tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況44.「コーヒーは止めて、ミルクでモーニング」と父の「普通」

父と喫茶店に入った時のことです。

私は「ホットコーヒーでモーニングサービス。」と注文。

直後、父は「コーヒーは止めて、ホットミルクでモーニング。」と注文。

私も店員さんも目が点状態。でも、数秒で気がつき、「いえ、コーヒーは止めずに、コーヒーのモーニングとホットミルクのモーニングで。」と言いました。店員さんは納得した様子で注文を受けました。

モーニングセット

父はなおも「いや、コーヒーをやめてホットミルクなんだ。」と言います。

 

実は、父は医者からコーヒーを控えるよう言われています。注文は「ホットミルクのモーニング」で十分ですが、父にすれば(本当はコーヒーで頼みたいのだけれど、飲むのを控えている)という意図を知って欲しくて「コーヒーはやめて」の言葉が出たのでしょう。

 

店員さんが離れた後、「コーヒーをやめて」は言わない方が店員さんには通じやすいと話すと、「コーヒーで注文するのが普通だから、コーヒーでないのを頼むのは変に思われる。」とのこと。父のいう「普通」が、父だけの「普通」ということは珍しくありません。それにことごとく反論しても、お互い嫌な気持ちになるのである程度は流します。ただ厄介なのは、自分勝手なことを言っているのにそれが普通だと思い込んでいる場合があることです。

 

こんなことを思い出しました。

実家近くの旧国道は、渋滞とまではいかずとも、車が切れ目なく流れることも多いです。駐車場から道に出る際、信号で流れが止まるまで待たなければいけないこともしばしばあります。父は、そんな時、「普通は、車が入れるように譲るものだろう」、「普通に道に入れることがまずない」等の不平が出ます。信号で流れが止まれば、大抵は、車が入れる分の間を空けてくれます。中には、こちらに気づかずに詰めてしまう車もあります。そんなとき「あの運転手は普通ではない」等の言葉が出ます。父が苛立つ気持ちもわかるので、その辺は聞き流します。

 

ともかく旧国道に入って、ややゆっくり気味に走っていました。前方の信号が赤になり、道に入りたい車を見かけたので、スペースを空けて止まります。すると父は「止まる必要はない。こんなに車が多いのだから、普通は入れさせん。」と言ったので、私は思わず反論してしまいました。

「自分が入りたい時は止まるのが普通、自分が走っている時は止まらないのが普通。それが普通なら、好き勝手するのが普通って話か?呆れた。」

父は、私の剣幕に驚き、自分の矛盾にも気がついたのか、苦笑。でも、

「普通はそこまで考えない。」

と言ったので、本当に腹が立ちましたが、

「まあ、でも、お前の言う通りだ。」

と続いたので、その場はやり過ごすことができました。

 

「歩いているときは車が邪魔、運転してるときは人が邪魔。これでは、交通安全は成り立ちません。交通安全は自分の安全と他人の安全、両方が大事です。ちょっと考えれば当たり前のことですが、これが考えなくても当たり前になるのは簡単ではありません。だから、言い続けています。」

運転免許講習のそんな話を憶えています。「当たり前がわかる」と「当たり前にできる」との隔たりは、かなり大きいです。

 

父の「普通」は、「歩いているときは車が邪魔、運転してるときは人が邪魔」ということかも知れません。同様に「モーニングセットはコーヒー、コーヒーじゃないならモーニングでないもの」でしょうか。ちなみにケーキでセットならミルクも「普通」に入るようです。

 

そんなことを考えている内、二つのモーニングセットが運ばれて来ました。

食べながら「このモーニングは普通じゃないな。」と父。

パンにゆで卵にサラダ付きと、いたって普通という感じの中身です。

でも、今は午後3時。普通なら、モーニングを注文できる時間帯ではありません。

そういう意味だととりました。

 

 

何が「普通」なのか、意外と難しいものです。