tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び30.「北に10km、東に10km、南に10km進めば元の場所」の別解と常識と非常識

問題と答え

ある場所からぴったり北に10km、東に10km、南に10m移動すると元の場所に戻ってしまいました。ある場所とはどこでしょう?

 

答え 南極点

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北に10km、東に10km、南に10km進めば元の場所

この問題は小学校の高学年だった頃に知り、その答えも納得ずみでした。

ある場所が南極点なら、北に向かった距離を南に戻れば、どれだけの距離を東に進んでも元の場所に戻れます。南極点の特異性を知っていれば、わかる問題です。

 

 

別解に出会う

ところが、解決済みだったはずの問題が、高校時代に別の答えに出会います。これはマーチン・ガードナーの本に載っていたように思いますが自信はありません。

南極点とは別に、北極点付近にも答えがあるというのです。

つまり、北極点に向かって10km進み、東に10km進むと、くるりと回って丁度、東に進み始めた地点に戻る場合です。計算上、北極点から約11.592km離れた円周上ならどこでも条件に当てはまります。

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北極点から約11.592km離れた円周上

更に、東に10km進むと丁度2周する地点もあります。計算上、北極点から約10.796km離れた円周上になります。

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北極点から約10.796km離れた円周上

当然、3周、4周、5周…できる場所でもOKとなります。もっと言えば、北極点から10.000154km(10kmと15cm4mm)離れた場所から北へ10km進むと、北極点を中心にした円周は1m。それを1万回回れば10kmです。突き詰めて行けば、正解が帯状になっていて「北極点から約10km離れた円周上」も正解と言えそうです。

それまで、地球上で南極点だけが答えだと思っていましたが、北極点からほぼ10km離れた場所付近に正解が無数にあることを知り、軽い衝撃を受けました。

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「北に10km、東に10km、南に10km進めば元の場所」正解のイメージ

 

当たり前だと思っていたことが実は特別だった

当たり前だと思っていたことが、実は特異なことであり、そうでないことの方が圧倒的に多い。

この問題は、そうした経験を与えてくれました。しかも、意外と多いです。

 

方言

たとえば方言が当てはまります。

値段を聞くとき、標準語で「いくら?」と聞きますが、私の地域では大阪同様「なんぼ?」と聞きます。「買物ブギー」という歌の歌詞は

「ちょっとおっさん こんにちは ちょっとおっさん これなんぼ 

 おっさんいますか これなんぼ おっさんおっさん これなんぼ」

と、大阪弁を連呼しますが、「なんぼ」が方言と知ったのは小学校中学年だったでしょうか。それまで当たり前に使っていた「なんぼ?」ですが、修学旅行に行って値段を聞くときに「なんぼ?」と言うと恥ずかしいから気をつけなければ、と私も友人も思い始めました。やがて、いつからか「なんぼ?」を使わなくなった気がします。

信号の色

信号の色も、日本では止まれが赤、進めが青となっていまいたが、世界的には青でなく緑です。日本語では緑を青いと表現することから誤って広まったそうです。新緑を青葉と言う如しです。世界に合わせて青を緑にしようとした一時期、青信号なのに緑だという苦情がたくさんあったとも聞きました。

他にも、ミシンはマシンの、アイロンはアイアンの聞き違えから定着したらしい等を知り、身近な当たり前が、世界基準では特異な例になっていることに驚かなくなりました。

 

常識と非常識の逆転

電話番号

固定電話が主流だった頃、電話番号は電話帳に載せるのが当たり前でした。電話帳は電話番号を知るのに必要なアイテムでした。ところが携帯電話が普及し始めた頃から風向きが変わります。一つは、一度登録すれば電話番号を覚えたりメモをしたりする必要が無くなり、電話帳で調べるより早く電話がかけられるようになったこと。また、いたずらや詐欺、情報を聞き出す等、悪意ある電話を避けるため、電話帳に載せる人が減りました。携帯電話を持つことが当たり前になった頃には、電話番号を通知するのも当たり前になりました。非通知の電話番号からかかってきた時は不審に思い、心当たりがなければ無視することも珍しくありません。黒電話の頃には、電話が鳴れば出ないと気になっていたのに、今や出て大丈夫だろうかと気になる時代になりました。

メールアドレス

メールアドレスも、1998年頃までは伝言板に書きこむ際、メールアドレスを記入するのがマナーとされていました。しかし、スパムメールやウイルスメールの広がりとともに、基本メールアドレスは記入しないのが普通になりました。

監視カメラ

かつては監視カメラを見かけると、自分が不審者と思われているようで嫌な気になっていました。しかし、今では、防犯カメラやドライブレコード等、安心するために広く定着したように思います。

子どもへの声掛け

子どもへの声掛けも変わりました。子どもの頃、登下校中に知らない人から道をたずねられたことは何度もありました。知っていれば家まで案内してあげた経験もあります。そしてそれを、いいことをしたねとほめられる時代でした。よく知らない人でもあいさつをして、知ってもらう方が身を守ってもらえるから安全だと言われていました。近所の人に愛情を持って怒られることもありましたが、困っていると誰もが助けてくれたようにも思います。

それが今は、子どもに道をたずねると不審者と思われても仕方がないという風潮になってきました。子どもも、知らない大人から声をかけられると不審者かも知れないと警戒するのが当たり前になったような気がします。

 

常識か常識の外か

「常識は限られた中でしか通用しない。」

この言葉は常識か、非常識か。

それは「南極点」の答えや、方言、電話番号等と似ている気がします。「常識」の内容だったり、「限られた中」の範囲だったりの違いはあれど、状況が変われば、とらえ方も変わり続けそうです。

最近では、マスクや、列の並び方等の常識が変わったと言えそうです。

 

思い込みが強かったり、周りの変化に無頓着でいると、自分の知る常識の外(ほか)のことが理解できない状態になってしまいます。変化することの是非はともかく、状況の推移や、思考の変化を柔軟に受け止められる心構えは持っていたいです。

 

 

今週のお題「外のことがわからない」