tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画18.『刑事物語』(1982年)と武田鉄矢

1982年のゴールデンウィーク中に行ったのが『刑事物語』。人気TV番組『3年B組 金八先生』で主演の武田鉄矢が、刑事役でカンフーアクションも演じるインパクトある作品で、聾唖者のことも取り上げている程度の前知識で観に行きました。

感想を一言で言うなら、武田鉄矢の意気込みを強く感じた作品でした。

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刑事物語』チラシを真似たイラスト

 

 

作品の見どころ

蟷螂拳

まずはアクションシーンの蟷螂(とうろう:カマキリの意)拳。その動きもさることながら、身体の筋肉がそれっぽく仕上がって見えるのです。演出上のメイクがあったのかも知れませんが、それでもかなり訓練していたことは見てとれます。同じように背が低くても、素晴らしいカンフーアクションを演じたジャッキーチェンの影響を強く受けていたそうです。

映画ではラスト近くの大暴れも見ごたえありますが、銀行強盗事件でのシーンも好きです。拳銃を構える犯人とやりとりする場面で刑事としての気構えが見てとれます。

そして、話題になったハンガーヌンチャク。これも身近なアイテムをうまく活かしていたと思います。ちょっと真似てみましたが、簡単ではありませんでした。

役柄

役柄としては、不良生徒からも慕われる金八先生役から、悪者をカンフーで次々とやっつけていく刑事役への変貌ぶりも衝撃でした。また、仕事仲間からは、小馬鹿にされたり、ミスを背負わされたり、やりすぎだと批判されたり。理不尽な扱いも多い中、黙ってそれを受け入れる強かさと不器用さが出ていました。

外見も長髪で胴長短足、服の見栄えもぱっとせず冴えない感じで、格好良さとはかなり距離があります。でも、正義感が強く熱い思いを秘めています。(ここは金八先生と同じ)

あらすじ

途中までのあらすじを紹介します。

主人公片山刑事は、博多のソープランド(作品の中ではトルコ風呂の呼称)の売春摘発の際、そこで働く聾唖の女性ひさ子と遭遇します。摘発は失敗となり、その責を負う形で彼は沼津に転勤になりますが、身寄りの無いひさ子を引き取り、兄妹として暮らすことにしました。

南沼津署では、連続殺人事件を担当。そんな中、蟷螂拳を使って解決した銀行強盗事件で重要な手がかりを入手し、連続殺人事件と売春組織とのつながりを見抜きます。しかし、売春組織はひさ子を連れ去り、片山は彼女を救うべく組織に乗り込むのでした。

最終的に事件は解決するのですが、『男はつらいよ』シリーズの定番、主人公の恋が降られて終わるのを踏襲しています。そして、転勤の命を受け、また別の場所に赴くという流れがシリーズになります。武田鉄矢主演で5作まで続くシリーズの第1作でした。

主題曲

吉田拓郎の「唇をかみしめて」です。良い歌で記憶にも残っていますが、こんな逸話があったそうです。

武田から依頼を受け、吉田がこの映画用に作ったもの。歌詞は広島弁である。スタッフは懐疑的で広島弁の歌詞も「広島が舞台でもないのにおかしい」と否定的であった。それに不満を持った武田は「実際に流して」と恋人との別れのシーンに合わせて流すと皆泣き始め即決となった。

やることなすことがうまくいかず、腐ってしまいそうなとき、癒してくれる歌です。

youtu.be

聾唖者

聾唖者とは耳が聞こえず言語を発声できない人のことです。ソープランドで働かされていたひさ子は、同じく聾唖の工員と結ばれることになります。同じ境遇の人同士が結ばれるのは自然なことという思いと、どんなに努力をしても障害をすべて理解することは難しいという落胆と、障害があっても前を向き自立する姿を応援したい気持ち等がかなり複雑に絡み合って、あのラストで良かったのか、あのラストが良かったのか、よくわからなかったです。

 

実は私の身近にも聾唖者がいました。散髪屋さんを営む夫婦です。かなり練習はしたのでしょうが、聞き取りにくい発音だったことを覚えています。髪を切ってもらっている間に時折、手が止まって手話で話をしていたこともありました。最初、何をしているのかわからず、髪を切る手が止まる空白時間に変な感じを受けましたが、慣れると平気です。

 

話が逸れますが、私が30歳頃だったでしょうか、こんなことがありました。お昼頃、空いた時間に見つけた初めての散髪屋に飛び込んで、髪を切ってもらったのです。そして、もみあげ部分の手入れをしていた時、お昼のお弁当の注文で何が良いかときかれた私の担当が、「スーパーのり弁デラックス。」と耳元で囁いたのです。耳がもぞもぞっとしたのですが、その声は相手にきちんと伝わらなかったらしく、聞き直され、もう一度「スーパーのり弁デラックス。」と囁きました。それ以来、「スーパーのり弁デラックス」がずっと耳に残っています。おかげで、何かの拍子に不意に思い出してもぞもぞっとしてしまうことがあります。実家近くの散髪屋のように手話だったら、あり得ないことでした。

 

振り返ってみると、障害を持つ人が自立する姿を描く作品は当時多かった気がします。後に知ったことですが、1981年は国際障害者年で、世界的な気運も関係していたのかも知れません。『刑事物語』を『エレファントマン』や『典子は、今』等と同列にはできないですが、私にとっては障害者を考える一つの契機になった作品になっています。

 

武田鉄矢について

記事の冒頭で、「武田鉄矢の意気込みを強く感じた作品」と書きましたが、武田鉄矢が「金八先生のイメージでずっと見られるのがつらい」というような話をしたのは、この頃ではなかったかと勝手に思っています。彼にとっては、この作品で金八先生から脱却できるかどうかという大きな挑戦だった気がするのです。

 

結局、『刑事物語』シリーズは5作(1987年)まで続き、金八先生スペシャル版を含めると、3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」(2011年)まで続きました。

 

ある時、渥美清から「役者が役のイメージを持たれて、お客さんに憶えてもらうことは大事なこと」と諭され、目が覚めたそうですが、『刑事物語』シリーズへの挑戦は、評価したいです。結果的には金八先生からの脱却にはならなかったかも知れませんが、アクションへの熱い思いや、やりたいことへの飽くなき挑戦精神も感じられました。この作品以外でも、坂本竜馬に憧れて『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』にも出演したり、彼原作の『プロゴルファーの織部金次郎』シリーズ等、納得の俳優人生になっているのではないでしょうか。

少なくとも、何事にも中途半端な挑戦しかできていない私からすれば、とても輝いています。

 

この作品だけで武田鉄矢を語るのには無理がありますが、彼の出演歴からは外したくない作品です。見て置く価値はあるでしょう。

tn26.「夢の3連休」と最後の「大型飛び石連休」

今年のゴールデンウィーク(以下、GW)は、5月2日(土)~6日(木)までの5連休となっています。毎年5月の3日(憲法記念日)4日(みどりの日)5日(こどもの日)は3連休です。この前後に土日が加わって5連休というのも珍しくありません。そうでなくても、月曜日固定された祝日が4つ(成人の日、海の日、敬老の日、スポーツの日)あるため、GWと合わせると年5回は3連休がある計算です。(オリンピック開催に合わせた特別な祝日の移動は別)

 

 1948年の祝日法の制定で、5月3日憲法記念日、5月5日こどもの日が休みになりましたが、当初は、5月4日にぴたり日曜が入らないと3連休にはなりませんでした。1973年に日曜日と祝日が重なった時の振替休日制度ができるまで、3連休が発生したのは、1952年、1958年、1969年の3回だけ。その後、1975年、1980年、1981年の3回発生しています。3連休は本当に珍しく、正に「夢の3連休」という感じでした。

 

ちなみに高校時代(1981、1982、1983年)のGWを見てみました。

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私の高校時代のGW

1983年の飛び石連休が出来過ぎといって良いほど大型でした。4月29日から1日飛びで休みと登校が4回も繰り返されています。当時の土曜日は、午前中は授業があり、休日ではありませんでした。まあ、だからと言って特別何かあったわけでもないです。

 

1985年に祝日と祝日の間に挟まれた平日が国民の休日と制定され、翌1986年からは5月4日は祝日ではない「国民の休日」とされました。祝日とどう違うかと言えば、日曜日と重なっても振り替え休日が無いのです。3連休は成立するものの、これには一定の疑問や不満があったようです。

 

平成に入り、それまでの天皇誕生日(4月29日)が「みどりの日」になりました。その「みどりの日」が2007年に5月4日とされ、ようやく祝日となったのです。これで日曜と重なっても振り替え休日ができ、4連休も珍しくなくなってきました。ちなみに、2007年以降、4月29日は「昭和の日」として祝日になっています。

 

週休2日制(土日休み)が広く浸透したのは1990年代後半からと言えると思います。金融機関や官公庁、一部企業では行われていましたが、学校の土曜休みが始まったのが1992年で、当初月に一回だけでした。それがだんだんと拡充され、完全に週5日制となったのが2002年でした。その間に、一般でも徐々に浸透していった感じがあります。(もちろん、土曜日が休みでない方も多いことは承知していますが。)

 

また、2000年と2003年に一部の祝日をハッピーマンデーとして月曜日に移したため、もはや3連休は珍しくなりました。ただ、その影響で、敬老の日秋分の日で平日を1日挟むパターンが生じ、「祝日と祝日の間に挟まれた平日が国民の休日」によって、シルバーウィークなる言葉も出ています。

 

 

 

新しいカレンダーを見ると、つい連休をチェックしたくなるのは今と昔で変わらないと思いますが、「夢の3連休」は遠い昔という感じになりました。「飛び石連休」も、休み、登校、休み、登校の2回までに落ち着きました。振り返ってみると、3連休はずいぶん増えたなぁと思うのでした。

 

車輪だけが走る?!自転車の激レア体験

友人と4人連れになり、自転車で下校していた時のこと。国道に沿った歩道を、前2人、後ろ2人になり、並んで走っていました。まだ、自転車は歩道を走るのが一般だった時代とはいえ、並列走行はよくないのですが、人通りも少ない田舎の国道でした。

 

話をしながらも、視線は当然、前を向いていたのですが、ずっと視界の端にあった友人の姿が不意に消えたと思ったら、なんと走っているのが車輪だけ!結構スピードを持って走っていたように思います。

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走っていくのは車輪だけ!

と、ほぼ同時に、後方でガシャーン!!と大きな音。

音に驚き自転車を止めて振り向くと、友人が前輪を失った自転車で前傾姿勢のまま、横倒れになっていくのが見えました。いえ、見えた気がします。実際には、1秒も無かったはずなのに、私の目にはとてもスローモーション。目が釘付けになってそう見えたのか、はたまた脳内で勝手にイメージした光景が記憶に刷り込まれたのかでしょう。

 

一瞬、走行中の自転車から前輪が外れたとは理解できず、何度か車輪の転がった先と、倒れ込んだ友人と見返し、車輪が車道に出ていないのを確かめて、友人の元に駆け寄りました。後ろにいた別の友人2人も驚いた様子で、既に駆け寄っていました。幸い、友人に大した怪我はなかったはず。そのときは安心して、悪いと思いつつも我慢できず笑ってしまいました。友人は、思いもよらぬ出来事であちこちに痛みもあったろうに笑われたのですから、少なからず怒っていたようです。それにしても、大怪我にならなかったのは奇跡です。振り返ってみてもそう思います。

 

ただ、この時の状況で、車輪が走って行った記憶と、友だちが倒れ込んだ記憶が交錯している部分もあります。車輪が転がって行った先が、車道でなかったのは確かですが、歩道の上で止まったのか、国道横の田んぼに転がり落ちたのか不明。また、友だちが倒れ込んだのが歩道の上だったか、田んぼに落ちたのかもあいまい。車輪だったか、友人と自転車だったか、田んぼから道に上げた記憶がぼんやりあるのみです。

 

その後、どうやって友人が帰ったかもあやふや。近くの公衆電話からだったか、家に連絡して迎えに来てもらい、軽トラの荷台に自転車を乗せたような、キャラバンタイプの車に乗せたような。やはり、私も相当気が動転していたのでしょう。

 

また、これと似たシーンを夢で繰り返し見たのも、記憶が曖昧になっている要因だと思います。ある時には、私の乗った自転車の車輪が外れて、舗装した道路にあごを強打し、歯が何本も抜ける夢を見ました。またある時は、前輪が外れると同時に、映画『E.T.』のシーンのごとく、空高く飛んでいった夢も憶えています。

とにかく、それだけ大きなインパクトがあったのは確かです。

 

 

今回、記事を書くに当たり、似た例がないか調べてみました。

すると、国民生活センターのサイトに資料としてPDF形式のファイルがありました。

http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20180301_2.pdf

自転車の前車輪の脱落に注意
スポーツ車などのクイックレリーズハブは乗車前の使用者による固定確認が必要です―

ただ、ここに紹介されているのは、いわゆるスポーツタイプの自転車で車輪の着脱に工具が不要なクイックレリーズハブ構造の危険性を周知させるのが主眼でした。事例を見ると、走行中、前輪が外れた時の怪我は大抵、かなり大きいようです。

一般的な自転車はナットで車輪を締める構造で、外れる事例は少数派でした。でも、2012年度~2017年12月31日までに、前車輪が脱落した相談30件の内、8件がナットタイプでした。約6年間の報告で8件ですから、珍しいとはいえ起きうることのようです。

 

後日、友人からナットのゆるみが原因だったと聞いた記憶や、高校で一斉自転車点検を行った際には気づかなかったとかの記憶がうっすらとありますが、定かではありません。その自転車をどうしたかもあいまいです。

でもその後、車輪の固定具合が気になり、時折確かめるようになりました。

 

 

高校時代、自転車は特に身近な道具でしたから、いろんな経験があります。私自身に起きたことではないですが、「激レア体験」となればこれになりますね。

 

なお、このブログには「自転車」のカテゴリーもあるので、興味のある方は読んでみてください。「激レア体験」ほどインパクトのある記事ではないですが。

 

 

今週のお題「激レア体験」