tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

制御できない衝動の向こう側を思う

今週のお題「人生最大の危機」。ですが、ここは高校時代ブログなので「高校時代最大の危機」と変換しての登校です、もとい、投稿です。

 

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 といっても下校時のことです。何が原因だったったのかは忘れました。自転車のスタンドを乱暴に蹴り上げたところから始まる記憶。自転車を傾けて止める一本足のスタンドでした。足の甲で強く蹴り上げたので、痛みが走り、さらにイラッときてました。そのまま校門を出て、土手を上る坂を越え、道を横断する直前に、赤信号に変わってしまいました。そこでも、イラッ!また、赤信号がやたら長く感じられて、イライラが募るばかり。自転車のハンドルやサドルを時折にバンバンと叩いてました。お気に入りの緑の自転車を、これほど乱暴に扱ったことは後にも先にもなかったと思います。

 

もし、誰かがその時の様子を見ていたら、「危なそうな少年」に見えたと思います。変な人に思われるかも知れないという自覚もありましたが、居ても立っても居られない感じだったのです。

 

信号が青に変わりペダルを踏み道路を横断して、川に架かる橋を渡りかけた時に、遂に我慢しきれなくなって、川上に向かって「バッカヤロー!!」と大声で叫んでいました。誰かに聞こえても構うもんか的に遠慮のない声でした。一度では収まらず、4,5回続けていろいろ叫んだと思います。

 

まだまだ青い少年でした。これで誰かから責められることがあったなら、それも仕方ない。それもまた運命だと開き直ってました。母校のすぐ近くの橋の上です。同じ下校中の人や先生にも聞こえたかもしれません。

 

しかし…。何も起こりませんでした。

国道を走る自動車は、スピードを落とすことなく走っていましたし、誰かが心配して声をかけてくれることも、注意を受けることもありませんでした。

 

全ては呆気なく終わったのです。誰にも見向きすらもされませんでした。その時のホッとした安堵と、一抹の寂しさは不思議な感じで記憶に残っています。その感覚のおかげか、それまでのイライラはいつの間にか消えていました。

 

何も起きずに終わったのですから、全然「人生最大」でも、「高校時代最大」でもなく、「危機」ですらなかったとも言えそうです。でも不意に沸き起こった衝動を自分が抑えきれなかったというショックは今でも残っています。周りの様子を確かめることなく突然の大声を出したのですから、もし、近くで自転車に乗った子どもがびっくりして国道に倒れこんだらとか、窓を開けて走る車の運転手がハンドル操作を誤ったらとか、後になって思いついて、場合によってはかなり危険だったかもと思い直しました。

 

そうは言いつつ、大声を出すのは、イライラ解消に繋がるという発見もあって、その後も何度か、多少の配慮の上で、自転車で走りながら大声で叫んだ経験はあります。友だちに声をかけて一緒に叫んだこともありました。以前、自転車を走らせながら歌を口ずさむことがあったと書きましたが、周囲に気を配った後、時に大声で歌っていたこともあります。今も締め切った車内で50歳を過ぎた男一人、大きな声で歌うことが時にあります。落語の堪忍袋ではないですが、それに似た感じかも。

 

まだ「キレる」や「ブチ切れる」等の言葉が一般的ではなかった時代の、何も起きることなく、全てが呆気なく終わった衝動でした。それでも、不意に沸き起こった制御できない衝動の怖さを知ったと言えば、それは「高校時代最大」であると同時に「人生最大」の「危機」を知ったと言えるようにも思います。あの「バッカヤロー!!」で衝動が収まらず、その向こう側に立ち入っていたらと思うと、今でもぞっとするのです。