山道を歩いていて迷ってしまい、ある分かれ道にたどり着きました。左右には一体ずつお地蔵さんがいます。道の真ん中にある案内板には、こう書かれていました。
『ここは生死の分かれ道。左右のどちらかが正直地蔵でどちらかがうそつき地蔵です。どちらか一体に一度だけ質問ができます。ただし、地蔵は「はい」か「いいえ」のどちらかしか答えられません。どうぞ、上手な質問をしてください。あなたが生還できる道を選び歩んでいかれるよう祈っています。』
多少の脚色はありますが、高校時代にこんな感じの問題(パズル)が話題になったことがありました。当時は、正解があるのか半信半疑ながら少し考えてみたものの、あっさりあきらめて、答えを教えてもらったと思います。
答えを聞いてから、ようやく問題の意図がわかって、悔しくなりました。もう少し易しい問題から取り組みたかったとも思いました。もっとも、悔しかった分、印象に残ったのでしょうけれど。
そんなわけで、まず簡単な類似問題を用意してみました。
Q(1)
A地蔵とB地蔵がいます。どちらかは嘘が言えない正直地蔵で、もう一つは嘘しか言えないうそつき地蔵です。二体の地蔵が言いました。
A「私は正直地蔵です。」
B「Aに正直地蔵かと聞いたら、はいと答えます。」
正直地蔵はA、Bのどちらでしょう?
<答え>(カーソルで文字を反転させると見えます)
A:うそつき地蔵 B:正直地蔵
<解説>
正直地蔵でも、うそつき地蔵でも「私は正直地蔵です。」と話すことに気づけば、B地蔵が「Aに正直地蔵かと聞いたら、はいと答えます。」と言えるのは正直地蔵だからということになります。
Q(2)
「はい。」か「いいえ。」としか答えられないA、B、Cの3体の地蔵がいます。地蔵は正直にしか答えられない正直地蔵か、嘘しか言えないうそつき地蔵のどちらかです。
Aに「Bに正直地蔵かと聞いたら、Bは、はいと答えるか?」と聞くと「はい。」と答えた。
Bに「Cに正直地蔵かと聞いたら、Cは、はいと答えるか?」と聞くと「いいえ。」と答えた。
Cに「ここにいる3体の地蔵は全部、正直地蔵なのか?」と聞くと「はい。」と答えた。
A、B、Cそれぞれ、正直地蔵かうそつき地蔵かを答えてください。
<答え>(カーソルで文字を反転させると見えます)
A:正直地蔵 B:うそつき地蔵 C:うそつき地蔵
<解説>(カーソルで文字を反転させると見えます)
Cへの質問について。Cが正直地蔵だとすると、A、Bの話がくい違うのは矛盾になるので、Cはうそつき地蔵。
Bへの質問について。Cがどちらの地蔵でも、Cに正直地蔵かと聞けば、Cは「はい」と答えるしかないのに、Bは「いいえ」と答えているので、Bはうそつき地蔵。
Aへの質問について。Bがどちらの地蔵でも、Bは「はい」と答えるしかない状況で、Aが「はい」と答えているということは、Aは正直地蔵。
では、Q(1)、(2)を参考にしながら、
Q(3)
『ここは生死の分かれ道。左右のどちらかが正直地蔵でどちらかがうそつき地蔵です。どちらか一体に一度だけ質問ができます。ただし、地蔵は「はい」か「いいえ」のどちらかしか答えられません。どうぞ、上手な質問をしてください。あなたが生還できるよう祈っています。』
では、どんな質問をすればよいでしょう。
※ 「正直地蔵とうそつき地蔵」の答えはこちら。
ここでの問題は論理パズルに分類されます。幾つかの条件やヒントから、矛盾が生じない解答を見つけるのを狙いとする問題が多いです。
今回紹介した問題の面白さは、『正直地蔵でも、うそつき地蔵でも(質問によっては)同じことを言う。』点に尽きると思います。相手が正直か嘘つきかわからない時、得た答えの真偽は不明だとシンプルに教えてくれます。つまり、どんな相手かわからないのに、相手の言うことを無条件に信じるのも、疑うのも得策ではないということです。
ここから派生して、信じることと疑うことは、単純に相対立するものでないと考えるようになりました。「疑うことなく信じるなかれ、信じることなく疑うなかれ。」です。
疑うことなく信じるのは、妄信。
疑っても疑っても疑いようのないことを信じるのが確信。
信じるものもないのに疑ってかかることは偏見。
信じよう信じようとしても疑ってしまうのは疑心暗鬼。
これは大学時代に行き着いた自分なりの結論です。その後、この結論もさらに補完されていきますが、それはまた別の話。
何にせよこの問題は、パズルの内容と人生訓とが繋がった珍しいパターンとなったのでした。