ここは高校時代blogなので、高校時代に「こぼしたもの」を3つ書くことにした。
大学合格
高校時代で一番大きな「こぼしたもの」は大学合格だと思う。
本命や第2志望も失敗。さらに、模試でA判定だった滑り止めまで、ことごとく取りこぼして浪人生となった。
ただ、負け惜しみではなく、結果的に取りこぼしてよかった。もし合格していたら、仕方なくその大学へ行ったかもしれない。そうすれば、全然違った人生を歩み、希望した職にも就けなかっただろう。
詳しくはこちらの記事。
涙
高校時代にこぼして悔しかったのは、涙だったろう。
数学の授業中、ふざける生徒が増え、先生をからかう者も出て、ついに先生が怒って教室から出て行ってしまうことがあった。
その場で、下校の時間まで幾らかの話し合いがあったものの、時間も限られていて、もやもやした気持ちが残った。その夜、担任の先生に手紙を書いた。
翌日、もう一度、話し合いが持たれることになった。しかし、「受験に必要のない教科だからやる気が出ない」「授業がわからない」等の意見が多かった(ある意味当然の意見ではある)。
上に紹介した記事には書いていないが、「授業を放り出した先生も悪い」という話が出た時、さすがにおかしいと思い、発言した。そんな理由があるからと言って、ふざけたり、先生をからかったりするのは違うと思ったからだ。
「先生だって人間だ。」みたいなことを言った。声も体も震えていた。涙もこぼれた。映画『エレファントマン』の、”I am a human being !(私は人間だ)”が思い起こされて、熱くなったのも憶えている。何だか悔しかった。
そして、あまりにふざけやからかいが過ぎれば、誰だって怒るし、その場から離れたいと思うのも当然だという旨を続けたつもりだったが、勢いに任せて言ったせいか、きちんと伝わる言葉になっていなかったようだった。司会から「落ち着きましょう」みたいなことを言われた。すぐには悔し涙は止まらなかったが、熱くなり過ぎた気がして、(ああ、やってしまったなぁ…)みたいに思っていた。
結局、話し合いで、特別新たなルールが決まることはく、先生も生徒も、お互いに努力して授業は成立させようといった着地点だったと記憶している。
お弁当
高校時代、こぼして申し訳なかったのが母の手作り弁当だった。
「こぼした」と言うより、「落とした」が正しい。
食べている途中、手からこぼれ落ちたのか、机に置いてあったのを動かしてしまったのかは不明だが、床に落ちた弁当箱は180度回転して、裏面が上になっていた。
その光景はしっかり記憶に残っている。
もっとも当時は、申し訳ないなんて思う器量は無かった。自分の不運を嘆きながら、でも、弁当がそれほど散らばらずにすんだのを不幸中の幸いと片づけたはず。
申し訳ないと思ったのは、この記事を書いている今のことだ。
このblogにある弁当の記事を振り返って、改めて感じた。
以上、高校時代にこぼしたもの3選。
こぼしたものはこの他にもあるだろうが、書きこぼしたくないのは、この3つということにしておく。
今週のお題「こぼしたもの」
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