tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

AI考(3)AIの「遠い先の時代」と「近い将来」

前回、AI美空ひばりとAI手塚治虫のプロジェクトが、AIの現状を示す好例と考えて記事にしました。

ただ、ちょっとセンセーショナルに書き過ぎたかなとの反省もあります。記事冒頭の「AIが誰かを蘇らせる時代は来るでしょうか。」は、「近い将来」ではなく、「遠い先の時代」という感覚でした。しかし「遠い先の時代」であっても、意外と「近い将来」の可能性はあります。

 

 

「遠い先の時代」を今、振り返る

ちなみに、「遠い先の時代」と「近い将来」について、今の私(56歳)と若い頃(20代)とでは、感じ方に大きな違いがあります。二つ、例を挙げてみます。

 

AIと棋士

1990年頃は、プロ棋士がAIに負ける時代が来るなんて言うと馬鹿にされた時代でした。AI考(1)に書いた通りです。

記事では

1996年に発行された『平成8年度将棋年鑑』には、コンピュータがプロを負かす日は? 来るとしたらいつ」というプロ棋士へのアンケート

について、少なくない棋士が「永遠に来ない」等と答えていたことにも触れました。羽生善治氏を含め何人か「(近い内に)来る」と言っていましたが、かなり少数派でした。

 

でも、アンケートから20年後には、AIが棋士に勝つことは珍しくなくなりました。

 

1990年に25歳だった私は、25年先を「遠い先の時代」と感じたものですが、56歳になった今振り返れば、25年先を「それほど遠くない時代」と感じてしまいます。

 

携帯電話

今、ほとんどの人が携帯電話(スマホガラケー含む)を当たり前に使っています。でも、1980年代に皆が携帯電話を使うなんて考える人はまずいなかったです。むしろ、未来の通信機として予想されていたのは、特撮番組の影響もあって、腕時計でした。

 

もし、AI美空ひばりやAI手塚治虫を、携帯電話の歴史になぞらえるなら、1985年の重さ3kgほどのショルダーフォン辺りかも知れません。映画『マルサの女』や、平野ノラのネタで登場していました。知らない人も多いかも。私も実物を触ったことも見たこともありません。

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1985年頃の携帯電話 ショルダーフォン

携帯できる電話として、これにベルトを付け肩にかけていた人がいた時代。でも、

「そんなに重たい物をどう使うって言うの?値段も高すぎでしょ。公衆電話があちこちにあるんだから、それで充分。」

そんな反応が当たり前で、ほとんどの人は使ってなかったようです。

電話というより無線機?って感じ。

 

1985年には、自動車の外からでも通話が可能なショルダー型の端末が登場し、発売前に発生した日航機墜落事故の救助活動でも活用された。ショルダーホンの重量は約3kgもあったこと、また本体の価格が保証金約20万円、月額基本使用料が2万円強、通信料金は1分100円と高額であったために、その使用は一部の者に限られ、普及には至らなかった。

1987年に入り、NTTが「自動車電話」ではなく「携帯電話」と称したサービスを開始した。この時の端末は、ショルダーホンからは小型化・軽量化したものの、750gの重量があった。

とのこと。

(引用元 総務省 令和元年版 情報通信白書

 

でも10年後の1995年辺りから携帯電話を使う人が1割を超え、1998年にはPHSを含めて半数ほどが持つようになり(私が携帯電話を持ったのは1998年)、2000年には持っていない人が3割ほどの少数派になりました。2010年を超えると、小学生高学年で持つ児童が増加し始め、ガラケーからスマホへの乗り換えも急速に進みました。

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急激に普及した携帯電話、スマートフォン

引用元 ( http://honkawa2.sakura.ne.jp/6350.html )

社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune 

 

高校時代から見れば、15年後に私が携帯電話を持つなんて想像もできない「遠い先の時代」でした。でも今の齢となれば15年後なんて「近い将来」という感じもします。技術進歩の速さは目まぐるしく、うっかりしてると時の流れを忘れそうです。ショルダーフォンが出た頃、家庭ではまだ黒電話が主流で、据え置きのプッシュフォンすら珍しく思えた頃でした。今や黒電話は前々時代の象徴となり、固定電話を設置していない家もかなり増えています。

 

20代の「遠い先の時代」と50代の「近い将来」

20代の人も、AIによる人の再現は「遠い先の時代」と考えている人が多いようですが、それが15年~20年後の「近い将来」だったとしても、何ら不思議ではありません。

 

棋士に勝てないと断言された将棋AIが勝てるようになるまで25年。

ショルダーフォンからポケベル、PHS、携帯電話、スマホと進化するのに20年。

技術の進歩は、当時の人々の予想をはるかに超えてきました。そして、多くの人がかつて全否定していたものを、いつの間にか当たり前に使うようになっていきました。

 

違和感だらけだったAIによる人間の再現が、今後「遠い先の時代」か「近い将来」かはともかく、良い意味で裏切られるか、悪い意味で裏切られるか。それとも、人間が心変わりをしてその技術を当然のように受け入れるか。その辺りはまだよくわかりません。ただ、今現在も技術革新が次々進んでいることは確かです。

 

私とAIの出会いを振り返る

AIとは

現在、AIは非常に身近な存在になっています。それを便利だと思うことも多いですが、怖いと思うことも少なくありません。でも、気づかないままにいることが、多分一番多いと思います。

 

私論ながら、AIをごく簡単に説明するなら「自ら学習、判断し作動するシステム」といったイメージです。言葉上でAIとは、Artificial Intelligence(アーティフィシャル・インテリジェンス)です。Artificialは「人工的な」、Intelligenceは「知能、知性」という意味になります。

 

以下、NTT DATA のサイト「人工知能(AI)とは」から引用します。

www.nttdata.com

いま最も注目されているテクノロジーの1つに人工知能があります。AIは、一般的には「人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもの」という意味合いで理解されています。
しかし実際には、AIに対して一意に決まった定義がなされているわけではありません。コンピューター・サイエンスや認知科学、医学、心理学、さらには哲学にいたるまで、今もさまざまな立場で論じられ続けている領域です。

AIの漠然としたイメージはあるものの、はっきりした定義があるわけではないようです。「人工的に再現するもの」とすると「AIが誰かを蘇らせる」かの如く、何でもできてしまうイメージを持たれそうですが、

AIに対する最も大きな誤解が、「あらゆる問題に応えられる(答えられる)賢いAIがすでに存在する」というものです。現在のAIに人間の認識能力や常識、感情なども含めた森羅万象のすべてを理解させられるわけではなく、「何でもできる」存在ではありません。

過大な評価や妄想は控えたいところ。一方で、

もちろん、だからといって現在のAIが実用レベルに達していないわけではありません。何でもできる汎用的なAIはまだ存在しないと述べましたが、裏を返せば、範囲が限定された特定領域においてAIは、人間をはるかに凌駕する卓越した能力を発揮するケースがあります。

AIが常に人間を凌駕しているわけでもありません。これは、プロ棋士が将棋AIに必ず負けるわけではない現状とも一致します。

 

それにしても、NTT DATA の説明は、表現が秀逸に思いました。私の伝えたかったことが上手くまとまっていて、最初から引用すればよかったと反省。でもまあ、考えることは人間の本質ですから、考えることは大事です。

 

AI考シリーズについて

ここで、AI考シリーズで書きたいことをまとめてみました。

 

AIが進化して、ある意味人間より賢くなってきている。しかし、何でもできるまでには至っていない。実用レベルに到達している技術、まだまだ先の技術、今急速に向上してきている技術等、玉石混合状態。

そんな中、「まだまだ先」のイメージが人によって大きく違っているように感じられる。少しでも今の状況を知り、「まだまだ先」がいつ、どんなふうに訪れたとしても、慌てることなくその時を迎えられるようになっておきたい。

 

今のところ、こんな感じでいます。

 

私とAIの出会い

『 人工知能 - Wikipedia 』によれば、その概念の始まりは、17世紀初め、ルネ・デカルトが、動物の身体がただの複雑な機械であると提唱した「機械論」にまで遡るそうです。「人工知能(AI)」という用語は、1955年に出したジョン・マッカーシーの提案書で初めて使われたとのこと。

 

私が人工知能に強く興味を持ったのは、1981年にテレビ放映された『2001年宇宙の旅』から。宇宙船の人工知能について描かれ、衝撃を受けました。

1968年に公開された映画です。人類が月面に到着するより前でした。

 

また、某科学雑誌(『UTAN』か『Newton』)で「マッチ箱AI」を知り、一気に身近に感じたのを憶えています。マッチ箱でAIが作れるという話でした(その内、記事にする予定)。

 

あれから約40年。いつの間にか生活のあちこちでAIが利用されるようになっています。その辺のことも、後に記事にできたらいいなと思っています。

 

 

AI考(4)はこちら