国語に出てきた算数の問題
小学校の3年か4年かの国語にこんな感じの問題がありました。
問題
「兄と妹が、りんごを拾いに行きました。2人で合わせて12こです。兄は妹の2倍拾いました。兄と妹はそれぞれ何個拾ったでしょう。」
(※ これは、算数の宿題がわからず困っている妹に、兄が教えてあげるお話です。ただ、学年が上とは言え算数に自信がなかった兄は、妹を遊びに行かせ、その間に解こうとします。でも、なかなか解けず、悪戦苦闘しながら考える様子がおもしろく、印象に残っています。)
絵を見て、(拾いに行ったのじゃなくて、とりに行ってるじゃないか)、(りんごが12個しかなっていないに全部とるなんて、強欲だな)等、突っ込みたいどころは多いですが、そこはスルーしてください。また、記憶違いもあると思いつつ、脚色した部分もかなりありますが、それも見逃してください。
見える事柄から考える
なんだ、簡単じゃないか。
2人で12個拾ったのだから、1人分は12わる2で6個。
兄は妹の2倍だから6×2で12個。
妹は6個で兄は12個だよ。
出た答えを確かめる
そういえば、確かめることが大事だってよく先生からも言われてたな。どれどれ。
と、兄は問題文を読み直します。
「2人で合わせて12個拾いました。」
あれ?
兄一人で12個拾ったのに、2人合わせて12個?
なんだよ、これ。2人合わせた数が18個だったらいいのに・・・。
簡単に解けたと思った兄は、がっくり。
自分の宿題なら、確かめることなく提出し、いつものように先生に確かめなさいと注意され、はいと返事だけして終わったはずだろうけれど、これは妹の宿題。かわいい妹に恥をかかすわけにはいかないし、そうなれば兄の信用はがた落ちです。
悪戦苦闘
これは困ったぞ。
兄はわかりやすくするために、12個のりんごと兄妹の絵を描いて考えることにしました。兄妹の横にはバスケットも描きました。(冒頭の絵です)
しまった、これじゃりんごが入らないな。
りんごを小さく、バスケットは大きく描き直します。
大きいバスケットだなぁ。妹は持てるのかな?
そうだ、せめて妹には小さいりんごを渡すようにしてあげよう。
そう言いながら、12個を2人に分けていきます。
同じ6個ずつ入りました。
これは、いけないぞ。
大きいのを僕がもらうようにしたけど、妹がこんなに持てるはずないや。
妹のりんごを半分の3個にしてあげようかな。
そこで、はっとひらめきました。
あ!そうか。妹のりんごを半分にしてあげて、その分を僕がもらったら、妹の2倍になるはずだ!
急いで、りんごを描き直しました。
よし、これなら妹も持てるんじゃないかな。
うわ!僕、こんなに持たないといけないのか。大変だなあ。
でも、妹のためにも、がんばらなきゃ。
妹は3個で、兄は2倍の・・・、あれ?9個もあるぞ。
これじゃあ、3倍だ。いくら兄でも3倍は無理だよ。
仕方ないから、1個だけ妹に戻すことにしよう。ただし一番小さいのにしてあげなきゃね。
兄の一番小さいりんごを妹に戻しました。
満足気に、絵を見て思いました。
これなら、僕も持てそうだし、妹も大丈夫だろう。
答えは出たけれど
妹のバスケットには4個のりんご。兄のバスケットには8個のりんご。
これで、兄は妹の2倍・・・
・・・
これだ!そうか!答えは、妹が4個で、兄が8個だ!!
よし、できたぞ!!答えが出せた!!
喜んで、答えを書きました。
しかし、(式)の欄がが埋まりません。先程、間違いに気づいて消した跡がぼんやり見えています。ここもきちんと書かないと、できたことにはならないのでした。
気を取り直して再挑戦
あきらめるわけにはいかないぞ。妹とも約束したし、できないとなったら、もう僕のことを兄と思わなくなるかも知れない。答えは出せたのだから、きっとわかるはず。
気を取り直して再挑戦です。
絵を描き直すことにしました。
だいたい、あんな大きなバスケットを妹が持てるはずがないじゃないか。
妹のバスケットを小さく描きました。
待てよ、でもこの大きさじゃ僕のには8個も入らないぞ。
う~~~ん。
う~~ん。
もう一度、問題を読み直しました。
「兄は妹の2倍・・・」
そうだ、バスケットを妹の2倍、二つ持たせたらいいんだ。
さっそく、兄にさっきより小さいバスケットを2つ持たせてみました。
バスケットを妹は1つ、兄は2つ持っています。
妹には小さいりんご、僕の右には大きいりんご、左も大きいりんご、妹には小さいりんご、僕の右には・・・
一つ一つ、木になっているりんごを消しては、バスケットに描きこんでいきます。
12個全部、移動させました。
きちんと、妹のバスケットに4個、兄の2つのバスケットには4個ずつの計8個入りました。12個のりんごをきれいに分けることができました。
そうか!
兄が妹の2倍って、こういうことなんだ。妹はバスケット1つ分、兄は2つ分。つまり、全部でバスケット3つ分ってことになるんだ。これなら、妹の分を2倍すれば兄の分になるぞ。
(式)の欄に、12÷3=4、その下に 4×2=8と書き込みました。
うん、できた。これでいいはず。
台所から、いい匂いがしてきました。
もうすぐ妹も帰ってくることでしょう。
勉強する(学ぶ)ことの意味
前置き(国語の算数問題)がとても長くなった上、かなり脚色をしてしまいましたが、「わかる楽しさ、できる喜び、役立てる有用感」が勉強本来の面白さの原点だと思います。
上のお話には、答えがわかるだけでなく、説明できる方法を見つけ、困っている妹の役に立てる、そうしたことが一話の中にあります。
前回と、今回の記事では、勉強を学習や学びの意味と同様に扱っていますが、paperwalkerさんの記事に、勉強と学問の違いをこう書かれていました。
「問い」は一つだけでは終わらない。一つの「問い」が別の「問い」を呼び、また別の「問い」につながっていく。
問うことを学ぶと書いて「学問」だ。
ついでに言えば、何かを知れば知るほど知らないことが増えていく。逆説的だが本当のことだ。
だから学ぶことに終わりはない。
同感です。答えがわかれば終わりではなく、よりうまく説明できるように考えたり、理解したことを役立たせる、答えはそうしたことの始まりにつながるものでもあると言えるのではないでしょうか。
それが故、上のお話が印象に残ったのでしょう。改めて、それに気づきました。
問い続けることの意味
上のお話は、偶然、答えが出せただけのようにも見えます。でも、大事なのは、偶然であろうとなかろうと、答えがわかるまで考え(問い)続けたことだと思います。
つまり、偶然わかるまで続けるというのは、何もしないで待つということではなく、考え考え続ける中で、偶然わかるという感じ。偶然が起きるために必要な条件を集めていなければ、偶然も起きえないはずです。
一見無駄だと思えるような間違いも、間違いとわかったなら、正解に近づく一歩です。
間違え間違えすることは、一歩一歩、確かな正解に近づいていること。間違うことなく到達した正解は、逆に何故正解なのかを見逃している正解と言えるかも知れません。
間違うことの価値がわかるのもまた、わかることの一つでしょう。
そうした積み重ねが、楽しさや喜び、有用感につながる勉強法だと思います。
今週のお題「私の勉強法」