tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn33.読書感想文の追想文(小学校編)

 今週のお題「読書感想文」が出ていた頃に書き始めた記事です。上手くまとめられないまま、ツレ父の介護に入るようになったのですが、改めてまとめてみました。でも、長文になったので、分けることに。今回は小学校編です。

※注意それぞれが、本のネタバレになっていると思います。

 

 

 一番古い感想文の記憶 『サルのブランコ』?

感想文の一番古い記憶は、確か小学2年生で原稿用紙に10枚程書いたことです。低学年の原稿用紙なので、1枚に200字だったと思います。ただ、感想文とは名ばかりで、本の文章の引用やあらすじがほとんど。いつどこでだれが何をしたか等を長々と書き、話のまとまりごとに一行ほど「それで、ぼくは~と思いました。」とだけ書き足すような感じでした。

 

本のタイトルは『サルのブランコ』だったと思っていたのですが、検索してもヒットしません。浜田 広介さんの童話に『子ざるのブランコ』があったので、それのようにも思います。残念ながら、ネット検索ではひろすけ童話「子ざるのブランコ」の中身まではわかりませんでした。

 

記憶にあるあらすじを簡単に書くと、

ブランコで遊ぶのが大好きな子ザルが山に住んでいました。ある日、山が火事になり、山の動物たちが逃げ出すのですが、大きな崖の谷があって、そこから先に進めません。そこで子ザルが、ブランコを大きく揺らし、動物を次々向こうの崖に渡して難を切り抜けたのです--。

そんな話だったと思います。 

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『サルのブランコ』? 頼りない記憶からのイメージ

 

先生に見てもらって、長く書いてよく頑張ったのほめ言葉よりも、これは感想文じゃなくてあらすじだと言われたことの方が印象に残っています。感想文に苦手意識を持つきっかけになりました。でも、嫌いになったわけではありません。本で知ったことを書くより、思ったことを書くことの方が大変だと思いました。

  

小学校の読書感想文

小学校では毎年、夏休みの宿題に「絵と文でつづる読書感想文」が出されていました。夏休み明け、宿題がそのままコンクール出品作品になっていたと思います。

課題の図書が何冊かあり、その中から選びました。夏休みの度に1冊新しい本を買うことになりますが、このシステムは嫌いでは無かったです。ただ、課題図書は必須ではなく、好きな本を選んでもよかったはずです。

どの本を何年生の時に選んだのか定かではないですが、記憶に残っている本を3つ紹介します。

 

『友だちになるとき』(タイトル、作者等不明確)

東京から大阪だったか、転校してきた小学生の女の子の話。なかなかクラスに打ち解けらず、友だちが欲しいと思いながら過します。いろんなトラブルがありながらも、それを乗り越えて友だちになっていくお話です。

 

ただ、一番憶えているのは、風雨の強い夜、まだ住み慣れない家の雨音が気になって、あまり寝られなかった場面です。眠れない夜の不安に共感したのだと思います。

 

本のピンク調なカバーが、女の子向けをアピールしているようで買うのが気恥ずかしかったです。何故この本を選んだのかは忘れました。感想文では最後に、主人公に語りかけるように「たくさん、ともだちつくろうね。」みたいな終わり方をして、それを盗み読みした兄に笑われたのを憶えています。感想文にあわせて絵も描いたのですが、どんな絵にしたのかは憶えていません。

 

『むくちのムウ』 吉田とし(作) 鈴木義治(絵・装幀)あかね書房

学年の始まりに先生から名前を呼ばれても返事をせず、「ムウ。」とだけ答えた少年の話です。学校ではしゃべらないので、クラスでは、無口のムウという名で呼ばれるようになります。実は、ちょっとしたきっかけで始めた無口だったのですが、それをクラスに言い出すことができないまま過ごしていたのです。そのことを仲良くなった近所の友だちのおじいさんにだけ話して、少年はある決心をするのでした。

 

誰にも言わずにいる本当の自分を胸に仕舞い込み、周りに合わし続ける辛さ。そんな誰もが経験しているだろうことがお話のベースにあるので、この話がずっと心に残っているのだと思います。私にとっては、とても心に残っている本です。

 

絵には、おじいさんと少年がお話している場面を描きました。ジュースの入ったコップの色を、水彩絵の具でどう塗るか、悩んだのも憶えています。水だけで塗ってみましたが、画用紙が白なので白にしかならず、少し水色をつけた方がコップらしく見えるのに驚きました。 

 

 『霧のむこうのふしぎな町』 著:柏葉 幸子 絵:竹川 功三郎

購入した本の表紙は、霧のかかった森の中に、柄の先にピエロがデザインされた赤い水玉柄の傘が開いたまま落ちています。このデザインも女の子向けのアピールに思えて気恥ずかしかったのですが、むしろ、その絵に魅かれて買いました。

 

夏休みの間、お父さんの勧めで、ピエロがデザインされた赤い水玉模様の傘を持って、女の子がお父さんが過ごした町を探しにでかけます。森の中で迷っていると、風に傘が飛ばされ、追いかけて行くと霧の中にその町を見つけます。その町は、働かなければ食べていけない決まりがある町でした。

 

そんなお話です。後年、有名なアニメ『千と千尋の神隠し』にも影響を与えたとして話題になりますが、前知識無く映画館でアニメを観ながら、このお話を連想したのを覚えています。原作の真似とか、著作権なども話題にったようですが、私は子どもが大人になっていく過程を繊細に描いた両作品がどちらも好きです。そもそも、二つの作品に何らかの繋がりが見つかると、問題視する風潮に疑問を感じます。(もっとも、高校生の頃は私もその一人でしたが)

 

子どもと大人の違いと繋がり、そして、夏休みの非日常の体験、それがぎゅっと詰まった作品です。

学校の長い休みの度、小学校低学年頃まで、兄弟二人で祖父の家に寝泊まりしていた経験と結びついて、どこか親近感のある物語です。 

薪を燃やしての風呂焚き、田畑の手伝い、家畜の世話の手伝い。決して楽ではなかったし、厳しかった祖父宅での宿泊でしたが、今なお、私の大切な体験となっています。 

どんな絵にしたのかは、記憶があやふやです。

 

感想文を書く意味

他に、沖縄でサンゴ礁の海に潜ったお話、オオカミが狩りをする話などで感想文を書いた気がしますが、上記の3作に比べるとかなり印象が薄いです。

 

こうした感想文は、書かされたという印象が強く、あまりいいイメージはなかったのですが、いつ頃からか書いてよかったと思うようになりました。

読んだ本の内容や当時の感じ方を記憶できることもありますが、それよりも自分が思ったことを言葉にする大切さや難しさに気づけることの方がより大きいメリットだと思います。

 

楽しかったことを「楽しい」という言葉を使わずに書けるようになりましょうとは、小学生の頃に先生から言われた言葉です。

 

「楽しかったです」「すごかったです」「嬉しかったです」「悲しいです」等は、感想ではなく、定型文のようにも思います。それを使ってはいけないということではありません。ただ、それらは「あけましておめでとうございます」と同じくらい誰もが言える表現であって、そこには自分がいない気がするのです。

 

一方で、思ったことより、そう思った過程や理由にこそ自分らしさがある。なんて考えてしまって、ついつい長い文章になるのは、多分、自分らしさが曖昧だからなのでしょう。結局のところ、無意味に長い感想文を書いた小学2年生の頃から、自分は成長していないのかも知れないとも思います。私が無味乾燥な感想文から脱却できるのは果たしていつになるのか、まだまだ先は長そうです。

 

 

今週のお題「読書感想文」