tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

「1+1=?  10通り以上の答えを出しましょう。」わかる勉強法を考える

勉強が好きな人は、かなり少数でしょう。でも、わからなかったことがわかることは、多くの人が楽しい、気持ちいいと答えます。「勉強」と「わかること」でこんなにも評価が違うのは何故でしょうか。

 

 

「勉強なんて楽しくない」という誤解

その理由を、「勉強してもわからない」経験が積み重なり過ぎて、「勉強してもわからないから楽しくない」のが当たり前になり、いつしか短縮されて「勉強は楽しくない」と思い込んでしまっている、そう考えています。 

 

「勉強」の意味を漢字で考えると「(つと)めても、尚、(し)いられる」のですから、ある意味、拷問を受けてるような印象がつきまといます。でも、「(つと)めていれば、(つよ)くなれる」と思えば、少し希望が持ててきませんか?

 

「 勉強が楽しくない」のではなく、「わからないことが楽しくない」。まず、この二つの区別をしっかりするだけで、勉強への意気込みが変わりました。「わからないことが楽しくない」のであれば、わかりたいから勉強しようという方向転換です。もっと単純に、「これがどうしてもわかりたい」と強く思うだけでも、勉強への取り組み方が違ってくるように思います。

 

「わかる勉強」、「勉強すればわかる経験」を繰り返す

でも、「わかる勉強」だけを繰り返していて、わからないことがわかるようになるはずはありません。現実はそんなに甘くありません。実際、わからないから勉強するのだし、勉強してもわからないから楽しくないという事実が変わるわけではありません。

 

事実を変えることは難しいですが、わかることのとらえ方と勉強の仕方は比較的簡単に変えられます。それができれば、経験上、わかるという油断も、わからないという苦痛もずいぶん減るように感じています。また、勉強すればわかるはずという重圧からも、勉強してもわからないという苦痛からも幾らかは解放されるように思います。

 

 わかることのとらえ方

まず、自分はわかっているつもりでも、実はわかっていないことがたくさんあるのだと、納得できるまでは勉強しましょう。これが第一段階です。

「わからないことは恥ずかしい」という思い込みから自分を解き放てないと、わかったふりを無意識にやってしまいます。わかったふりの積み重ねが、ある時「わかってない」と指摘され、ショックを受け、これまでの勉強(実際は「わかったふり」を続けること)なんて意味がないと責任転嫁をする大きな原因になっているように思います。

 

問題

 「1+1=?

 

  10通り以上の答えを出しましょう。」 

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1+1=? 

「1+1=2とわかり切っている。」という思い込みがあると、「10通り以上答えましょう。」の一文で常識が簡単にひっくり返りませんか?「1+1がわからないのは恥ずかしい」と思うのに、「10通り以上答えるなんて無理」とあっさり考えるのをやめてしまう人は少なくないようです。でも、少し考えてみてください。本来、「わかりたい」と思うことが、勉強のスタートのはず。たとえ1通りでも答えが増えたらなら、その分、満足感が得られそうに思います。

 

答えはこちら

 

「こんな問題、わからなくて当然」と思ったとしたら、わかることのとらえ方が少し変わってきたとも言えそうです。わからなくてもいいことは、確かにたくさんある訳ですから、わかる必要があるかどうかがわかるのも、わかることの一つでしょう。

また、「 10通り以上答えましょう。」の問題文で(これは何かあるな)とか、(ああ、こういうことだろうな)とか、わかった人は、きっと「わからない」ことを素直に認められる人のように思います。逆説的ですが、わかった人は、わからないことがわかる人と言えるかも知れません。

 

わからないということのとらえ方

上で、わからないことをわかりたいと思うのが勉強のスタートと書きましたが、勉強したからと言って、何もかもがすぐわかるわけではありません。ただ、わからないことがわかることも勉強の成果だと思います。

以前、こんな記事を書きました。

そこには、「わかる」には四つの段階があると書いています。

1.わからない(わかっていない)ことがわからない。

2.わからない(わかっていない)ことがわかる。

3.わかる(わかっている)ということがわからない。

4.わかる(わかっている)ということがわかる。

勉強しなければ1の状態。少し勉強して「あぁ、自分はわかってないんだなあ」と気づいた2の状態になったとしても、誉めてくれる人はまずいません。でも、「勉強したけどわからない」は、わかる道に続く通過点。まず、勉強した自分を自分で誉めても良い場面です。

 

ただ、「わからないなら、勉強の意味がない」、「わからないから勉強しない」としてしまうのは、もったいないです。無駄な勉強は無い、勉強したことを無駄にするかどうかは、それまでが無駄な勉強だったと決め込むかどうかだと思います。

 せめて、わからないということがわかったという努力と成果は、自分で認めていいと思います。そうでないと、勉強そのものが嫌いになってしまう気がするのです。

 

「わからない」を使うことでわかることがある

ここまでの記事をこじつけだと思う方もいるかと思います。

でも、こじつけであろうとなかろうと、「勉強すれば、何かがわかる」と思えるかどうかが重要だと考えます。失敗も多かったですが、「勉強すればわかる経験」「わかるまであきらめない」を多く繰り返すことで、勉強がそれほど苦痛にならないと感じたのは、大学に入ってからでした。でも、高校時代のアンケートの答えが、根底にあるように思います。

2.「勉強することにどんな意味があると思いますか?」

「勉強は定規のような物、何を手にするかより、どう使うかが大事。」

「わからない」を無駄と考えればそこまでです。でも、何故わからないか、どこがわからないか、どこの何がわからないか、と使うことで、わかってくることがあります。それは間違いのないことだと確信することで、少し前向きに勉強できるようになった気がするのです。

 

  

今週のお題「私の勉強法」

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by ギノ