tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

砂浜は堤防より下にあるのに、水平線が目の高さに見える不思議。

今週のお題「海」。高校時代の「海」となると、真っ先に出てくるのはK海水浴場。何度かは自転車でも行きましたが、人生でも有数の不思議?な経験をしました。もっとも、他の人からすれば、当たり前のことかもしれませんが。

 

5歳くらいまで住んだアパートからK海水浴場までの距離をPCで調べてみると2km弱でした。歩いていったことも何度かあります。1人で出歩くことが珍しくなかった幼稚園の頃でしたが、さすがに1人で行ったわけではないはず。でも、記憶の中では1人ですし、道順も覚えています。大き目の通りに出てからは、ほぼまっすぐ道なりに進み、途中の曲がり角の一つさえ間違わなければ海に着くのです。誰もいない砂浜を、堤防から見下ろしていた記憶。いえ、正確にはまっすぐ先にある水平線を不思議な気持ちで見ていた記憶。でも、まだ、何がどう不思議なのかはわかっていませんでした。家族で何度か泳ぎに行ったこともありましたが、その時のことよりも、海が不思議に見えた記憶の方が印象に残っています。

 

隣の町に引っ越して、小中学校を過ごす間に、車でK海水浴場まで連れて行ってもらったこともあります。中学時代、サッカー部に入っていたので、自転車(そのときの自転車は黒いママチャリ)で練習試合に出かけた帰り、K海水浴場に寄って、砂浜で遊び?練習?体力づくり?をしたことがありました。練習後に、懐かしい海を見ながら、やはり、不思議な感じがしました。その頃には、「地球は丸い」ということも知っていたので、水平線が緩やかな曲線を描くことは頭ではわかっていました。遠くの大きな船が水平線の向こう側に見える現象も納得済み。でも水平線に不思議さを感じるのは、単に水平線を見るのに慣れていないからだろうと思っていました。

 

高校生になって、登下校でお気に入りの緑の自転車を乗るようになってから、帰りの寄り道にずいぶん遠回りをすることもありました。そんなある日、一人気まぐれに、K海水浴場のいつもの堤防へ海を見に行ったとき、その不思議さがようやく理解できたのです。その瞬間、全身総毛立ちました。

 

砂浜は今立っている堤防より下にあるのに、水平線が目の高さにある不思議ーー。

これが、高校時代に感じた海の謎です。

Nスカイラインを走ったときよりも、映画『U・ボート』を観たよりも後の、高校3年生の時でした。秋口頃だったでしょうか。友人がK海水浴場の砂浜で走り込みをしていたことを知る少し前だったはず。その後、友人を応援するためについていったこともあります。応援といっても、様子を見るだけなのですが、その時も水平線の高さの不思議さは感じていました。

 

 

その後、水平線が目の前の高さにある不思議さはずっと頭に残り続けました。大学時代、友人の車でドライブに山へ行った折、その不思議さにさらに驚かされます。山の展望台から見えた海の水平線。それは、遠くにある山の頂上より高い位置に緩やかな曲線を描いていて、やはり目の前の高さにありました。

 

このときも全身総毛立ちになりました。高校時代に感じた海の謎は、更なる謎となって蘇ったのです。一緒に行った友人にそのことを聞いたら、「地球は丸いから当たり前。」とそっけない返事。それでも目の高さに見えるのは変ではないかと食い下がったら、「目の錯覚。」と軽くあしらわれました。まともに取り扱ってくれないのです。

 

でも、どうしても私には目の錯覚とは思えません。とはいえ、普段の生活の中では、それを忘れてしまい、海を見ては思い出すという繰り返しでした。そして、いつからだったか、水平線を見るときには、腕を身体に対して垂直にして、人差し指を立てて、目の高さと、指先と、水平線が重なるようにして観るようになりました。それほど頻繁に海を見たわけでもありませんが、自分の中では「水平線は目の前の高さになる」のは経験上、ほぼ間違いないことになっていました。 

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確信を持ったのは、山の峠を越えて通勤するようになった頃です。途中の見晴らしの良い場所から、海の水平線が見えるのです。毎日というほどでもありませんが、何度も車を降りて確かめました。大学時代に山の頂上より高い位置に水平線が見えたときと同じ。見下ろす山の稜線より上に水平線。そしてその水平線に合うように指先を当てると、いつだって、腕はほぼ身体に垂直です。

 

 確信してからは、何故、そう見えるのか?うまく説明がつきそうな理由を考えました。インターネットはまだ言葉も知らなかった時代。数回は図書館にも行きましたが、そもそも、何の本を見たらよいのかもよくわからず、見つけることはできませんでした。

 

砂浜近くの堤防からでも、山の展望台からも、目の前の高さになる理由。大学時代に軽くあしらわれたように「地球が丸いから」というのは大いに関係していると思います。でも、その理由だけでは、納得がいきません。問題になるのは、地球が丸いのと、水平線が目の高さに来ることとの関係性です。

 

さすがに宇宙船から地球を見下ろした写真では、水平線というより、地球の輪郭が目の高さにはなり得ないことはわかります。では、どのくらいの高さになるとそう見えるのか?飛行機に乗ったときに気をつけてみてみましたが、そこでも遠くの水平線は目の高さにあるような気がします。でも、飛行機が水平な状態なのかどうかで変わってくるのも事実。水平線が見やすいのは旋回するときだったと思いますが、飛行機がどう傾いているのかまったく想像がつかないのです。

 

 あれこれ考えているうちに、一つ気がつきました。水平線は確かに目で見えるものではあるが、海に線があるわけではないということです。仮に海に線が引かれていたとしたら、その線が見えた位置からさらに高い場所から見たとき、線の向こう側も見えてくるはず。それは、つまり、砂浜に寝そべって見えるときの水平線と座ったときに見える水平線、立ったときに見える水平線。さらには、ヘリコプターでもっと100mあがったとしたら、そのとき見える水平線は、より遠くの海ということーー。

 

図に描いて考えました。そのときの図がこんな感じ。f:id:tn198403s:20190713173124p:plain

(1)ビルの上から見る (2)タワーの上 (3)山の上

そうすると、水平線に見える場所は、1~3と上に行くほどより遠くを見ることになります。つまり、実質、水平線は、見る人の視線と、地球の円周との接線ということです。地球の半径は6,371km。仮に高さ10kmの山に登って水平線を見たとしても、地球の半径からすると1/637の高さでしかありません。視野としての角度として換算したとき(自分で正確な換算ができないので、推測なのですが・・・)、一般の人間の感覚で果たして区別がつけられるのかーー?

 

ということで、5歳の頃に感じた不思議を、高校3年のときに謎と意識し、自分なりの納得いく答えにたどり着くまでに25年程かかったかかった計算です。しかも、視野の角度としての換算は放棄しているので、実際には人間の感覚で違いがすぐわかるものかも知れません。

 

でもね、いいんです。まだ、2km程の高さの山しか上ったことはありませんが、それでも地球がどれだけ大きいのか、人間がどれだけ小さいのかが少しわかった気がしましたから。そして、この説明を考えついた後、フェリーで海原に出てほぼ360度が水平線となったときに、「地球が丸い」というのが、本当に地球は球体なんだなあと感じたのも大きな収穫。なんか、ちっちゃい埃が、地球にへばりついてるように思えました。

 

え?「人間は考える葦」であって、埃ではない?

ま、あれこれ考えたから、埃に思えたのですけどね。