくない方が良いと言うのではありません。「かわいい」を優先した結果、他の大切なことを見過ごすことが増えているようで気になるのです。

「かわいくないなあ」と言われるのを恐れて不本意でも「かわいい」を続けたり、「かわいい」と言われたくて無理な言動を繰り返したり、そんな事態がじわりじわりと広がっている気がするのです。

 

アイドルグループの内紛や、ローカルアイドル、地下アイドルの過酷な労働状況の話、コロナ禍でかわいいペットの需要が高まる一方での増加するペット虐待の話、インスタグラム等で子どものかわいい様子をアップロードするために無茶をさせたり、あるいはかわいいと言われたくて性的画像を送ってしまったり…考えすぎでしょうか。

「かわいくなければならない」と思い込まされた人達の被害や加害がどんどん広がっている気がします。

 

「かわいい」をすり減らさず武器にする

私にはやはり「かわいい」にどこか「言われた通りにする」「深く考えない」「自分の意思を主張しない」といったイメージがこびりついたままです。でも、アイドルとして成功し、その後も活躍している人の多くは、やはり自分の思いをしっかり持っているように思います。

「かわいい」に拘束され、今ある「かわいい」をすり減らすのではなく、「かわいい」を武器にして、今ある「かわいい」に「かわいい」以外の魅力を見つける、纏うのが大事なのではないでしょうか。

 

今の「かわいい」にこだわり続けることは、自分の成長に蓋をすることに思えます。

「かわいい」を次々見つけていくことはファンタジーの世界に居続ける秘策に見えますが、そこにつけんで「かわいい」で拘束してやろうとする輩が闊歩する今、真剣に「かわいい」の先を考え、光を当てることが必要になっている気がします。

 

「かわいいアイドルになりたい」「かわいさをアピールしてちやほやされたい」「かわいいからペットを飼いたい」「かわいいもので部屋を飾りたい」「みんながかわいいというものをたくさん見て、たくさん経験して自分もかわいくなりたい」一方で「かわいくないと言われたくないから言うことを聞く」、「かわいくないから自分には価値が無い」本当に、この風潮を続けていいのでしょうか。

 

「かわいい」と思われる生き方だけを夢見ても、いつまでも「かわいい」が続くのは極々限られています。「かわいい」のカリスマや象徴が時代を経て次々変わっていくことを見ても、今の「かわいさ」がやがてすり減って魅力を失うのは避けようがないと思います。

 

「かわいい」と人権

かわいくてもいいけれど、そこから自分の本心を無くしてはいけません。

かつて「日本語がかわいい」「チャーミングなチャンピオン」などと言われた大坂なおみ選手の、四大大会主催者に対する棄権宣言、

今回の勇気ある行動を支持します。

選手である前に人間。

かわいく見えても侵害されない人権を持った人間。

人権を脅かしていると感じた大会に自らの主張を通したナイスプレーに、

主催者を揺さぶったナイスショットに、

拍手を送りたいです。

 

 

大会主催者は、大会開催のために尽力する義務を負います。一方、参加者は大会成功のための幾つかの義務を負います。ですから、選手が負う勝利者インタビューの義務が不可欠なのも一定程度納得はできます。しかし、それがある故に選手としての活躍が著しく制限されるなら、健全な大会を主催するべき主催者の義務違反に思えます。

 

今回の報道を見る限り、勝利者インタビューは選手の活躍を下支えするものとしてあるべきだと思います。また、敗者へのインタビューも貶めるものではなくテニス文化をささえるものであるべきと思います。そのためのルール作りは必須でしょう。

 

選手が主催者にとって、かわいい存在である必要はありません。ともに大会をスポーツ文化を推し進める者として、リスペクトすることは大切にすべきでしょう。スポーツの民主化に必要なものは築き、不必要なものは改善する。

 

記事を書いている最中、四大会主催者の紳士的な今後の対応方針が報じられました。絶対者と思われた人達が、少しかわいく思えました。人権を尊重するかわいさ、これからの「かわいさ」はこうあって欲しいと思います。

 

どこかのトップとは偉い違いです。