tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画28.『フラッシュダンス』ひたすらなアメリカンドリーム

気持ちが沈みがちだった頃に

フラッシュダンス』を映画館で観たのは1983年10月15日。

共通一次試験まで100日を切り、模試では希望の持てる成績を出せず、気持ちも沈みがちだった頃、友だちに誘われて行くことにした。

同時上映が『愛と青春の旅立ち』で、困難を乗り越えてのハッピーエンドストーリー2本立てとなったが、今回は『フラッシュダンス』についてのみ記すことにする。

高校時代の評価

手帳では、80点とある。5段階評価で言えば☆4。そして、

リズムとダンスに拍手ジェニファー・ビールスもいいし、ひたすらさが気に入った。

とコメント。「ひたすらさ」を選び、「ひたむきさ」にしなかった理由は何だっただろう?と気になった。まずはストーリーから紐解くことにした。

 

ストーリー

<閲覧注意> 以下、重要なネタバレを含んでいます。

 

舞台はアメリカ、ピッツバーグ。鉄鋼業が盛んであったが、1980年代半ば以降、輸入鉄鋼が増えて衰退し始める。ただ、映画はその衰退前である。

 

アレックス(ジェニファー・ビールス)は、プロのダンサーになるという夢を抱き、昼は製鉄所で溶接工、夜はキャバレーでセクシー(ヌードではない)なダンサーとして働き、一人ダンスの練習に励む18歳の女性。彼女に身寄りは無く、倉庫を改装した家で犬と暮らしている。

 

キャバレーの同僚ウエイトレスでプロスケーターを夢見るジェニーや、ジェニーの恋人でコメディアン志望の即席料理人リッチーと親しい。また、鉄工所の社長ニックはアレックスを気にかけている。

 

アレックスは、元バレリーナの師匠からダンサー養成所のオーディションのことを知るが、独学の練習をしていたことで、自信を喪失し断念する。そんなとき、ジェニーはスケートの競技会に失敗し、トップレスのダンサーになってしまう。リッチーは単身ロサンゼルスへと旅立つ。

 

アレックスはニックと親しくなって勇気を取り戻し、オーディションの再挑戦を決意。ニックはコネを使って、アレックスが書類審査を通り、ダンスの実技オーディションを受けられるようにした。しかし、自分の実力で通りたかったアレックスは激怒し、オーディションを受けないことやめる。

 

その後、友人の挫折や、師匠の突然の死を目の当たりにし、自身の夢をもう一度見つめ直したアレックスは、もう一度オーディションを受けることを決意。

 

オーディション演技での冒頭でミスをしてしまうアレックスであったが、ためらうことなくやり直し、渾身のダンスを披露する。

 

ひたむきさとひたすらさ

フラッシュダンス』も、『ロッキー』に代表されるアメリカンドリーム(与えられたチャンスを活かし、困難にめげず努力によって勝ち取る夢)作品と言えると思う。

 

『ロッキー』は、ボクシング世界チャンピオンから思わぬチャンスが与えられ、ロッキーは挑戦を決心する。弱音を吐くことはあっても、自らを奮い立たせ、その姿は真っ直ぐである。「最後までリングの上に立ち続ける」ことを目標に、ひたむきに努力して、成功する。

 

一方、『フラッシュダンス』では、アレックスの決意は何度も揺れる。自身の劣等感、人の出会い、コネの存在等で、オーディション挑戦にしたり、辞めたりを繰り返す。結局、ダンスにこそ自分らしさがあると気づき、迷いを捨て、ひたすらに集中することで道を拓いていく。そして、オーディションで渾身のダンスを披露する。

 

「ひたすらさが気に入った。」とは40年近く前のコメントで、はっきりした記憶はない。でも、一つのことに真っすぐ進む姿をひたむきとして、迷いを断ち切りながら向かう姿をひたすらとして、イメージしていた気がする。同じアメリカンドリームでも、ロッキーとは少し違うと感じていたと思う。

 

ちなみに、

【ひたむき】と【ひたすら】の意味の違いと使い方の例文 | 例文買取センター

 によれば、

「ひたむき」はある一つのことを一生懸命、心を込めて行なう様子を表しており、主に内面的な心情を指しています。

一方、「ひたすら」はある一つのことに集中して、そのことだけを何度も繰り返したりすることで、主に外面的な行為や状況に対して使います。

らしい。

 

印象的なシーン

フラッシュダンス』で印象に残っているシーンを幾つか。

といっても、記事のための下調べをしていて思い出したものもあります。

溶接工の仕事

仕事が一段落して、フェイスガードを外し、首を振るシーン。

映画冒頭だったと思うが、男社会でたくましく生きる女性というイメージが一瞬ででき上った。

移動手段が自転車

当時、私も高校へは自転車通学。一気に親近感が湧いた。また、お金がないこと、でもそれを苦にせず、自分にできることを精一杯やっている健気さを感じた。

キャバレーでのダンス

客が喜びそうなダンスはしても、ヌードにはならないとの一線を持ち、ダンスへのプライドを持っている。後に友人ジェニーへの批判の理由ともなる。

オーディションでのダンス

圧巻のシーン。審査員の動作がコミカルにも見えるが、ダンスに惹きつけられていく様子がよくわかる。何より、まだそれ程流行していなかったブレイクダンスを取り入れながら、新しくインパクトのあるダンスとなっていた。ジェニファーが審査員を指差す動きやダイビングして回転するなども印象に残っている。ダンスシーンには吹き替えも使われているが、編集の上手さが違和感をカバーしているとの評価もある。

テーピング

ダンスの準備として足にテーピングをするシーン。

個人的に一番好きなシーンと言えるかも。

高2までサッカークラブに所属した私は、不注意から怪我をしてしまうことが多かった。映画を観たのはクラブをやめた後だが、万全の準備をする意気込みを教わった気がする。

テーピングの締め具合を確かめるシーン

しっかりテープを巻いた後、足の親指を握ったり伸ばしたり。締め具合に過不足が無いことを確かめる動きから、決意が見て取れる。

 

アメリカンドリームについて

『ロッキー』や『フラッシュダンス』等、アメリカンドリームを描く作品は、若いエネルギー全開の話。それが成功、栄光に繋がっていくのは痛快でもある。高校時代ならこの展開に疑問を感じずにいられたが、この歳になると若者の挑戦が勇気と無謀のどちら側なのかをつい考えてしまう。

 

「努力が報われて欲しい」という願いは誰もが持つが、「努力しても報われない」ことが多いという現実にため息を漏らす人は多い。アメリカンドリームに無批判でいると、「努力しなければ報われない」事実を「努力すれば報われる」と思い込んでしまう落とし穴がある。それが「報われなかった者は努力が足りない」との批判に繋がりやすいのではないかと思う。

 

最近は、「努力しても報われないことはある。しかし、その努力は別の成功に繋がることがある」等の話が増えた気がする。アメリカンドリームの「ひたむき」や「ひたすら」を否定するわけではないが、一歩引いて冷静な判断を選択するのも勇気だと思う。

もっとも、それを選択しないからアメリカンドリームが成立するという見方もできるのだが。

 

今年の目標、「高校時代の映画」5記事達成。

 

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