tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

「元気を出す方法」と「元気になる方法」は同じ?違う?

今週のお題「元気を出す方法」

「勇気を出す」とは言うが「勇気になる」とは言わない。

「健康になる」とは言うが「健康を出す」とは言わない。

 

今まで疑問に感じずにいたけれど、「元気を出す」って何だろう。「元気になる」とは意味が違うのだろうか。「出す」と「なる」の違いだけのようでもあるが、「元気を出す」と「元気になる」で、「元気」の意味が少し違うように思う。

 

この違いがわからなければ、「元気を出す方法」と「元気になる方法」とを区別できず、「元気を出す方法」の記事は書けない気がした。

元気とは?

そもそも「元気」とは何だろう?

「元気」は体の中に有るものだろうか。無ければ「出す」ことは不可能だろう。それとも「元気」は体の中に無いものだろうか。これから「なる」ものなら、現時点では持っていないはずだ。

 

そんなことを考えながら「元気」の意味を調べた。

goo辞書

1. 心身の活動の源となる力。2. 体の調子がよく、健康であること。また、そのさま。3. 天地の間にあって、万物生成の根本となる精気。

大まかに言うなら、元気には「(気)力」、「好調(状態)」、「精気」の3つがあるようだ。「元気を出す」は「力を出す」、「元気になる」は「好調になる」、「元気をもらう」は「精気をもらう」、そんなイメージだろうか。

 

「元気を出す」とは

元気を「出す」と言うからには、本来、体の中に備わっている物とのイメージになる。上手下手や強弱はあろうけれど、自分の中に存在していて、それを上手くコントロールして増幅や強大化させて、外に出す力という感じ。

 

だからまず、その体の中に、どんなに弱々しくても、元気は確かにあるととらえることが必要だと思う。その点で「命」に近い意味にも思える。つまり「元気を出せ」と言われて「元気(命)が無い」はと答えるのは「元気」の意味が噛み合っていないと思われる。正しくは何らかの原因で「元気が出せない」だけであって、その原因を取り除いたり、別の動機をもったり、その気になったりすれば、元気を出すスタート地点に立つことができるのだと信じよう。いや、信じる信じないに関係なく、条件が揃えば人間は元気を出せるものなのだ。

 

つまり、「元気を出す方法」とは、「元気を出せる条件を揃える」と同意ではないかと仮定する。

 

元気を出せる条件を揃える

そう考えると、ずいぶん具体的に考えられそうだ。

「美味しいものを食べる」、「十分な睡眠をとる」、「栄養を摂る」、「好きな人に会う」、「笑う」、「買い物をする」、「嫌な人に会わない」、「嫌なことはひとまず忘れる」、「良いことだけを考える」、「旅行に出かける」、「好きな仕事をする」、「生きがいを見つける」、「給料を上げる」、「社会保障を充実させる」、「弱者の意見も尊重される」、「政治を変える」…

 

後半、自分一人だけではできない事も書いたが、元気の出る社会になれば、個人もさらに元気を出せるという思いが私にはある。

 

1人で何百、何千万、さらに億という単位の裏金問題で注目される議員のほとんどがお咎めなしでいて、コンビニおにぎり一個や、コーヒーのサイズのごまかしで庶民が起訴されたり職を失ったりする。この不公平感をなくすだけでも、社会も人もどれだけ元気になれるだろうか。不正をはね付け、真っ当に生きようとする人が元気でいられる社会は、どれだけ多くの人を元気にするだろう。物価高に負けない賃上げ、個人の生活が尊重維持される労働条件、それらがあれば、苦も無く元気を出せる人は多いはずだ。

 

「ゆっくり寝たい」を許さぬ労働条件。「美味しいものを腹いっぱい食べたい」を躊躇させる賃金。「小さい子どもも一緒に旅行をしたい」思いを後ろ向きにさせる社会の不寛容。今の社会は、我々の元気を出す方法を阻む物が多過ぎないか?私たちの元気を奪う力が強すぎないか?そして、そこから目を背ける世に流されていないか?

 

元気を出す方法を奪われることはそのままに、別の元気を出す方法を懸命に探すことで、果たして本当に元気を出せるのかとの疑問は膨らむばかりだ。

 

「元気なる方法」

「元気を出す方法」を「元気を出せる条件を揃える」として考えてきた。それは「元気の素は誰もが持っていて、それを増幅、強大化させることで、元気が出る」という前提であった。

 

この考えに倣えば、自身の好調を維持する意味で「元気になる方法」も見えてくる気がする。「元気になる」ということは「何かが変わる」ことを内包していると思う。つまり、その時点の自分が元気になれずにいるのは、何かが無かった、或いは足りなかったということではないだろうか。ならば、その何かを得られれば、何かが変わり、結果、元気になるということだと考える。

 

「元気になれない」時、上述の意味に従い「好調でない」時に不足しているものと考えれば何が挙げられるだろう?

「睡眠」、「栄養」、「健康」、「元気を維持する薬、道具」「精神的余裕」、「経済的余裕」、「希望」、「明るい展望」…等と考えていくと「元気を出せる条件」と重なるものも多いが、そうでないものも見えてくる気がする。

 

また、好調を阻害する要因もありそうだ。「人間関係のストレス」、「プレッシャー」、「ハラスメント」、「いじめ」…そうしたものが無くなるなら、元気になれる人も多いと思う。否、無くならないまでも、軽減するだけで違ってくる気もする。さらに、軽減できなくても、新たな視点を得るだけで変わることもありそうだ。例えば「人間関係のストレス」と感じていたものが、その人を理解する、その人に理解されることで、ストレスが減り、元気になることはあり得る。

 

やや、強引だとも思うが、新たな「知識」、「理解」、「視点」等を得ることも元気になる方法だと思う。このブログでも幾度か記事にした「わかる楽しさ、できる喜び、役立てる有用感」も元気になることと大きく関わる。

「わからないから元気(やる気)になれない」ことは珍しくない。何かに気づけるかどうかが左右する場合も多い。学習はその連続だ。家庭教師をしていて、子どもが毛嫌いしていた計算が、何かの拍子で理解できたとたん、一転、元気になり、意欲満々で解き始めたなんてこともある。

 

①(  )÷3=2 ②(  )÷4=3 ③(  )÷6=8 …

等の問題で、(  )にいろんな数字を入れて答えを探している内は、③なんてやる気も起きない。でも、割る数×答えで(  )の数が出せると分かると、途端に元気になって、あっという間に終わらせてしまう。

 

知らない、気づかないことで、元気を無くしていることは存外多い。

もちろん、それで全て解決することばかりではない。しかし、知るだけで、気づくだけで、元気になる場合は確かにある。

 

政治に無関心な人が多いという。国政選挙でも、投票率が5割を切る地域もあるほどだ。それは政治を変えて元気になる方法に気づかず、別の元気になる方法を懸命に探し続ける人が多いという証にも思える。

 

まとめ

元気と政治の関係に考えが至ったので、その流れで記事をまとめたいと思う。

 

元気とは本来、一個人の中に備わったものだと書いた。「命」に近いとも。それは人権に近いとも思える。「元気を出す」とは、個人として幸福を追求する権利を発現させることではないだろうか。疲れたから寝る。お腹が空いたから美味しいものを食べる。気分転換に散歩する。それらと同じように、生活が苦しいから政治を変える。そのために選挙に行き、期待の出来る人や政党に投票するという選択肢はもっと身近になっていいはずだ。

 

ところが、投票しても政治は変わらないと思わされてしまうと、投票が元気を出す行為とは感じられなくなってしまう。

 

裏金問題で政治不信が広がっているとされるが、その話をいくら聞いても元気は出ない気もする。しかし、裏金に頼る政治は認めない、裏金を許さない政治に転換するために投票すればいいと理解できれば、投票する人は増えるだろうし、それで庶民の生活を下支えする政治に変えらるとなれば、多くの人の元気も出ると思う。

 

少なくとも、常に投票率が80%を超えるようであれば、裏金に頼る議員は慌てるだろう。政治のミスで投票先が変わるとなれば、即刻政権が持たなくなると自覚せざるを得ない。そうなれば、議員の意識も変わると思うのだ。しかし、政治不信や政治への無関心が広がるなら、裏金に頼る議員は何の問題も感じなさそうだ。

投票に行く選択肢

即効果があるとは言えないまでも、中長期的に元気を出す方法として、また新たな視点に立って元気になる方法として、「美味しい食事をするくらいの感覚で投票に行く」選択肢もありだと思う。

 

近況62.2024年節分の恵方巻と豆

今日は節分。

去年と似た流れで恵方巻を手にすることになりました。

 

去年と同じ

昨日、買い物に行った際、

「明日は節分なのに、あんまり恵方巻を置いていないな。」と父。

恵方巻は日持ちがしないし、海鮮巻きがいい人は明日買うと思うよ。」と私。

「そうか。」

「海鮮巻きでないなら、今日買って明日食べても問題無いと思うけど。」

「いや、いらない。昔は恵方巻なんてなかったんだ。」

去年も、恵方巻をブログに書いたせいもあって、(あ~去年と同じ流れだな)と思いました。

昨日、買い物に行った際

「明日は節分と言うのに、恵方巻を全然売ってないな。」と父。

恵方巻はチョコレートと違って、日持ちしないからね」と私。

恵方巻が欲しいなら、明日にならないと良いのは無いと思うよ。最近は、海鮮巻きとかで刺身を使ってるのが増えたし。買うなら明日だね。欲しいの?」と続けました。

「いや、いらん。そもそも、ちょっと前まで恵方巻なんてなかったんだ。」と父。

 

去年と違う

去年と違うのは、「恵方巻はどうする?」と言いだしたタイミング。去年は、節分の日の朝でしたが、今年は節分前日の夕飯後でした。

「節分に豆をまくのは、もう大変だし面倒だからやめる。その代わりに恵方巻を食べよう。節分には恵方巻だ。」

ちょっと意外でした。「その時、食べる気にならんかも知れないのに、用意なんかできん。」と言う父です。前日に、「食べよう」と言い出したのは大きな変化と言えるかも知れません。

 

去年は節分当日の開店直後のタイミングで買いに行きましたが、目当ての海鮮恵方巻は、まだ売り場に出されておらず、準備中でした。売り場前には10人程の客が集まっている状態。しばらくして、10本ほどの海鮮恵方巻が運ばれて来ましたが、父は値段を見て逡巡し、結局買いそびれてシンプルな太巻きにしていました。

 

そこで今年は、開店後30~40分経った頃を見計らって買いに行くことに。恵方巻売り場には数人の客がいる程度で、去年より落ち着いている感じ。太巻きはもちろんたくさん並び、海鮮巻きも数こそ少ないものの、あれこれと選べるくらいには品揃えがあり、我先に奪い合う感じでもありません。

 

「どれにする?」と父は聞いてきましたが、「好きなものを選んで」と任せます。私が選ぶと何かと文句をつけてダメ出しされることが多く、却って時間がかかるからです。やはり、海鮮巻きを買いたいようでしたが、値段を見て悩み、最終的にはシンプルな太巻きが2本入りのパックを選んでいました。そして「海鮮巻きは太くてかぶりつけない。値段も高いし。」と一言添えていました。

恵方巻 2024

いつ、食べるか?

昼食の時間になると、父は「恵方巻は夜、食べるものだ」と言い出しました。これは、予想外。私はてっきり、今年も昼食に食べると思っていたので、昼のおかずの用意をしていません。

 

話を聞くと、初めて食べたのが、節分の夜にカラオケ仲間で集まった時らしく、その際に「恵方巻を食べるのは夜」と言われたそう。私は半信半疑です。夜に集まっているのに「恵方巻を食べるのは昼」との話にはならないはずで、むしろ、本来は昼だけれど、その場の流れで夜にした可能性がありそうに思えました。

 

「豆まきだって夜にやるのが普通だ。恵方巻も夜なんだ。」と父。父の「普通」や「みんなやっている」はあてになりません。

「それは、一般の家庭だと夜に皆が揃うからだろ。成田山の豆まきを夜にやってるニュースを見たことないけど。」と返すと、初めて気がついたように「ああ、そう言えばそうか。」となります。それでも「恵方巻を昼に食べるなんて聞いたことがない。」と言うので、「去年は昼に食べたよ。」と返しますが「そうだったか?憶えてない。」となります。

 

埒が明かないので、スマホで検索して、「やっぱり昼か夜かは決まってないようだよ。」と説明。それでも納得しないので「じゃあ、これから昼のおかずを用意するよ。温めるだけだから、そんなに時間はかからないはず。」と言うと、考えが一変。「じゃあ、恵方巻は昼に食べよう。」となりました。

 

どうやって食べるか?

去年は、太巻きが一本ずつケースに入っていたので、二人とも片手で太巻きを持ち、もう片方で、太巻きが崩れても受け止められるよう下に空きケースをそえる体勢で食べました。ただし、一本だと途中で太巻きが崩れそうに思え、事前に半分に切っていました。一般に恵方巻を切るのは「良い縁が切れる」とされますが、長くて不便なら「悪い縁を切る」という私流の解釈です。崩したり、こぼしたり、喉に詰まらせたりしそうなものを、そのまま無理強いする必要は無いと思います。

 

でも、「まるまる一本を持って食べるのが本来の食べ方だ」と父。「幾らかでも食べてから、包丁で切るようにする」と言います。そこは父にまかせ、私は自分の分だけ太巻きを切り分け、3分の1くらいにしたのを手に持って黙って食べることにしました。

 

今年の恵方は「東北東のやや東」だそう。「やや東」なんて今まであったっけ?と思いつつ、父に言うと、「じゃあ東がこっちで、北がこっちだから、その中間よりやや東」と手で方角を示します。「いや、それだと東北のやや東になるから、東北東はここ」と説明。すると父は「ちょっとぐらいズレたって、かまなわいんだ。」と言いながら、東北東を向き直して、「そのやや東」と言っていたので、笑ってしまいそうになりました。ちょっとぐらいズレても良いのかいけないのかが微妙な上、結局、最初に言っていた東よりやや南に向いています。かなりズレたと思いつつ、もう何も言わず、方角を決定。

 

太巻きを手に持ち、黙って食べ始めます。3分の1の長さにしていたので、私は難なく食べ切れました。父は途中で大変になってきたらしく「ん~?ん?ん?」と唸り声のようなことを言いながら、3分の1くらいで食べるのを断念し、崩れかけた太巻きをなんとかまな板まで運びます。何もこぼさなかったのは不幸中の幸いでしたが、崩れかけの太巻きを切るのは難しかったようで、「この太巻きは、しっかり締めていないからいけないんだ」と言いつつ、切ったのか、バラしたのかわからなくなったものをパックに移し替えました。まあ、何にせよ、無事完食です。

 

豆はどうする?

去年は、豆まきはしなかったものの、歳の数だけ豆を食べました。

でも、今年は恵方巻に気を取られ、それを食べ終わるまで、私も豆を買い忘れたことに気づきませんでした。どうしようかと父に聞くと

「83も数えるのは面倒だ。」

と言っています。私としては、歳の数だけ豆を数えるより、もう一度買い物に行く方が面倒なので、そのままにすることにしました。

 

私が高校生だった40年前、父は豆まきに執着していました。

兄は働きだして社員寮に入っている。両親と私の3人で豆まきをやっても盛り上がりに欠けると夕飯中は話をしていたのに、洗い物をしている途中で考えが変わったようだった。

そうして、いきなり勉強中の私の部屋に来て「おい、豆まきするぞ。窓を開けろ。」、「豆をまかないと、鬼が来るぞ。」と言い出したことがあります。

 

とにかく何かのタイミングで、父がコロッと考えが変えるのは珍しくありません。そんな訳で、夜になると豆を買いに行くと言い出すかも知れません。すっかり忘れたままになるかも知れません。何にせよ、私はピーナッツがあるので、それ歳の数だけつまんで、軽くお酒を飲もうかと思っています。

音楽34.『さよならマエストロ』、第3話で「田園」の魔法に震えました。

クラシック音楽を聴いて、これほど心を震わされるとは思っていませんでした。

といっても、実際にコンサートや楽曲で全曲を聞いたわけではありません。日曜劇場『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』の仕業です。このドラマは各話ごとに取り上げる曲があるようで、1月28日に放送された第3話は、ベートーベン(先生)の交響曲第6番「田園」でした。

クラシック音楽との出会い

「運命」の常識

『さよならマエストロ』の第1話で取り上げられたのはベートーベンの「運命」でした。あ~やっぱり、ベートーベンと言えば「運命」だよなぁと、順当な選曲だと思いました。クラシック音楽=ベートーベン=運命という図式はとてもわかりやすいと思うからです。

 

私も高校時代に「田園」を知る前はそんなイメージでした。ベートーベンで知っていたのは「運命」と第九くらいなもの。高校の授業では音楽ではなく美術を選択したので、クラシック音楽との関わりも知識もイメージも、本当に微々たるものでした。

 

私のクラシック音楽の原点

1982年3月(高1の終わり)にステレオセットを買ってもらって、音質の良いFMラジオのステレオ放送をよく聞くようになりました。当時、FMラジオと言えばNHKしかなかったのも幸いしたのでしょう。勉強するとき、よくつけっ放しでBGMとして聞き流していました。NHK-FMラジオ番組「FMクラシック・アワー」も例に漏れず、自然とクラシック音楽も聞くようになりました。

 

そして、ベートーベンの交響曲第6番「田園」を知ります。

この後、クラシック音楽を意識的に”聴く”ようになっていきました。私のクラシック音楽の原点が「田園」と言っても過言ではありません。そのせいでしょうか、『さよならマエストロ』の第3話で流れた「田園」から、当時のことをたくさん思い出したのです。

 

高校時代のクラシック音楽

教育テレビ『YOU』

高校時代、クラシック音楽が好きなことは隠した方が良いとの思い込みがありました。その思いを少し変えてくれたのが、教育テレビの若者向けの番組『YOU』でした。

(『YOU』の記事はこちら↓)

クラシック音楽を取り上げた回で、同年代にもラシック好きが他にもいること、指揮の真似をして楽しむ人も結構いたこと、普段、周囲の人にクラシックの話をできずにいること等、同じ思いをもっている人がいるとわかりました。少し救われた感があったのを憶えています。

 

松田聖子の『ハートをRock』

でも、クラシック好きなことは誰にも言いませんでした。松田聖子の『ハートをRock』(1983年)にこんな歌詞があります。

あなたに誘われた コンサート それもクラシック
まぶたを閉じないで 眠るコツ 発見しそうよ

クラシックはつまらないのかと、17歳の少年は少なからず戸惑いました。でも、受験生に恋は不要だと粋がっていました。

 

孤独なクラシック音楽

高校時代、友人と歌謡曲の話をした記憶は幾らもありますが、クラシック音楽の話をした記憶はほとんどありません。あるのは、映画『2001年宇宙の旅』で使われた楽曲くらい。ベートーベンも、モーツアルトも、バッハも素敵な楽曲を聴かせてくれましたが、その話を誰にもできずにいました。

 

そんなことがじんわりと思い出されたのです。

 

第3話、「田園」の魔法

<注意!> 以下、第3話のネタバレ満載です。

冒頭のシーンより

『さよならマエストロ』の第3話の冒頭、廃団になるオーケストラが残してきた楽譜は段ボールに片づけられていました。その中の一つの封筒を、主人の指揮者、俊平(西島秀俊)が持ち上げると、そこには ”beethoven”や”symphonie Nr.6”の文字。

 

ベートーベン交響曲第6番と言えば「田園」!そう思った瞬間に、優しく静かな出だしのメロディーが流れます。驚くと同時に涙が出そうになりました。何度も何度も何度もカセットテープで聴いた曲。でも、退職後に引っ越す際、カセットテープもCDラジカセも全部処分しました。俊平が持ち上げた封筒の中に、そんな記憶も一緒に入っているような気がしたのです。第1話で「運命」が取り上げられたので、もうベートーベンの曲は取り上げられないだろうと思っていただけに、驚きも大きかったです。

 

そして、「田園」の解説ナレーション。聴力も希望も失っていくベートーベンは、田舎の村でどんな風に過ごしたのだろうかと問いかけます。ただ、そこで生まれた曲が、後世に残る名曲となったことを考えれば、そこでの時間がベートーベンを支えていたことは明白でしょう。

 

かつて高校時代を受験に苦しみもがいただけの時代だと思っていた私。でも、このブログを始めて、高校時代が色鮮やかであり、今の自分を支えていたと気づけたました。そのこととナレーションが重なったのです。このブログを書いていなかったら、冒頭のシーンで涙が出そうになることも無かったでしょう。

 

そしてタイトル画面。今回もドラマにするっと引き込まれる魔法をかけられました。

 

繰り返される曲の挿入

ドラマ内では、度々、テーマに取り上げた曲が挿入されます。

第1楽章

指揮に憧れるクラシック初心者で、バイオリンにも挑戦している女子高生、谷崎天音(當真あみ)が、「田園」の楽譜と格闘します。「田園」の再生に合わせて、バイオリンパートの音符を指で抑えていくシーンでも、第1楽章の後半部分が流れます。

そして、俊平の息子、夏目海から抑え方の間違いを指摘され、始めからやり直し。

冒頭のシーンでも流れた第1楽章の始まりが繰り返されるのです。

 

この何度も何度も聞き直す感じがまた、高校時代を思い起こさせます。ステレオのオートリバース機能を使って、繰り返し聞いた記憶。自動でカセットテープが巻き戻される音まで蘇りました。

第4楽章

ニコンサートのポスターが剝がされるシーンで、第4楽章が流れます。森に嵐が訪れるイメージです。不穏な予感をひきずったまま、BGMは楽団が第4楽章を練習するシーンへとつながります。

 

「田園」は普通に演奏すると、40分を超える曲です。全曲をドラマに収めようとすると、それだけでドラマが終わります。そこで、小出しにしながら、第3話全体が、「田園」の楽曲に合わせているかのような演出にしたのでしょうか。

 

第3話を観るだけで、「田園」を何回も聞いている気分になりました。

 

第4楽章「雷雨、嵐」

「田園」は5つの楽章があります。

  1. 「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
  2. 「小川のほとりの情景」
  3. 「田舎の人々の楽しい集い」
  4. 「雷雨、嵐」
  5. 「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」

1,2,3,5楽章はどれも明るく穏やかでいて楽し気な長調ですが、4楽章だけ趣が全く違う短調です。嵐が襲ってくるパートだけあって、不安と荒々しさが際立つのです。

 

その4楽章「雷雨、嵐」の練習中、オーケストラ楽団の問題が表面化します。楽団の技術のレベルをあげたい新メンバー、チェロ奏者の蓮(佐藤緋美)と、仲間同士で楽しく演奏したい旧メンバー、トランペット奏者の大輝(宮沢氷魚)との対立です。廃団を控えた団員同士の不協和音は、練習を重苦しいものに変えました。

 

メンバーの目指す方向性の違いから生じる対立はありがちな話です。ただ今回は、お互いが、技術を磨きたい思いも、仲間と上手くやっていきたい思いも併せ持っていながら、そのスタンスの取り方で生じた対立です。どちらにも、それぞれに音楽への思い入れがあるが故の対立であり、それを楽団としてどう受け止めるとよいかと悩みます。

 

気まずいながらもミニコンサートに向けて準備を進めていましたが、市の嫌がらせにも思える一方的な都合で、コンサートの日に練習の会場も使えなくなります。そのことを、指揮者俊平の娘、響が伝えに来て、楽団全体が更に暗い雰囲気に覆われます。

 

俊平は思わぬ方法でそれらを解決させます。思わぬ展開で企画された道の駅の朝市での青空(ゲリラ)コンサート。お客さんを呼べないなら、お客さんの居る場所でコンサートを開けばいい。そうして、指揮者を前に「田園」の演奏が始まります。その指揮をする俊平の楽しそうな表情と動き。順調なスタートでした。

 

第2楽章「小川のほとりの情景」

青空コンサートでは第1楽章の演奏後、俊平が観客に、この曲を聞いたことがある人!と問いかけます。殆どの人が手を挙げます。続いて、では題名を知っている人?と問うと、誰も手を挙げません。私はテレビの前で思わず手を挙げてしまいました。そして、作曲したベートーベン先生を知っている人!と聞くと、再び全員が挙手。

 

このシーンが印象的です。そうなんです。誰もが聞いたことのある曲。でも、題名を知っている人がほとんどいないなんてことは、珍しくないです。第1話の「クラシック音楽好きは全人口の1%もいない」の台詞を目に見える形で示したシーンでした。

 

そして、第2楽章へ。俊平は、対立しているチェロの蓮とトランペットの大輝の二人だけの演奏に託します。本来、第2楽章にトランペットのパートはありません。それを、俊平が二人のため、楽団の今後のため、アレンジして作ったトランペットの楽譜を、二人の了承の上で演奏させるのです。妥協でも我慢でも強制でもない着地点。蓮の高い技術で、大輝の演奏を支えるという発想でした。

 

二人だけの演奏による第2楽章が始まります。穏やかな楽曲を二つだけの音で紡いでいきます。涙が出てきました。クラシックは好きだけれど、それを語れる相手がおらず、極たまにクラシック好きの輪の中に入ることができても、自分の無知を思い知らされる。楽器も何一つできない私ですが、もし、こんな風に支えてくれる人がいれば、クラシックをもっと楽しめたかも、なんて思いました。いえ、クラシック好きを自認しつつ「ボッカ・ルーポ」(Bocca al lupo:オオカミの口に)飛び込めなかった私の限界だったのでしょう。

 

「田園」の第2楽章に、新たな思い入れができました。きっと、第2楽章を聞くたび、このエピソードを思い出すことでしょう。

 

その後、第4楽章の途中、本当に雨が降り出しコンサートは中断。慌てて楽器や譜面台などを片づける中、俊平はヨーロッパに行っているはずの妻、志帆(石田えり)を見かけます。まだまだ波乱の展開が続きそうです。

 

今後の展開

第3話で、演出が上手いなあと思ったのが、もう一点あります。奏者の思いを理解できる指揮に憧れ、一人でバイオリンの練習を重ねるクラシック初心者、谷崎天音(當真あみ)と、5年前まで注目を浴びるバイオリニストでありながら、バイオリンから離れた俊平の娘、響(芦田愛菜)の描写です。蓮と大輝は対立した後で理解し合えましたが、対立どころか、どんな接点になるかも予想できない二人のバイオリン奏者の孤独な姿。

 

3話のラストでは、響が遂にバイオリンを手に取り一人演奏します。そのバイオリンは、初心者の天音が練習に使っている物のようです。指揮者である父、俊平を否定しつつも、バイオリンの高度な技術を持っている響。指揮者を目指し、まずバイオリンを理解したいと練習する天音。次回、響と天音の接点が生まれる予感満載です。

 

二人の周りも気になる所。響の演奏する姿に大輝が気づきます。指揮を目指す天音には指揮者の息子、海が関わりを深めそうです。思うに、孤独と仲間の在り方は、番組の大きなテーマになっているのではないでしょうか。

 

余談になりますが、そうした展開に加えて、響のスプーンを使った目隠しシーン、俊平が自転車に乗って転倒したり、乗り忘れて帰ってくるシーンなどの小ネタもなかなか効いていて、個人的に良いと思います。

スプーンで目隠し シーン

今後の展開も目が離せません。

 

夏目家の家族関係も謎の部分が多いです。俊平の妻、志帆がヨーロッパ旅行を装いながら、街に宣布吸くする理由は何か?俊平一人家族から離れて暮らしていた理由は何か?何より、番組名『さよならマエストロ』の「さよなら」が何を意味するすのかも気になるところ。

 

そして、『さよならマエストロ』をまた私が記事に書くのかどうか、不明な部分はたくさんです。(え?そこはどうでもいい?)