tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn18.「白秋」(人生の秋)を楽しめるのは、「青春」と「朱夏」あればこそ

あなたの青春時代(人生の春)は何歳まででしたか?そして、その後はどんな時代ですか?

 

今週のお題「○○の秋」。今回は「白秋」(人生の秋)について考えてみます。

 

「青春」という言葉は、よく使われるのに、その後に続く「朱夏(しゅか)」、「白秋(はくしゅう)」、「玄冬(げんとう)」の言葉が一般に使われないのは、何故でしょう。まるで青春が終われば、人生のほとんどが終わったかのよう。でも、明らかに青春時代より、それ以降の方が圧倒的に長いです。(若い頃は、それがわかってませんでしたが。)

 

あくまで私の勝手なイメージですが、

青春時代とは、人生の種を植えるまでの頃、どんな人生になるかの青写真を描く、あるいは人生の輪郭がまだ淡いままの時代。

朱夏時代とは、種から芽を伸ばし社会の一員として大きく育つ頃、また自分が何者なのかが明らかになる時代。

白秋時代とは、人生を賭けて育てたものを収穫する頃、人生の集大成であり、また人生の中で白眉の時代。

玄冬時代は、収穫したものを楽しむ余生を送る頃、または人生の達人、玄人として、青春、朱夏、白秋を生きる者たちを見守る時代。

 

 

「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の言葉を知ったのは高校時代です。当時は、男性の平均寿命が75歳より短く、ぼんやりと一つの時代が20年ずつくらいかなあと考えていました。「玄冬」は死後の世界であり、生まれる前でもあるという説も聞いたことがあります。

 

高校時代は、とにかく勉強をする時代でした。もちろん、遊びもしましたが、映画やパズル、短編小説等もそれまで全く知らなかったことに出会う連続だったので、勉強と言えなくもないです。目指す職についても、まずは大学に入らないと挑戦すらできない状態だったので、関心はありましたが、圧倒的に試験勉強が優先でした。高校卒業して20歳を迎え成人になった時点では、まだ学生で収入も無く、どんな人生にしたいかのイメージも乏しく、まだまだ青いなと思ってました。私にとっての青春は、職に就く25歳くらいまでのイメージです。

 

働きだしてようやく、学生気分は吹き飛ばされ、収入を得るという意味で生活を賭けた真剣さ、誰かの人生に大きな影響を与えてしまうという意味での責任感などを感じるようになりました。目指すものが淡い青春時代と違い、目指すものが明らかな朱夏時代を迎えた気がしていました。仕事で活躍すれば、周囲の人への好影響がはっきり見え、よし、次も頑張ろうとなるし、失敗があれば、どうしてこうなったのかと落ち込み、周囲の人の助けを得ながら、なんとか耐えてやり過ごすこともありました。トータルに見れば充実感の方が大きかったと思います。

 

ただ、その仕事は25年程続けたものの、心身ともに疲れ果て、病気を患い、退職することになりました。『あしたのジョー』のように、真っ白に燃え尽きたとは言えないでしょうが、それなりにやり切った感はあります。今は充電中の秋と言った感じですが、春、夏が充実していた分、やれることも多いです。映画やパズル、このblogなどの文章作成や、時にかつての仕事関係から相談を受けることも。仕事を辞めると同時に老け込むという話も聞きますが、私の場合、今のところそれとは無縁のようです。お世辞なのでしょうが、仕事を辞めてから若くなったとも言われます。もっとも、仕事を辞めなくてはいけなくなった頃が酷かったので、あれ以上老け込んでいたら、短い秋のまま冬を迎え、余生無く終えたかも知れません。

 

とは言え、このまま安泰の秋で居られるはずもないので、充電が終わった後のことも視野に入れ始める必要があります。本格的な再就職か、本格的な親の介護か、秋の天候は変わりやすいと言いますから、まだ判断のつかない部分がありますが、本格的な秋の到来は、近づいています。収穫し損ねることなく、きっちり人生を収穫したいです。

 

このblogもそう。私の人生の意味を収穫する手段の一つになっています。

 春や夏に恥じることの無いよう、しっかり楽しみたいです。

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<余談「青赤白黒の4色」>

かつて言葉として使える色は青赤白黒だけの時代がありました。そのため、この4色だけは、色の後に「い」をつけるだけで、青い、赤い、白い、黒いの形容詞として使えます。その後、4色に黄色、茶色等が加わり、黄色い、茶色いとう使い方が広まったそうです。緑の山を青い山と表現するのはその名残。青信号というのに緑はおかしいと言われて、国際基準では緑の信号なのに、青色に変えようとしたこともあったそうです。その影響のせいか、青信号は中途半端な青緑って感じですね。確かに青い緑という表現ははわかりにくいですね。

 

中国の五行思想には黄色も含まれますが、先の4色について補足します。

「青春」の色は青。未熟(例:青い奴)、淡い等の意味にも、方角は東。

朱夏」は朱(赤)。熱い、明らか(例:真っ赤な嘘)等にも、方角は南。

「白秋」は白の他、金や銀も。金色の稲を収穫する意味もあるそうです。方角は西。

「玄冬」は黒。死、死後、生まれる前、達人(例:玄人)の意味も。方角は北。

 

玄冬を死ぬ直前、死後としてのみとらえる向きもありますが、本来四季のように移ろうことを前提に季節が与えられています、春に繋がる意味を持たせていることは大事な考えだと思います。一説では、生まれてから物心つくまでの間も玄冬に含まれるのだとか。このことは今回の記事を書く前に下調べをしていて知りました。

 

人生観というものは、古来より深く深く考えられていたのですね。

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