tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び18.「ちはやふる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは」とは

ご存じ、小倉百人一首の中でも有名な歌の一つです。もしかしたら、百人一首の競技カルタを扱った『ちはやふる』の漫画やアニメ、実写映画で知った人もいるかと思います。

カルタや坊主めくりとして遊んだこともある百人一首ですが、高校時代に少し興味を持って、幾つかの本を拾い読みしたことがあります。多感だったこともあるのでしょうが、この時「百人一首には、色恋や不倫を秘めた歌が多い」偏見を持ってしまいました。

 

 

秘めた色恋だと思えてしまう歌の例

「玉の緒よ絶えねば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」

これまた特に有名な歌ですが、燃え上がる不倫の炎に、いっそ絶えてしまえ、長引けば忍ぶ恋を続ける思いが弱っていくだけだろう、と読み取れてしまいませんか?「玉の緒」とは命の意味ですが、玉のついた緒とは何かと考えてしまった少年もいました。そう考えると忍ぶのは、恋と言うより声かも?もごもご・・・。

 

「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」

通常、歌意としては「あなたにめぐり会えたのに、わずかな間で帰ってしまった。」となっていますが、夜半(0時ごろ)に月の明かりを頼りに、相手の気持ちを確かめる間も惜しんで、二人で雲隠れしたと読むのは無謀でしょうか。居待ち月(十八夜)頃の逢瀬と考えれば、なんともロマンチック過ぎです。

 

「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ」

これは明らかに男女の事の後ですよね?「長からむ」なんて、長い黒髪が素肌の身体に絡んだ様子に思えませんか?違った読みだとしても、誤訳されることを見越して選んだ言葉に思えるのです。

 

ちはやふる」よ、お前もか。

そんな煩悩からの誤解?に溺れそうな少年にとって

ちはやふる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは」

は純粋に、神の時代でさえ見ることができなかったと思える程、龍田川を鮮やかな紅に染めた秋の景色を詠んだと思えました。

その景色はきっと、こんな中途半端な紅葉ではなかったはずです。 

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近くで見かけた紅葉

 もちろん、こんな川でもなかったはずです。

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近くの全然紅く染まっていない川

どれほどに鮮やかな紅葉が、どれほどに多く流れた川であったことか。

そんな羨望もあったのに、この歌もまた色恋の歌だそうで・・・。

龍田川という力士が、千早(ちはや)という花魁(高級遊女)に振られた歌だというのです。しかも、振られた龍田川は、次に神代(かみよ)という花魁に言い寄るものの、聞いてもらえず、結果的には、入水自殺をしてしまったのだとか。

ちはやふる」よ、お前まで色恋に溺れる歌だったのか・・・。

 

種明し

既にお分かりの方もいるかと思いますが、上の「ちはやふる」は、落語の話です。煩悩に悩まされる高校生だった私は、この話にちょっと救われた気になりました。百人一首等の短歌をどうしても色恋沙汰に読みたくなってしまうのは私だけじゃなかったのです。私が秋の景色を詠んだと思う歌でさえ、色恋に読もうと奮闘した人がいる証を見つけた気分。なんだ、私以上に煩悩におぼれた人がいたんだという安堵感。

 

ところが、『ちはやふる』の映画には、落語とは別の恋、天皇のお妃様との禁断の恋が秘められた歌という説があるそうです。映画、漫画は未見なので詳しくは知りませんが、時を越えて百人一首の歌に色恋を見出したい人が少なからずいるのは確かなようです。

 

でも、紅葉の景色の歌に色恋を詠み込んだり、読み取ったりしたくなる感覚はわかる気がします。ロマンチックな景色と想いの組み合わせは、これまでにも数々の色恋を育んできたはずですから。

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近くのロマンチックに続く道

 

今週のお題「紅葉」。