tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn55.『ニコリ』の鍜治真起さん、パズルとゆる~い情熱をありがとうございました

ニコリ創業者 鍜治真起(かじ まき)さんの訃報を先日知りました。亡くなられたのは、2021年8月10日で享年69歳とのことです。お悔やみ申し上げます。

www.nikoli.co.jp

 

 

私にとっての鍜治真起さん

大学のパズルサークル「さとこ」

1985年、大学時代に作ったパズルサークル「さとこ」は、パズル雑誌『ニコリ』に大きく影響を受けています。というか、ある意味師匠です。このブログでも一度、「さとこ」の時計回り迷路を紹介しています。

「創刊準備号」というアイデア自体、『ニコリ』を真似たものでした。創刊号の前に準備号を出して存在を知ってもらい、ある程度の反応をもらって、手ごたえと方向性を獲得します。いわば市場調査的な意味合いもありました。

 

一人で企画を練り、パズルの問題を作り、答えを確かめ、配置・構成を決め、イラストを描き、見出し文(キャッチコピー)を考えてました。キャッチコピーも鍛治真起さんのセンスを意識してましたが、そう上手くはいかないです。

 

鍜治真起さんが総勢3人で、初めて『ニコリ』を発行した時の経緯や思いを、雑誌『ニコリ』と会員向け『月刊ニコリスト』に時々紙面に残しておいてくれたのが、大きな手掛かりになりました。その行間にも思いを馳せ、こうは書いてあるけど、内心はこう思っていたんだろうなぁとか、いやいや、そこは、そうじゃないと分かっててやってるんでしょ?などどいろいろ想像しながら、自分の励みにしていたのです。

 

 パズルを作っている人の意見を聞きたい

誰にも相談することなく創刊準備号を作り上げた時、やはりパズルを作っている側の人の意見を聞きたくて、創刊準備号と、作成までの経緯や、気になっていることを文章にして、その時点では株式会社になっていた『ニコリ』に送りました。急にどこの誰かも知らない人物から送られてきても困るだけだろうな、反応はもらえないかな?など思っていました。

 

創刊準備号は、印刷も良くなく、手動の裁断機を使ったので、微妙なずれもありました。街角で配るポケットティッシュよりも需要が低く、大学の講義前にもらってくれた人が講義室に置き忘れてしまうこと、いつの間にか床の上に落ちていたこと物、ごみ箱に捨てられていることもありました。全8ページ、11問。周りの友達の受けも今一つ。創刊準備号や、映画なら予告編を出してそのまま終わってしまうことなんてよくある話。私も、創刊号を出すまで気力が持つかしらんと考え始めていた時でした。『ニコリ』のから返事が届いたのです。

 

詳しい内容は憶えてないですし、手紙も紛失させてしまったのですが、「色々大変でしょうね。でも、素晴らしい!是非、創刊号発行にこぎつけてください。続けていけるかどうかそこからですよ。」という感じの数行の手書き文章でした。力を抜いてさらさらりと書かれたような文字が、あまり熱くなり過ぎずにマイペースを続けている鍛治真起さんのイメージに符合して、私にとっては、肩の力を抜くゆる~い情熱と大きな励みをもらいました。 

 

 

さとこ創刊準備号のパズル

ここで、さとこ創刊準備号のパズルを二つ紹介します。

拾いもの(碁石拾い)

f:id:tn198403s:20210823222958p:plain

拾いもの(碁石拾い)パズル

ルールがちょっとわかりづらいので補足します。「碁盤の線にそって石を拾う」とは、例で言えば、スタートの碁石1から拾い始め、拾った石の上下左右の線上に石があれば進路を曲げて2,3,4と拾えるという意味です。7まで拾うと4は既に無くなっていますが下向きの線上に8があるので、飛び越えて拾えます。

(余計にわかりづらいかな?)

 

チビクロ

以前、世界最小として2X2のクロスワードを記事にしました。

これと同様の物です。

f:id:tn198403s:20210823144623p:plain

チビクロ パズル

ただ、2X2はクロスワードではないという意見もあったので(これはクロスというより言葉のあそびです。)と補足しています。

 

答えはこちら

 

この他にカックロ(加算クロス)やクロスワード、虫食い算、くるりん迷路等を載せていました。さとこ創刊準備号のパズルは拙い問題が多かったのですが、鍛治真起さんは解いてくれてたのかなあ?なんて、今頃になってちょっと気になった私です。

 

私と『ニコリ』

この後、『ニコリ』からペンシルパズルの本を出すので問題を作成してみませんかと原稿の依頼をいただきました。得意感のあるカックロを何問か完成させて送ったところ、幾つか採用されて本にも載りました。原稿料もいただいて苦学生のコンパの参加機会が少し増えるなど、パズル作成が実際の生活に役立ったのも嬉しかったです。

 

ただ、私としては、難しいだろうなと思っていた問題が、本の中では易しい部類に入っていて、上には上がいるんだなあなんて自分の限界も知りました。丁度パズルサークル会報誌『さとこ』の創刊号の原稿作成中の頃で、多分人生で一番高密度にパズルを作成していた時期だったと思います。

 

『ニコリ』の話を始めるとキリがないくらい、たくさんの思い出や学びがありました。またいつか、『ニコリ』について書くことがあるかも知れません。

 

鍛治真起さんがいたから『ニコリ』があり、それが今でも私の糧になっています。

このブログも大きな影響を受けています。

鍜治真起さん、パズルの魅力を教えていただき、ありがとうございました。

安らかにお眠りください。