tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn29.75回目の終戦記念日、平和と沈黙(後編)受け継ぐということ

この記事は「tn28.8月6日のこと、平和と沈黙(前編)知るということ」の続きです。

受け継ぐということ

広島でダイ・インをしてからもう25年。今年、戦後75年を迎えました。

この間に、世も人もずいぶん変わりました。

 

語り継げる人と、受け継ぐ人

総務省の人口統計で、「戦後生まれ」は2018年に総人口の83.6%(約1.1億人)を超えたそうです。第二次世界大戦を体験している人は16.4%(約2000万人)となります。

厚生労働省の統計では、全国の被爆者は2020年3月末の時点で13万6682人となり、 被爆者の平均年齢は83.31歳だそうです。

旧日本軍は、20歳から徴兵検査を経て召集されました。また、自ら志願すれば17歳から現役志願兵になれたそうです。ただし、沖縄に限っては鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)として、14~16歳の学少年兵部隊が作られ、戦闘で多くの戦死者を出しています。終戦時に14歳としても、現在89歳。旧日本兵の経験を語れる人は、かなり少ないです。

 

一方、worldometer によれば、2020年の日本の年齢中央値(年齢を高い(または、低い)順に並べたとき、真ん中に位置する人の年齢)は、48.4歳です。48.4歳を超えないと人口の過半数になりません。世界でも特に少子高齢化が進んでいる国。ちなみに世界の年齢中央値は、30.9歳。日本の少子高齢化は知っていましたが、ここまで深刻とは思っていませんでした。

www.worldometers.info

(※ リンク先に太字で median age と書かれているのが年齢中央値)

上のサイトでは、2010年より日本が人口減少に転じていることがわかります。

平和な時代を築いてきたはずが、人口減少の時代に突入していた訳です。

人口が増えれば平和で、減れば平和でないと短絡的に結び付けるのはどうかと思いつつも、子どもを育てられない国に平和な明日があるのかという疑問は残ります。

(そう言う私にも子どもがいないのですが・・・)

 

戦争を語り継げる人が減っていくのは宿命としても、その思いを受け継ぐ人まで減っているのは深刻な問題だと思います。でも、それ故に、ひとりひとりが受け継ぐべき重みは増しているとも言えそうです。

 

「原爆は一瞬、被爆は一生」

「原爆は一瞬、被爆は一生」という言葉を聞いたことがあります。
爆発は一瞬だったけれど、被爆した人にとって惨状の記憶や、冷遇、後遺症は一生ついて回ります。まさにこの言葉通りだと思いました。

でも最近、それでいいのかという思いが湧いてきています。被爆者が一人もいなくなれば、原爆の問題は終わりなのでしょうか。時間が経てば被爆の事実は消滅するのでしょうか。

 

いいえ。

むしろ、日本が世界で唯一の戦争被爆国という史実は永遠に続いて欲しいと思います。

また、核兵器がこの世から消え去ったとしても、核兵器の問題意識は受け継いで欲しいです。核兵器開発を繰り返さないという思いの下で。

さらに、被爆と言う概念も積極的な見直した方がいいのではないかと思います。

 

被爆者の見直し

上で2020年の全国の被爆者が13万6682人と書きましたが、この数字は被爆者健康手帳の所持者数です。

国は、被爆者援護法に定める「被爆者」を4つに区分しています。

1. 直接被爆

原子爆弾が投下された際、指定された区域において、直接被爆した方。

2.入市者

原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、指定された区域に立ち入った方。

3.救護、死体処理にあたった方等

原子爆弾が投下された際、又はその後において、身体に原子爆弾放射能の影響を受けるような事情の下にあった方。例えば、被災者の救護、死体の処理などをされた方。

4.胎児

上記の1から3に該当した方の胎児であった方。※、広島では、昭和21年5月31日まで、長崎では、昭和21年6月3日までに生まれた方。

今、指定された区域 被爆地域、援護対象区域)や健康被害の視点から見直すべきとの動きがあります。また、第5区分として、被爆二世、三世を含めるべきという意見もあります。

 

被爆者認定の歴史は、実は裁判闘争の歴史です。

1957年(昭和32年)制定「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」に基づき、被爆者援護施策がはじまります。当初の対象者は20万人程でした。

その後、裁判の判決や、法令の改正を重ね、被爆者援護の拡大・拡充を繰り返す中、1980年(昭和55年)に対象者は最大の37万2,264人になりました。

 

被爆者の認定、被爆地域の指定は、被爆当時の行政区域の境界線に従い、政治的な思惑も加わって、いびつな形で決められているのが実情です。これまでどれだけ科学的な証明がなされてきたのかは知りませんが、裁判の中で被爆者の願いや思いを反映させてきた歴史があると思います。

 

「黒い雨」訴訟

先日、「黒い雨」訴訟の一審判決で、黒い雨を浴び、特定の病気に罹患(りかん)していれば被爆者と認めるという画期的な判決が出ました。それは被爆者の願いに応えるものだったはずです。

 

しかし国は、市や県の多くの期待を裏切り(言いくるめて?)控訴に踏み切り、安倍首相は「黒い雨地域の拡大も視野に入れ、検証する」との理由を述べました。でも、これまでの首相の言動からすれば、その言葉の前に「(かなり困難だが、万一、科学的根拠の立証ができたならば)」を隠しているように思えてなりません。最終的に科学的な検証を行ったが、確定できなかったと切り捨てられるのではないか、そんな疑念が拭えません。存在する文書も、既に処分して無いと断言できる人です。

そうでなくても、首相の年齢(65)を上回る75年もの間、立証が難しい事案で苦しめ続けられた人々を前に控訴を決め、なお苦しめ続ける理由として、あまりにお粗末です。一審判決を検証の無いでたらめだと言っている様にすら思えます。

 

黒い雨地域の拡大も視野に入れる前提なら、ひとまず、原告の主張や一審判決を受け入れて、その後、新たに検証をするのが筋のはず。被爆者の残された時間は長くありません。今回の国の対応に、被爆者への差別を感じとったのは私だけでしょうか。「日本は世界唯一の戦争被爆国」ですが、皮肉にも「日本は世界一被爆者差別のある国」との自論が補完された気がするのです。

 

被爆二世の捉え方

また、被爆者の親を持つ被爆二世、三世の問題も少しずつ見えてきました。

当初、被爆に遺伝性は無いとされていましたが、長い時を経るにつれ、その子にも被爆の影響が遺伝している可能性を指摘する声も出てきました。ただ、「黒い雨」訴訟同様、(肯定、否定どちらも)科学的な立証には至っていません。

 

しかし、原爆被爆以降生まれた被爆二世は、生後18年目までには多くの命が失われたとされています。その後、50歳程度までは健康な状態が続くとの話もありましたが、それ以降は不明なままです。今、二世のほとんどが50歳を超えているでしょう。健康の不安を常に持たざるを得ません。

 

また、実際に親と同じがんを発症する事例の多さや、被爆二世とそうでない子どもとの比較で被爆の遺伝可能性を指摘する事例があります。ただし、両親が被爆していてもその子どもに健康上の問題が見当たらないという事例もあります。

 

一方で、被爆者差別を恐れて、親が被爆していることを長い間隠し、子どもが病気になった時に初めて知らされたという事例があります。子どもの結婚相手が被爆二世と知り、結婚をやめさせられた例も聞きます。被爆者差別は二世以降にも起こっています。

 

1976年、東京都議会で被爆二世の医療費助成の条例審議を行っている際に、ある議員が「遺伝の問題があるので、被爆者の絶滅の方法はないか」とにわかに信じがたい発言をしたことがあります。遺伝の実態もつかめていない段階でこの発言は問題になりましたが、その後、本格的な実態把握の動きにはなっていません。このことからでも、被爆者差別の根深さが感じられます。

 

そもそも、被爆二世が何名いるのかも分かっていないのです。国や自治体の調査も無く、被爆者1人につき子どもが1人から2人程度いるだろうとの推測で30~50万人と言われている具合です。にもかかわらず、上記のような事例が明らかなのですから、被爆国としてその実態をつかむことは重大な責務だと思います。被爆者差別のある国として差別の上塗りを許してはいけません。

 

仮に、被爆後遺症の遺伝が立証されれば、被爆者数ははるかに増えるでしょう。二世に遺伝が無くても隔世遺伝等、三世以降に原爆被害が続く可能性もあります。その立証は、核兵器の新たな脅威を暴くことにもつながります。

また、医学的見地からの立証ができなかったとしても、被爆二世、三世は、どんな形であれ、親からの思いを受け継いだ人です。自身で声を上げて実態を知ってもらおうとする人、世界に訴える活動に出る人、沈黙を続ける人がいます。

 

被爆者の思いを継ぐことと、被爆二世の思いを継ぐこととは、切り離せなくなっているように思います。

 

はだしのゲン』閲覧制限

2013年、松江市教育委員会が『はだしのゲン』(中沢啓治)の描写が過激だとして、子どもの閲覧を制限する要請を各小中学校に出していたことが明るみになりました。要請は2012年末にしていたとのこと。これに先立って、作品の歴史認識をめぐって学校の図書館から作品の撤去を求める陳情がありましたが、市議会は全会一致で不採択としていました。ただし、市議会で「大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている」という意見が出たことから、市教委が独自に判断したようです。

 

このことがニュースになると、全国から批判が起こり、結果的には2013年8月26日に手続きの不備を理由に撤回しました。市議会の決定より、一意見を優先した形ですから、撤回は当然とも言えます。

しかし、問題の本質「描写が過激」や「歴史認識」は、置き去りにされました。

当時の文部科学相下村博文氏は記者会見で「子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要だ」として、暗に制限を容認することもあると述べました。

日本漫画家協会は「本当に守るべきもの(意見書)」を公表し、「表現規制につながりかねない出来事が続いていることは、本当に憂慮すべきことだ。」と警鐘を鳴らします。

 

過激さの程度や歴史認識は、判断が難しいとは思います。

しかし、受け継いで欲しいと描かれた作品を一度受け入れて、その閲覧制限をするのであれば、受け継いだもの、受け継げないものの検証は丁寧に行われる必要があると思います。そこには、時代の変化、認識の変化が潜んでいるだろうからです。

その変化に向き合わないまま、時代が変わっていくことに恐さを感じます。

沈黙したまま世を変えて行くのも、世の変化に沈黙するのも、させるのも、平和から遠く離れた行為ではないでしょうか。

  

原爆資料館被爆再現人形撤去

同じく2013年、広島平和記念資料館の2代目の被爆再現人形が撤去される計画が発表されます。賛否両論がありました。広島市は撤去の理由を

人形は非常に印象に残り、当時の惨状を伝える展示であるとの意見があるものの、被爆者からは「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」という声もあり、人形を見る人によっては原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねないとした。その上で、来館者に被爆の実相と二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでもらうためにも、誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要ということで、リニューアルに合わせて人形を撤去するとした。(wikipedia より)

とのこと。

誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要との理由には一理あると思います。でも、結局見た目が怖いという声で撤去するとの見方も根強くありました。原爆の恐さ、残酷さがあるからこそ資料館に存在意義があるのに、作り物かどうかで撤去するのはおかしい。それなら被爆者が描いた絵も偽物なのかとの声もあります。

 

まだリニューアル後の原爆資料館を訪れていません。撤去された人形に込められた受け継いで欲しいものが、伝わる展示、伝わりやすい展示になっているかどうか、そこは気になるところです。

 

平和と沈黙 改めて考える

前回の記事で「人と繋がるために沈黙を破らねばと思う」と書いたものの、今回の記事で沈黙が破れたのかは疑問です。思いを声や文字にすれば沈黙を破ったことになるのか、何人に伝われば沈黙を破ったといえるのか。その辺りは不明ですが、沈黙を破ろうとしたくらいは言えそうに思っています。それも違うかな?

 

今回の記事を書くにあたって、久しぶりに多くの被爆者の手記を読み、資料やニュースにも目を通したつもりです。それでも現在の被爆者数13万6682人には到底及びません。「黒い雨」訴訟を思えば、被爆していながら対象から外されている人もまだまだいると思います。被爆二世、在日被爆者を含めて、気づかずにいる声、沈黙したままの声の方が圧倒的に多いと思います。

 

沈黙という聞こえない声を、存在しない声とするか、言い出せず耐えている声とするかは、きっと目指す平和の分かれ道。

私たちが沈黙を存在しない声と見るようになれば、為政者は、小さい声にも聞こえぬふりをし、圧力をかけ、さらに沈黙する人が増えるでしょう。そして多くの人に沈黙を強いておいてこう言うのです。

「何一つ、問題はありません。日本は平和です。」

何とも怖い話ではないでしょうか。

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為政者の恐い話

そうさせてはいけません。

耐えて沈黙する声を丁寧に拾い上げ、数多い声、力強い声としていくこと、被爆者の声、平和を望む声を受け継ぐことが目指す平和だと思います。

 

平和を受け継ぐということ、受け継がせるということ

広島原爆50周年の平和行動に参加してから、25年。

平和な社会を築くために受け継ぐことを自分なりにしてきたつもりですが、不十分さも感じます。でも、私も54歳。日本の平均年齢を超え、いつの間にか、受け継ぐ側から、受け継いでもらうことを考えないといけない歳になりました。

 

そう思うと途方に暮れそうな感じです。

時代の変化に向き合えないまま、時代が変わっていく恐さを感じます。

平和を受け継げないまま、受け継いでもらおうとしていないかと恐くなります。

 

でもそれ以上に怖いのは、為政者にこう言われること。

「何一つ、問題はありません。日本は平和です。」

そうしないために・・・。

 

 

 今週のお題「怖い話」