tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び3.ショート・ショート(短編小説)

映画に対しての思い入れは強かったのですが、読書を楽しむという経験は、高校時代後半辺りから。といっても、当初、好んで読んでいたのは、SFの短編ものばかりでした。

 

その中で、特に星新一ショートショートにはまりました。はまったと言いつつ、それほどたくさんのお話を憶えているわけではないです。でもその後、星新一の名前をもじった1001編目のショートショートがいつ、どこから発表されるのかは気にしていましたね。1983年の秋か冬に「ショート・ショート1001編」を達成するのですが、関係の深い雑誌の数社に一斉に発表したため、「1001編目」の作品がどれなのか特定できないようになっていました。そのことを当時の雑誌(確か、『SFマガジン』)で知り、感銘を受けたのを憶えています。

 

星新一に興味をもった頃、他のSF短編小説も読むようになりました。眉村卓小松左京等も結構読んだのですが、誰のどんな話だったかがあいまい。「カッターで鉛筆削りをするのが珍しくなった近未来、鉛筆を削って見せたら、感激されて、鉛筆削り大会に出ることになる話」「山中の家に向かう途中で、以前、沼の方から助けを求められたような記憶を思い出す話」などがあったように思うのですが、記憶の自信は今一つです。

やがてSFのショートショートから離れ、芥川龍之介太宰治宮沢賢治などの短編、さらに長編の小説へと読む対象が広がっていきました。その点で言えば、読書の世界に誘ってくれたのは、星新一だったとも言えそうです。

 

当時、「ショートショートなら自分で書けるかも。」と安易に考えて幾つか作りました。一つ上の先輩が短編小説を書いていたこともあって、それも刺激になりました。

 

メモ用紙を切って、お話を書いていき、最後にホッチキスやテープで束ねるという作り方だったので、手の平に隠れる豆本ほどの大きさでした。お話の内容は、奈良の古代石を扱った話、変わった(不思議な)スプーンの話等。残念ながら現物は行方不明なのですが、幾つかのあらすじは憶えています。

f:id:tn198403s:20201013214414p:plain

短編小説 こんな感じ

「どんな材料(土や石)でも、一すくいすれば美味しい料理にできるスプーン。それを手に入れた男は毎日それで食事をすませ食費を残していくのだが、ある日、男は救急車で運ばれる羽目になる。美味しい料理に変えることはできても、栄養は摂れなかったのだ。」

「スプーンを触っていたら、突然バラバラになってしまった。よく見ると、それが立体のパズルになっていると気づき、元のスプーンの形に戻そうとする。苦労してようやく完成させ、他の人に自慢しようとしたのだが、どうしても再び分解することができず、誰にも信じてもらえなかった。」

そんな話を、何人かの友達にも読んでもらいました。豆本ほどの大きさなので、授業中に隠し読む人もいて、いつ見つかって先生に取り上げられるかと思いながらも、友達の感想を楽しみにしていました。

 

そうしたスプーンの小作品を9つ程書いた後、それらのスプーンも使った長編にも挑戦することに。豆本にして、6分冊だったかな?後で、おおよその文字数を計算してみると、原稿用紙100枚分程の量でした。この話はまた別の機会を見つけて書きたいと思います。

 

気になる人はこちら。