tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画3.アカデミー賞受賞作品

アカデミー賞受賞作品に興味を持ったのも、高校時代からでした。高校入学前の受賞作品もリバイバル上映のおかげで、けっこうな数を観に行きました。ただ、高校卒業後も、リバイバル上映やビデオ、DVDなどで観た作品もあり、高校時代に観たかどうかがあやふやな作品もあります。

 

そんな中で、高校時代に観たのがはっきりしてるリバイバルの作品の一つが「普通の人々」(1981年受賞)です。「明日に向かって撃て」や「スティング」でおなじみの、ロバート・レッドフォード、初の映画監督作品にして、アカデミー賞受賞ということだったので、期待はかなり大きかったです。

 

しかし、期待はすっかり裏切られました。彼の出演作のようなあっと驚くような展開も、アクションも、格好良さにしびれるシーンも無く、むしろ淡々と淡々と(当時の私にはそう思えました)、ストーリーが流れていくだけにしか見えません。この作品の何がいいのか、さっぱりわかりませんでした。観終わった後、期待を裏切られた疲労感と悔しさがあるばかり。アカデミー賞と言っても、所詮、お高くとまるため、立派そうに見せる程度の物のように感じられたのです。また、私には「普通の人々」よりも「エレファントマン」(同年のノミネート)の方が、圧倒的に良い作品に思えたからというのもありました。

 

炎のランナー」は1982年の受賞作品でした。これは、リバイバルではなく、通常のロードショーで観ました。気に入ってそのまま映画館に残り、2回目を観ました。シンセサイザー音楽の記事でも触れましたが、ヴァンゲリスの音楽も印象に残りました。そして、ストーリーも本当に実話なのかと思うほどに感動的で良くできていました。当然、「普通の人々」に対して持ったような、裏切られ感はありませんでした。納得の受賞だと思えたのです。

 

そして、リバイバルで観た「クレイマー・クレイマー」(1980年受賞)。離婚や家庭がテーマです。「普通の人々」のような強い期待は持たずに観に行くことにしました。それが良かったのでしょうか。結果的に、フレンチトーストが気になって、この作品も、映画館に居座って2回観たのです。

  

この頃には、以前感じていたアカデミー賞作品に裏切られた悔しさは、単に自分の感覚がその作品に合っていなかっただけと思うようになり、むしろ、評価する人にはわかる作品の良さが自分にわからないという悔しさに変わっていました。

 

 そして、「その時はわからなくとも、後にわかることもある」と気づくきっかけの一つになりました。「普通の人々」は、まだ観直してないのですが、他の作品では、最初はよくわからなくても、後で観直してみるのも楽しいと思ったことは結構あります。その話は、また別の機会に書きたいと思います。