tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

受験生と応援とプレッシャー

受験本番を迎えた冬の記憶です。

 

兄や私の高校受験の前に、毎日のように両親が朝早くから合格祈願で神社にお参りをしていたのを知っていた私は、大学受験の前、プレッシャーになるからしないで欲しいと話していました。兄の高校受験は上手くいったようですが、私は、高校受験の当日、微熱を押して受験しましたが、どんどん熱が上がり、午後の英語の時には数十分意識を失うほどの事態になりました。

帰宅してからも寒さは治まらず、布団を重ねてうずくまるまでになり、体温は40℃超え。病院に連れて行ってもらうとインフルエンザと診断を受けました。

 

だったので高校は不合格を覚悟していたのですが、進学校には珍しく定員割れがあったおかげでしょう、ギリギリながら合格となりました。入学後も成績優秀とはならず、希望の国公立大の進学は無理だと言われ続けながらも、ギリギリ合格圏にかかるくらいまでにはなりました。余裕などありません。できるだろう問題を一つでもミスすれば、失敗するとも言われていました。経験上、本番に弱い私はかなり神経質になっていたようです。

 

ですから、大学受験では両親の神社にお参りは、応援というより、むしろ、不運と結びつきそうに思えたのです。期待が大き過ぎるのがわかると、無意識にプレッシャーとして感じてしまい、力んでしまうように思われたのです。

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合格祈願のお守り

それで願掛けは、自分で行いました。

また、学習時間は朝型にしていたので、早朝に両親がこっそり合格祈願に出かけることもなかったです。

 

 それでも、私の受験直前には多くの応援がありました。

受験を理由に親戚がお年玉を奮発してくれたり、お守り、縁起がいいと言われる駅の入場券、さらに共通一次試験初日が終わった後、テレビのインタビューをされ、励まされる等々。私としては、平常心に努めたはずですが、もしかしたらプレッシャーに感じていたかも知れません。

 

結局、共通一次試験二日目に解答ミスをしたのが響き、志望国立大学の合格ラインを大きく下回り断念しました。そのショックか、模試で合格可能性がAとされた滑り止めの大学も失敗。気持ちを切り替えて、別の国立大を受験するも失敗。ことごとく不合格になったのです。

 

 

もっとも、それで一浪して予備校に通い、希望通りではなかったものの、一つだけ国立大学に合格。結果、進学できたことは貴重な経験となっています。

 

ただ…。

大学を卒業し、就職をして数年たった頃、大学の受験前も何度か合格祈願に行っていたと両親から聞きました。それも、早朝と言うには早い午前2時とかに出かけていたそうです。高校受験時のように毎日ではなく、日曜の早朝だったとか。確かに日曜は、陽が昇っても寝てましたからね。

 

聞いたときは、それで現役の時に失敗したのではないかとも思いましたが、一浪した時も同じように合格祈願していたとのことで、結果的にはそれで良かったと言えるかも知れません。

 

願掛け効果については、子ども時代のテレビ番組『がんばれ!!ロボコン』でお百度参りのエピソードを見て以来、疑問だらけでした。それでも、気休めの効果等があるのは確かです。それは、受験を受ける者だけでなく、傍にいる家族にとってもある程度、必要なことに思います。

 

 何にせよ、話を聞いたときには私も少しは大人になっていたので、応援したい側の気持ちも多少は理解できるようになっていました。

 期待を背負っているから、応援されてるから、頑張らないといけないと思い込み、プレッシャーになった部分が受験にはありました。

一方で、両親にも、腫れ物に触るような感じで受験生の様子を見守り、変にプレッシャーを与えてしまってはいけない、かといって何の応援もせずにじっといられるわけでもないはずです。

 

受験は、つい自分だけの闘いのように思いがちですが、闘いは最前線だけで行われている訳ではありません。家族や仲間の後方支援もけっこう大事です。それをプレッシャーと思えば負担ですが、そうした人の応援が無ければ闘えないのも確か。

受験時代、それに気づいていれば、もう少し有利な闘い方ができたのではないか、そう思います。

 

 

※ またまたやってしまいました。下書き保存のつもりで、公開。

先に、読まれた方、ブックマークなどくれた方、失礼しました。

 

今週のお題「応援」