tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画8.『U・ボート』(1)潜水艦の戦闘の原風景

最近、二つの潜水艦の戦闘シーンを描いた作品を観ました。一つは漫画『特攻の島』(佐藤秀峰)、もう一つは漫画を原作に実写化した映画『空母いぶき』(ただし、映画より原作の方が圧倒的に深いと思います)。それぞれの作品には、登場人物の心に秘められた葛藤が描かれ、確かに見応えもあります。

 

しかし、二作品を観ながら、35年以上前の高校時代に観た『U・ボート』が思い起こされたのは、単なる偶然ではないように思います。それは『U・ボート』で描かれた潜水艦の戦闘シーンが二作品を凌駕する迫力やリアルさがあったからでしょう。というより、先の二作品が『U・ボート』を意識しつつ作られたという気もします。結果、あらためて『U・ボート』の強烈な印象が蘇ったのです。

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高校生の時点で、U・ボートの存在は知っていました。第二次大戦中に、ドイツが潜水艦の威力を大いに示した一方で、その戦闘は過酷を極めたという話も本で読んだことがありました。当時の私は、過酷でありながらも、敵国に恐れられたU・ボートの強さとはどういうものであったのか?そんな感じで、この映画には、興味津々だったのです。

 

映画は冒頭から、そんなワクワク気分の少年の気持ちを高めてくれます。Uボートの乗組員は概して若い上、そこに若い報道班の主人公も初めて乗り組むのです。その主人公の気持ちと自分の気持ちが重なるような感覚があったのも覚えています。戦闘までの航海の途中では、まさに海の男と呼べそうな乗組員同士で盛り上がることも。戦時中に、敵国ばかりか自国さえもからかうような言動、この辺りは、旧日本海軍では考えられない軽さ、気さくさです。テスト潜行でこそ、深海の怖さや緊迫感もありましたが、それを乗り越えたことで、まるで自分たちの乗るUボートは無敵であるかのような不遜さも感じました。

 

その後、物語は過酷な戦闘に突入します。ホラー映画とは質の違う思わぬ恐怖の連続です。海に深く潜っているからこその恐怖感を見事に演出しています。潜水艦内の狭さ、閉塞感、深く潜る怖さ、目に見えない敵から伝わるスクリューやソナーの音、映画を観た人なら頭にこびりついてるであろう、いつどこから襲われるのか予測がつかない恐ろしさ、何より逃げ場がどこにもないことが、映画館の席の窮屈さと重なるのです。息ができないような錯覚になります。そこで繰り広げられる重苦しさは、頭を働かせれば想像ができる範囲を軽く超えていました。潜水艦にまったくの無知であることに気づかされるのです。

 

最初に感じていた不遜さは掻き消されました。また、その不遜さゆえに予測していた油断は禁物という警戒感も吹き飛ばされました。潜水艦の過酷さを嫌というほど味合わされます。

 

そして、窮地を切り抜け、浮上。思わず、拳を握りしめてガッツポーズをしていました。その痛快さ、この上なしという感じです。この時は、戦闘の結果云々よりも生還できたことへの共感、それに尽きます。嵐で荒れ狂う海にさえ、命あることを感謝したくなります。

 

「なるほど、U・ボート(潜水艦)の過酷さとはこういうものなのか。」と脳内に刷り込まれた感じ。迫りくる身の危険、そして命が助かった喜び、そんなもろもろがぎっしり詰まって、今でも潜水艦の戦闘の原風景となっているのです。

 

※「映画9.『U・ボート』(2)海の原風景と気まずさ」に続く。

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