今週のお題「理想の老後」。老後が、老けた後という意味なら、残るは朽ち果てるだけって感じになるので、呼び方を何とかできないかと素直に思います。そこで、この記事では「老後」の代わりに「余生」という言葉を充てます。「残しておいた人生」や、より積極的に「とっておきの人生」という意味。ほら、少し言葉を変えるだけで光が差すような、一歩理想に近づいた未来になってきませんか?そこから始めましょう。
高校時代に100年カレンダーを購入して、長らく部屋に貼ってありました。太平洋戦争太平洋戦争だけではなく日中戦争を含めた15年(※ 2021.8.9訂正)の間は、薄赤の地になっていました。二度と薄赤の地になることが無いよう祈りを込めて発行したという話だったと思います。そのことが新聞に紹介され、自分のお小遣いで買ったのです。さすがにかなり色褪せ、ずいぶん前にはがされました。そのため、何年まで書かれていたかの正確性には欠けますが、恐らく2030年まではあったように思います。事故でもなければ私が生きている内、それも仕事を辞めた後、カレンダーが先に終わるだろうとぼんやり考えていた気がします。
カレンダーを購入した当時は、米ソ対立が激しく、核兵器開発競争の真っ最中。いつ現在が薄赤の地になるかもと思っていました。その次の気がかりは1999年の地球滅亡の日。これは、かなり疑わしいと思っていました。そして2001年には、『2001年宇宙の旅』のような宇宙旅行ができるかもと期待がありました。折しもスペースシャトル計画進行中で、宇宙旅行の可能性も話題になっていましたから。
でも結局、あの頃想像したことは未来になることなく、今があります。
高校時代に夢見た余生は、宇宙旅行でした。当時考えていた順調な宇宙開発からは大きく外れましたが、まだ可能性がゼロではない以上、今も宇宙旅行の夢はあります。現実的かと問われれば「う~~ん」と考え込むしかありません。でも、80年代前半に今のパソコンやスマホの普及をほとんどの人が想像できなかったように、何らかの爆発的な技術革新が起きることに期待したいです。
宇宙旅行と言っても、月まで行くとかではありません。安全に大気圏から出るまで、ずっと地球を眺め続けていたい。それも、窓に向かって人差し指を立て、腕を伸ばしながら。そう、水平線を確かめたいのです。飛行機からでは不確かだった、水平線が目の高さより下に見えると感じるのはどの高さからなのかーー。
少年時代に不思議に思い、成人後になって確信を得たことを、余生で実証したいのです。もっとも、大気圏から脱出する前、6Gとも言われる圧力に気絶するかも知れません。でも、それはそれで、水平線が目の高さより下に見えるのはどこからなのかを確かめたい夢は持続できそうです。
でも結局、今想像したことは未来になることなく、余生を送るかも知れません。そればかりか、余生を迎えることもできず、困窮した暮らしをしているかも知れません。
それを踏まえても、理想の余生を一言でいうなら、やはり追いかける夢が持てること。どれほどの夢が実現できたとしても、その後、追いかける夢が無いというのでは、がっかりです。もし、宇宙旅行が実現できないと確定したなら他の夢を探すでしょうし、実現して水平線の高さを実証できても、次の夢を見ていたいです。「とっておきの人生」である余生において、求める夢(幸せ)がないなんて、想像もしたくありません。
現実的な話をするなら、理想の余生は仕事に縛られず、もし、仕事をしているとしても、人生を謳歌する手段の一つに留めるといった感じでありたいです。それさえ現実的とは言えない今現在かも知れませんが、夢を無くした余生ならば、本当に残るは朽ち果てるだけって感じになってしまいそうです。
高校時代にクラスメイトから「ロマンチストじゃ飯は食えない」と言われましたが、今でも「飯が食えてもロマンがないなんて、何のために生きるんだろう」と思ってしまいます。私がずっとロマンチストでいることも、理想の余生に欠かせない一つです。ただ、やはり戦争のない余生にしたいという思いは、高校時代からずっと続いています。