tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

皸(あかぎれ)の記憶

前回の記事から

前回の記事に、

小学校低学年の頃と違い野菜は引き続きしっかり食べている。学校掃除で雑巾の絞り係もしていない。なのに何故?

と書いた。唐突に「雑巾の絞り係」って何?と疑問に思った人がいるかも知れないけれど、実は当初の記事の前半部分には小学校低学年の頃の皸の話を書いていた。記事全体が長くなってきたので、それを割愛したのが前回の記事である。

 

今回は、私のその頃の皸やその他について書こうと思う。

 

 

<皸の記憶>

朝掃除の雑巾がけ

小学校低学年の頃は両手ともひどい皸(あかぎれ)で悩まされた。指と手の甲のほぼ全体に広がっていた。もっとも私だけでなく多くの子がそうだったように記憶している。

 

辛かったのは冬の学校の朝掃除、それも雑巾がけだ。金属製のバケツの水に雑巾を入れ、すすいで固く絞るのだが、水が冷たいので誰も手を入れたがらない。すすぐのも水面より上で雑巾をつまんでくるくる回すから、時間がかかる。バケツの周りに子どもがわんさか集まる。なかなか雑巾がけが進まない。 

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雑巾をつまんで回してすすぐ

こんな時、朝の会で「雑巾はさっと絞って掃除をしましょう。」なんて言わなきゃならなかったのが私だ。そしてすぐ「でも、バケツの水が冷たいし、痛いです。」なんて反論を食らう。ごもっとも。私だって皸の手をバケツにつけるのは嫌だった。

 

けれど結局、雑巾の絞り係になってしまった。バケツに雑巾をつけてすすぎ、絞る係だ。今どきの学校なら、低学年から高学年が混ざって掃除をするらしく、絞るのは多くの場合、高学年が担当するそうだが、当時そんな制度はなかった。自分の教室や廊下は自分達で掃除する。学年が上がるにつれトイレや特別教室なども担当する制度だったのだ。もし、今の時代で小学2年生の子どもが冷たい水の雑巾絞りを一人でやらされているとなったら、いじめと思う人がいそうにも思う。でも、当時の学級委員は学級で困っていることを発表し、それを解決する使命を負っていたのだ(多分)。

 

皸(あかぎれ)の手で力を入れて絞れば、皸はプチプチ広がっていったように思う。バケツに血がいくらか滲んだような記憶もあるが夢かも知れない。とにかく差し出される雑巾を次々絞り続けた。

 

その時、気づいたことがある。バケツの水に手を入れている方が幾分温かく、水面の上で雑巾を絞る方が寒いというか冷たく、皸が痛むのだ。それで雑巾を差し出されるまで水に手をつけるようにしたら、他の子が不思議がっていた。理由を話すと何人かが試して納得してくれたのも憶えている。ただ、皸の手で、雑巾を洗った水に手を入れておくのは衛生的にどうかという疑問はあった。

 

とはいえ、 皸は日増しにひどくなった。母がオロナインH軟膏を塗ってくれたが、効果はなかった。次、赤チンを塗った。それも駄目でヨウチンを塗った。それも駄目で、結局1週間ほどで音を上げたように思う。それでも続けろとは言われなかった。いや、誰かが変わってくれて、交代制になったろうか。水に手をつけた方が温かいと知って、係そのものがなくなったかもしれない。

 

「野菜を食べなさい」

 薬があまりに効かないので母に愚痴った時、「野菜を食べないから治りにくい」と言われた。この頃はまだ、とにかく野菜が嫌いでほとんど食べていなかったと思う。だからと言ってすぐ食べられるようになるはずもなく、代案として出されたのが、ミカンだった。

 

「 ミカンがが好物」という程ではなかったが「みかんを食べれば野菜を食べなくてもいい」と勘違いして、1日に何個も食べに食べた。指の爪がいつも黄色かった気がするくらいだ。ただ、栄養があると言われる細長く白い筋は苦手で、筋が残りにくい皮のむき方をあれこれ試していた記憶もある。

 

ともかく、ミカンをたくさん食べたおかげで皸(あかぎれ)はいくらか少なくなったように思う。手でグーの形をしたら手の甲に皸の赤い跡がびっしり見えていたのが、あまり目立たなくなった。もしかしたら気候が変わって空気が湿度を多く含み皸が起きにくくなったからかもしれない。なんにせよ、ミカンをたくさん食べたら皸になりにくなると記憶に刷り込まれたままである。

 

また、年齢が上がるほどに野菜を食べるようになったからか、十歳頃以降、皸で悩むことはほとんどなくなった。

 

<皸の予防>

高校時代、自転車通学となった。中学の通学路に比べて4~5倍の距離。春夏秋はどうということはなかったが、冬は寒風にさらされ、これまでになく手が冷える。また皸が広くできてしまうかも知れないと思った。

 

それでも最初は軍手を2枚、3枚と重ねたら大丈夫だろうと考えた。中3の正月に初日の出と初詣を兼ねて、高校よりも遠いT峰神社に自転車で出かけた時、軍手を3枚重ねた経験があったからだ。

 

でも、しばらく試してみて、これではきついとわかる。初詣の時は寒くて途中で暖かい(熱い)缶コーヒーを買って暖を取ったが、毎日の通学でそれをするわけにもいかない。

 

冬、母の自転車はハンドルの取っ手部分に風よけの合成皮カバーをつけていた。でも、さすがにサイクリング車のドロップハンドルに皮カバーをつけて高校生が走るのはどうにも不格好すぎた。(女子の中にはカバーをつけていた子もいたように思う。)

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通学に使用していたこんな感じの自転車 

母に頼んで皮手袋を買ってもらうことにした。それも内側に起毛加工が施されているなかなかに立派なものだ。着けてみて合成皮の威力に驚いた。冷たい風をものともしないのだ。最強の防御アイテムを手に入れたような感じがした。

 

しかし、朝8:00前出発で片道30分強の道のりをそれなりのスピードで走るのだ。冬本番になってくると、さすがに皮手袋も冷え切ってしまい、指先がじんじんしてくるようになった。

 

そこで、皮手袋に軍手を重ねてみた。

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合成皮手袋に軍手を重ねる

皮手袋に比べ何とも薄い軍手は頼りなく思えたが、着けてみるとこれが意外と暖かい。隙間だらけの軍手生地だが、それなりに冷たい風を防いでくれるとわかる。多少、指を曲げづらくなるが動かせない訳でもない。

 

それよりさらに良かったのが皮手袋の汚れを防いでくれることだ。長距離を寒風の中走っていると、どうしても鼻水が出てくることがある。皮手袋で拭うのには抵抗があったが、軍手ならそれがない。保水力もあるので拭いやすいし、帰宅したら軍手だけ外して洗濯機に入れることもできる。皮手袋は乾きにくいが、軍手ならすぐ乾くし、代わりの軍手もたくさんある。なんとも好都合だった。

 

<冬の手袋は今でも>

私の手は傷つきやすくナイーブだと思う。冬の外出に手袋は必需品になっている。スマホを使うようになってから、スマホ操作対応手袋が必須になった。皸予防の意味も大きいのだが、ひるまずに手指が使えることが大事に思うからだ。

 

運動場の鉄棒を握ったら凍りつくんじゃないかと思うくらい冷たくて手を引っ込めたこともある。寒い日に転んでアスファルトが予想以上に冷たくて指の皮膚が切れたことがある。道路端の生垣に手が触れて知らぬ間に切れていたこともある。また、あたたか~いはずの缶コーヒーがあまりに熱くて、持つのに困ったこともある。

 

あまり性能の良い手とは言えないが、55年もの間こき使われて、怪我をすることもたびたびあったが、文句ひとつ言わずにまだ動いてくれる。せめて苦手な冬の外出くらいは手袋をして労わってやろう、傷ができたならラップ療法で早く治してやろうなんて気持ちにもなる。と言いつつ、結局、手を働かせて手袋を着けたり、ラップを巻いたりするのだけれど。