tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

最近、ツバメを見かけました。

毎年5月は10日~16日が愛鳥週間となっているためか、鳥の様子が気になる時期です。

 

このところ、実家の近辺でツバメの鳴き声がよく聞こえます。雛が巣を飛び出し始めたのでしょう。そう遠くない場所に巣があるのだと思います。住宅街にある実家でツバメの声や飛ぶ姿を見聞きするのは、ずいぶん久しぶり。

空飛ぶツバメ

まだ小さいせいか、すーっ、すーっと羽を広げて滑空するのに慣れてない様子。頻繁にぱたぱたぱたぱた羽をせわしく動かしています。今なら、その姿が可愛くもあり、頑張れと応援したくなりますが、かつて、私にとってツバメは恐い鳥だったのです。

ツバメの記憶

黒くて恐い鳥

私がまだ小学生になる前、農家だった父の実家の土間に、毎年のようにツバメが巣を作り、雛が育ち、巣立っていました。家の中の土間の上には絶妙な曲がり方をした太い梁があり、その上に巣がありました。今では不用心となるのでしょうが、当時は日中も入り口の戸を開け放していて、ツバメは自由に出入りできるのでした。

 

最初、私はツバメが好きではありませんでした。実家の出入り口で何度、ツバメとぶつかりそうになったでしょう。(いや、ぶつかりそうに思ったのは私だけで、ツバメの方では、ゆっくり動いている人間の子どもにぶつかるはずがないと余裕綽々だったかも知れません。)視界に黒い影が入ったかと思えば、もう私のギリギリ隣の低空を高速ですり抜けていきます。そして巣のある梁の前で、ふっと高度を上げ、一気にスピードダウンし、羽ばたきながら空中に浮いいるのです。私が家を出入りするのを狙って飛んで来るようにも、驚く私を笑っているようにも思えました。ツバメにからかわれているような気がしていました。ツバメは黒くて速くて恐い上に意地悪だという風に思えてなりませんでした。

 

叔母から戸を閉めないように言われていたので、父に戸を閉めるよう頼んだこともあります。でも、ツバメが入れなくなるという理由で、聞き入れてもらえませんでした。その際、ツバメは良い鳥なんだと教えられましたが、私にとってちっとも良い鳥ではなかったのです。

 

保育園の登園の記録帳の5月か6月の絵にツバメが描かれていました。登園すると押韻してもらえるのですが、そのページが早く終わって欲しいと思っていた記憶もあります。

 

ツバメを知る

小学生になって、ツバメが雛に餌を運んでいるのだとわかりました。そして、田んぼや畑を荒らす虫を捕まえてくれるから、農家にとっては良い鳥なのだということもわかりました。加えて、学校の紙芝居で『幸福な王子』という話も知り、ツバメは意地悪な鳥というイメージは消えていったと思います。でも、出入口でぶつかりそうになることは減らず、その後もしばらく、良い鳥でも恐いものは恐いという感じでした。

 

ただ、そのおかげで飛ぶツバメをじっと観ることが増え、やがて飛び回るツバメが好きになった気がします。颯爽とした滑空や、S字旋回や、空中停止。スピードの上げ下げも自在で、飛び姿を目で追うのも簡単ではありません。時には目がくらくらすることもありました。ツバメの目には、その風景や人間がどんな風に見えるのかと思いを巡らせました。

 

ツバメの生態

ツバメの生態を気にするようになったのは高校生の頃。自然の営みに興味を持ち、科学雑誌や図書室の本等から情報を得ていました。毎年父の実家にツバメが来たのは、巣立った後の巣をそのままにしていたので新しい巣作りが容易であったこと、人間の暮らしがツバメに優しく安全でもあったこと、人がツバメによって福がもたらされると考え、その生育に寛容であったことなどの理由を知りました。

 

さすがにこの頃には防犯上の理由もあって、父の実家も出入り口を閉めるようになっていましたが、家の軒下に巣を作っていた記憶があります。

 

春を告げる鳥としては鶯が有名。「初音」の二文字で、その年の鶯の第一声を指してしまうほど。そして、夏を告げる鳥としてはホトトギス。「一声」や「忍音」の二文字でホトトギスの第一声を指します。ホトトギスが鳴くのを待つ信長や秀吉、家康の三者三様が有名な川柳も、裏を返せばそれだけ誰もが夏の到来を待ち侘びたということでしょう。

 

でも、私にはツバメが夏告げ鳥でした。まだ色の薄かった新緑が少しずつ濃くなるにつれて、飛び交うツバメが増え、だんだん大きくなっていくイメージです。一時は、その年で初めてツバメを見た日を気にするようになりました。そのため、3月28日が一番早かった日という記憶もあります。こうなってくると、夏告げ鳥としては早すぎる感じですけど。

 

ツバメと言えば…

こうしたわけもあって、ツバメには思い入れがあります。

 

以前、こんな記事を書きました。

ここでは、「ヒバリと言えば・・・」として、

『ストップ!!ひばりくん!』(江口寿史
美空ひばり
英語でLARK?skylark?
落語『愛宕山

を挙げましたが、ツバメだと何になるかな?と考えてみました。

 

ツバメ自転車

乗るならツバメ自転車が良いと思っていた時期があります。ツバメのようにス~イスイっと走れるイメージ。ツバメ自転車を売ってる店にはこんな看板がありました。

ツバメ自転車の看板

小学校入学前の誕生日に新しい自転車を買ってもらいましたが、その自転車は小5の頃にはガタガタになっていました。自転車を走らせながら飛び降りたり、小さい崖になった斜面を降りたりとかなり無茶な乗り方をしていたのです。ハンドルが歪むことも頻繁にあって、両端で前輪をはさんでハンドルをひねって直してました。買い替える頃には、ハンドルと車輪の向きが45度程ずれたこともあったような。

 

それで、中学生になっても乗り続ける条件で新しい自転車を買ってもらうことになりました。ツバメ自転車が良いと思ったものの、基本スポーツ車で高価です。予算的な妥協もあって、願いは叶うべくもなく、ママチャリになりました。せめて色だけでもと、ツバメに似た黒を選んだ気がします。

小5で買ってもらった黒のママチャリ イラスト

高校時に買ってもらったのも、ツバメ自転車ではなかったです。

あれ?ツバメ自転車に憧れた話になりました。

 

漫画『うる星やつら』のツバメさん

コミックスでツバメが登場する話の扉絵はこんな感じ。(本来は白黒)

ツバメさんとペンギンさん

ラムちゃんの従弟テンが、ツバメにおやつをあげたことから大騒動が始まります。ツバメが途端に食欲旺盛になり、手当たり次第に食べて太ってしまい、その容姿がペンギンのようになってしまうのです。

 

この発想にやられました。颯爽と空を飛ぶツバメから、ずんぐりむっくりなペンギンへの変身は強烈で、声を出して笑ってしまったのです。高橋留美子さんは、ツバメとペンギンが身体の背の側は黒く、腹側は白く、羽毛が目立たない等の共通点から思いついたのでしょうか。ツバメの喉元は赤いという違いがあっても、勢いで推し通した感じでした。

 

ずっと後になって、ツバメとペンギンの他の共通点を知ります。ツバメは空中の、ペンギンは水中の移動が得意ですが、どちらも、地上を歩くのは苦手だとの事。漫画やアニメでは逃げ足の速いペンギン化したツバメさんでしたが、面白かったです。

 

国鉄スワローズ

1950年に誕生したプロ野球チームです。

『 東京ヤクルトスワローズ - Wikipedia』によると

「スワローズ」の名称は、当時の国鉄では唯一の特急列車、かつ日本最速だった「つばめ」号に由来する。球団旗には、列車のヘッドマーク等に使われていた「つばめマーク」を採用し、「スワローズ」のロゴデザインは国鉄のデザイン室がデザインしたものを今日まで使っている

とのこと。現在、ツバメはJRバスのキャラクターにもなっていますが、これも国鉄時代からの名残です。

 

国鉄スワローズは、当初より負けが多いチームでしたが、チーム発足の年に入団した金田正一投手の大活躍が光りました。ノーヒットノーランや14年連続となるシーズン20勝、奪三振数世界記録、巨人のルーキー長嶋茂雄を4打席連続三振等、多くの記録や記憶を残しています。

 

チームは1965年に球団経営権が変わり、サンケイスワローズに改称。後にサンケイアトムズアトムズヤクルト本社が公式に単独で経営権を持ってからヤクルトアトムズとなりました。当時『鉄腕アトム』の人気を受けて、手塚治虫やプロダクションとの合意の上でのネーミングでしたが、ファングッズなどの販売に影響が出て、使えなくなります。新しいネーミングを検討した結果「ヤクルト・ジャガース」に決まりましたが、シーズン中の球団名変更は見送りとなり、再検討の結果、現在も使われている「ヤクルトスワローズ」になったのです。ツバメ返しなネーミングでした。

 

特急つばめ

高1の春、「青春18のびのびきっぷ」を使って以来、いろんな路線を辿りたいという思いがあります。

当時、「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンがあって、国鉄の総延長距離は約2万kmと言われていました。全部は無理でも、主要な路線は乗ってみたいと思っていました。でも、その後、国鉄は解体されてJRになり、さらに廃線第三セクター化などによって、「青春18きっぷ」の使えない路線がずいぶん増えました。

 

それでも、是非乗ってみたい車両が幾つかありました。その一つが特急「つばめ」です。上述の国鉄スワローズの名前の元にもなったツバメ。かつては特急「つばめ」が存在していたのですが、1975年以降、その名は使われなくなってしまいました。

 

しかし、特急「つばめ」は復活します。『 つばめ (JR九州) - Wikipedia 』に

国鉄分割民営化後の1992年7月、JR九州鹿児島本線の特急の列車名として再び起用。同社は名称復活にいたって、JRグループ各社から事前に了承を得るという手続きを行っている

と記されています。特急「つばめ」の復活はニュースにもなり、在来線でありながら、新幹線に劣らぬ車両のデザインや客室の内装が話題にもなりました。

 

ただ、残念ながら乗る機会がありませんでした。それでも、ニュースになった787系の車両には、長崎に出かけた際に特急「かもめ」として乗ることはできました。在来線ながら、床が確か絨毯だったと記憶しています。(記憶違いだったらごめんなさい。)

 

2011年、九州新幹線の営業開始で、「つばめ」は九州新幹線内の各駅停車として運行され、在来線特急としての「つばめ」は無くなってしまいました。

 

在来線にこだわる理由は自分でもよくわかりませんが、新幹線とは違う魅力を感じます。車窓に広がる風景かも知れません。新幹線の車窓は、手前に延々と壁があって隔離されてるように思うからでしょうか。

 

或いは、人の暮らしに根付いた駅を繋いでいるからかも知れません。鈍行列車と比べると停車する駅は少なくても、ホームには普段の通勤や通学で鉄道を使っている人の姿を見ることができます。その場所に住む人の日常を見て得られる旅情があると思うのです。

 

ツバメは今・・・

つらつらと書いている内に、また長くなってしまいました。

愛鳥週間に合わせて書き始めたのに、もう5月の末日。四国は梅雨に入りました。

この間、実家近くで見かけるツバメも、幾分か大きく、飛ぶのも上手くなった気がします。きっと、自分でエサを取れるようになったのでしょう。

 

 

 

<追記>

こちらが続編になるツバメの記事です。よろしければどうぞ。