tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

自由に働くこと、不自由に働くこと

自由は難しい

「お仕事は?」

「実は病気で仕事は辞めました。」

「では、自由ですね。」

と言われたら、相槌しますか?

 

大ヒットアニメ『アナと雪の女王』では、氷の魔法を制御できなくなったエルサは、街を離れ、一人孤独に雪山の城へ閉じこもる生き方を選び、「私は自由!(I'm free !)」と高らかに歌い上げました。あれは本当に自由だったのでしょうか。

 

「自由」という言葉をどう感じ、どう使うかも自由でしょうが、「自由」という言葉に一貫性を持たせるとなると途端に難しくなります。10代の終わり頃、これに悶々と悩んでいました。

 

 

福沢諭吉を知る

自らをもって由(よし)とすること

そこに一つの光明を差し込んでくれたのが、1985年(昭和60年)2月11日に放送されたドラマ『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』です。二浪はしない、今回大学に受からなかったら就職するとの覚悟を決めていた時でした。

 

ドラマの中で諭吉は、「自由とは、自らをもって由(よし=良し)とすること」と説きました。最初はピンときませんでしたが、繰り返し考える内に、この言葉の巧妙な仕掛け「自由かどうかは自分で(覚悟と責任をもって)決めること」と気づきます。この解釈も自分流です。それ以来、何かにつけ「自分は本当にこれで良いのか?」と自問自答するようになりました。

 

学問のすすめ

今や、一万円札の代名詞ともなった「福沢諭吉」。

f:id:tn198403s:20211222230442p:plain

一万円札の福沢諭吉

有名な著書「学問のすすめ」には、

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。』

とあるのに、一番高価な紙幣の顔になったと揶揄されたこともありました。

 

でも、私は偉ぶるために一万円札なったのではなく、「万人の間を自由自在に行き交うために諭吉自身がそこにおさまった」のだと考えることにしました。とりわけ、他人の妨げにならない自由であることが、わがままとの違いだと強調しているのは大事なことだと思います。

 

『自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限(ぶんげん)を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界さかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

 

さらに、諭吉は、大事なのは学ぶことだと説きます。

『諺(ことわざ)にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人(げにん)となるなり。』

書かれたのが明治時代ですから、かなり極端な話や金科玉条のごとき表現も多いですが、自由と学びの連環は指摘通りだと思います。

 

すなわち、学ばなければ、自由は得られない。学ぶことで正誤を判断し、自らをもって由とするもの(自由)が見えてくる。そういうことだと捉えました。

 

「自由在不自由中」

諭吉は「自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)」とも説いています。不自由の中にあってこそ自由は見つけられる、不自由なことを自由にすることで本当の自由が得られる、そんな風に受け取りました。

 

仕事の中で感じた不自由、例えば、煩わしく感じられる規則や人間関係、非効率的な習慣等があれば、それを改善することも仕事の内。でも、一方でどうやっても無理だと思い知った時に、仕事を辞める覚悟をすることもまた自由。

 

望んだ仕事を25年続けられたことも、25年で区切りを付ける決心ができたことも、ここと通じていると思っています。

 

今の私のはたらき方

仕事を辞めたのは5年前。「病気が酷くなって体が持たなくなったから」という表向きの理由の裏に「仕事の方針にどうしても納得がいかなくなったから」という理由もありました。

 

退職後2年程は療養に専念。再就職を考え始めた頃、施設に入っていた母が入退院を繰り返すようになり、再就職を先送りにして、度々見舞いに行くようにしました。母が亡くなった後、ツレ父が入退院を繰り返すようになり、介護の手伝いに入ります。ツレ父が亡くなった後、体調が崩しやすくなっていた実父の睡眠時無呼吸症候群がわかり、治療器具CPAPを使うようになりました。今は、一人暮らしの父を支えるため、実家で過ごす日が多くなっています。

 

結果的に、介護離職になっていると感じないでもありません。でも、何の因果か、大学時代「人間が賃金収入のためではなく、人間らしい生活を送るために働くという視点から言えば、家事も欠くことのできない労働」として論文を書いていました。生活費を抑制する家事は、結果的に可処分所得を増やす効果もあります。今の私は、仕方なく家事や介護をしているというより、できること、なすべきことを家事や介護で果たしている満足感の方が強いです。少なくとも今の時点では、そう感じています。

 

ただ、こんな話は今回のキャンペーン「#フリーにはたらく」に合わない話だと考えていました。

 

自由に働くこと、不自由に働くこと

でも、さじ(id:conasaji)さんの記事を見て気づきました。

conasaji.hatenablog.com

「彼氏(彼女)と別れてフリーになった。」
「では自由ですね」と相槌しますか?恋愛は拘束なんでしょうかね?余談でした。

余談としていますが、恋愛に限らず、仕事も、家事も、介護も、拘束なのだろうかと気になりました。どれも、ある意味で拘束でしょうが、ある意味で自由だと思うのです。冒頭の文章はこれを変えたものです。

 

フリーランスなら、仕事の方針やプランを決める自由はあるでしょう。でも、思ったような収入が得られるとは限らないこと、自力で市場を開拓しなければならいことなど、デメリットを考えれば不自由とも言えそうです。

 

一方、組織の中で与えられた仕事は、嫌でもやらねばならぬ不自由さ満載です。でも、仕事を見つける、収入が不安定等の苦労からは解放されている点では自由とも言えそうです。

 

自由に働くことは、不自由に働くことなのかも知れません。

一方で不自由に働かされているようで、自由に働けているのかも知れません。

そんなことを、さじさんの記事から教わった気がしました。

 

「お仕事は?」

「実は病気で仕事は辞めました。」

「では、自由ですね。」

と言われて、相槌を打つことはできません。

 

けれど、

「では、不自由ですね。」

と言われても、相槌を打つことはできません。

他人の言う自由と私の思う自由とでは大きく違うと、わかり切っているからです。

 

働く自由、働く不自由、辞める自由、辞める不自由。家事をする自由、家事をする不自由、介護をする自由、介護をする不自由…。

 

常に自由と不自由が交錯している気がします。そんな中でどう自由にはたらくか。

私なりの答えは「自らをもって由とすること」を見つけ、「自由在不自由中」と知ってはたらくことでした。今はそれが家事・介護ですけどね。

 

フリーランスの経験はありませんが、「フリーにはたらく」とは、自分らしくはたらくことだと思います。不自由の中でも貫ける、自分が由とできることが見つけられたなら、一つ幸せに近づけるように思うのです。