tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業1.無機物と有機物

高校の授業の記憶は、かなり断片的です。授業のこの部分だけを記憶しているということが多いです。そして、授業の内容と言うより、雑談みたいな話を良く覚えている気もします。

 

そんな記憶の内で、多分、一番最初になるのが、1年の「生物」の授業の中のクイズ。正確には、授業の中と言うより、余った時間を使っていたように思います。きっと、先生がその場その場で思いついたことをクイズにしていたんだろうと思います。

 

「物質には無機物と有機物がある。これから幾つかの物の名前を言うから、それがどちらに当てはまるか考えて、手を挙げるように。」と言った内容でした。まだ無機物と有機物の詳しい学習をする前のことで、(無茶なクイズを出すなあ)と思いました。でも、「炭素が含まれていて、生物に、なんたらかんたら・・・」という簡単な説明はしてくれました。さらに、「試験では知らない問題が出ることもある。その時に・・・」という感じの出題理由も話した上で、相談してはいけないと言われたように思います。クラス内にまだそれほど親しい人ができてなかった頃だったので、(今から運試しの練習?)なんてことも思いました。

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さて、いよいよ出題。(記憶にあるものだけ)

「釘」はクラスのほとんどの人が無機物を選んでいたように思います。

「ダイヤモンド」これは半分くらいだったでしょうか。

そして「石鹸」。私は偶然にも、石鹸が脂肪から作られると知っていたのです。まだ親しい人がいない頃でよかった。内心、(しめた!)とドヤ顔でしたが、恐らく顔には出さずにいられたと思います。

自信満々で「無機物」に手を挙げました。選んだのは少数でしたが、自信があるから気にしません。一方、有機物を選んだ人も少数で、手を挙げずにいた人も多かったと思います。

先生の答えは「有機物」でした。石鹸は脂肪を使って作られているのだから当然です。

自信満々に「無機物」に手を挙げた私は、声こそ出しませんでしたが、呆然としました。脂肪とわかっていたのに何故、反射的に「無機物」を選んだのか謎でした。

 

先生は、間違えることも大事で、なんたらかんたら、答えないのはなんたらかんら・・・と、わからなくても答えることが大事なときもあるという話をしていたように思います。でも、わかっていたはずなのに間違えたのが私はショックでした。

 

あの時、おそらく先生の言う「間違えることも大事」を、私は別の意味で学んだ気がします。どこで勘違いするか、油断してはいけないと自分に言い聞かせながら、悔しかったです。それでも、その後も、わかっていたのに間違えてしまった経験は何度もあります。言ってはいけないと思っていたことがするっと言葉に出してしまったり、右ボタンと思いながら左ボタンを押したり。

 

誰かが言ってましたよね?「人から教わったことは忘れても、自分で学んだことは憶えているものだ。」それは、油断してはいけないことは忘れて、油断して勘違いした経験を憶えているということだったのでしょうね。(え?ちょっと違う?)

 

※ 尚、このブログ全体に言えることですが、私の記憶違いの可能性は常にあります。その辺はご了承ください。