tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

人生でハマったゲームたち 30選

最近はゲームと言えばスマホとの印象が強いでしょうが、私の年代(1965年生まれ)であれば、デジタルのゲームが無かった時代を過ごしています。今回のお題をせっかくの機会として、私の人生でハマったゲームを取り上げることにしました。

 

 

小学生までのゲームベスト5

私の小学生までのゲームと言えば、トランプや将棋、オセロに加え、人生ゲーム等のボードゲーム、学級でやったハンカチ落としやジェスチャーゲームなどになるでしょうか。遊びとゲームの区別はあいまいで、誰か相手がいないと始まらないものがほとんどです。両親共働きで、学校から帰るとすぐ外に出かけて友だちと集まって遊ぶことも多く、一人でゲームをして遊ぶことはそれほど多く無かったです。

 

で、その頃のベスト5は…

5位.駄菓子屋の前にあったパチンコ

駄菓子屋のパチンコは度々入れ替えがありました。(1)球がポケットに入ると球が7~15個ほど出てくるシンプルな物、(2)ボックスに入った回数がカウントされ既定の回数に達すると30円だったかの商品券が出て来る物、(3)投入した10円玉を、バネで弾き、落とし穴を避けつつゴールさせる物、などを記憶しています。

バネで弾いてゴールを目指す10円玉ゲーム

4位.自作のビー玉転がし

小4の夏休みの宿題(工作)で作った物です。板に何十本と釘を打ってコースを作り、途中にビー玉が入るポケットも作ります。ポケットには「アウト」「ダブルプレー」「ヒット」「二塁打」「三塁打」等があり、どこにも引っかからずに抜け出せたら「ホームラン」か「ファール」、「ダブルプレー」。ランナー駒の配置図を用意し、スコア表をつけながら一人でもよく遊んでいました。特に、台風で小学校だけ臨時休校になり、両親は仕事、兄は中学校、私一人、雨戸を閉めた家の中で不安を紛らわせながら遊んだ記憶があります。もしかしたら夢だったかも。

3位.野球盤

ビー玉転がしの野球では物足りなくなって、兄とお小遣いを出し合い買いました。一人で遊ぶゲームではないのですが、一人で投球方法等を研究していました。消える魔球機能付きで、地面に穴が開いて地下ルートでキャッチャーにボールを送れる仕様です。でも、バッターがそれを見逃すと判定はボールになるルール。そこで、地面に穴をあけボールが穴に転がる瞬間に、穴を元に戻すとボールが跳ね上がって打てなくなります。浮く魔球と命名。ただ、この術は成功率が低く、浮いた後キャッチャーの穴に入れば成功でストライク、打者一人に対して一回だけ使えるなどしていた記憶があります。https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/goodspress/cms/wp-content/uploads/2018/11/yakyuuban-6.jpeg

「累計300万台販売した野球盤史上最大のヒット作」

画像と文の引用元はこちら。

www.goodspress.jp

2位.トランプ(特に神経衰弱)

戦術が必要な7並べとか、運任せの戦争(カードを出し合って、数が大きい方の勝ち)では、なかなか勝てませんが、神経衰弱は得意でした。今思っても、どうしてあの頃はあんなにカードを記憶できたのか不思議なくらいです。

1位.将棋

小2でルールを憶え、やがて上級生相手にも勝てるようになり、有頂天になっていました。でも、数年後には上には上がいることを知りました。

 

中学時代のベスト5

スペースインベーダー」の登場は1978年。でも、しばらくは遊ぶ機会がなかったです。ゲームセンターへは子どもだけで入れない規則でした。また、田舎で身近な存在になるまで、少し時間がかかったと思います。記憶に間違いなければ、初めて遊んだのは中学校2年時の修学旅行で、先生の監視の下だったはず

それまでのアーケードゲームといえば、板を動かしてボールを跳ね返す程度のゲームで、もちろん遊んだことはありますが、ハマる程のこともなかったです。

また、1980年には白黒(といより薄い灰色と濃い紺色)の液晶画面で遊ぶゲームウォッチが登場。私は手に入れられませんでしたが、友達に借りてハマった記憶があります。

 

そんな中学時代のベスト5は…

5位 ゲームウォッチ

十字ボタンではなく、左右に動かすボタンでした。タコの魔の手にかからぬよう、海底に沈むお宝をゲットする「OCTPUS」が強く記憶に残っています。

ゲームウォッチ OCTPUS イラスト

4位 サーカス

アーケードゲームブロック崩しのアレンジ版。二人のピエロいて、一人がシーソーの上になった部分に着地し、反対側のピエロが弾かれて空中に上がる仕様。上手くジャンプして上空を流れる風船にタッチすして風船を割られます。上手く風船と風船の間に入ると、連続でパンパン割るのが面白く、ハマりました。

3位 将棋

この頃も友だちとよく遊んでいました。土日の部活が終わった後など、缶コーヒーとお菓子を買い込んで、何局も指していました。

2位 平安京エイリアン

個人的には動のインベーダー、静の平安京エイリアンというイメージ。碁盤目の街に侵入したエイリアンを落とし穴を作って罠にかけ、罠にかかると穴を埋めて退治するもの。戦略を要求されるのが面白いゲームでした。

1位 インベーダーゲーム

正規版「スペースインベーダー」とそうでない版との区別が良くわかりません。左右の動きがレバー式と、ボタン式の物とがありました。また、画面はモノクロながらカラーフィルムが貼られたような一部色付きの物もありました。中3の頃にはあちこちでアーケードゲームやテーブル型ゲームが広がり、スーパーマーケットの片隅にも設置され、一気に身近になりました。

文句無しにハマったゲームです。ゲーム機の周りには人だかりができて、長い順番待ち。クレジットカウント機能つき機械であれば、順番が来た人がゲームを始める際には、次の人はがお金を入れて良いというローカルルールもありました。待つ人がいれば連続で遊ぶのは禁止でした。

有名な「名古屋撃ち」ができることは初級卒業に必須でした。

 

次点として、「ブロック崩し」を上げておきます。隅を攻めて穴を開け、そこに球を送り込むのが高得点の技。これもアレンジ版がいろいろありました。

 

高校時代のベスト5

アーケードゲームが一気に花開き、カラー化され、キャラクターの動きも複雑になり、どんどん新しいゲームが開発された頃。ほんとにいろんなゲームをやっていたと思います。

5位 五目並べ 連珠

1981年に日本物産が発表したアーケードゲーム。通常の五目並べでは圧倒的に先手(黒)が有利ですが、連珠は先手にいろいろ縛りルールをかけ、その差を埋め合わせています。( 詳しくは 連珠 - Wikipedia へ)黒には四三を作るか相手のミスで棒四になるかでないと勝てません。また、3手目まで石の置き方にルールがあり(珠型)そこからスタートとなります。連珠にハマって詰め連珠問題を作ったこともあります。

4位 将棋

これまで高校時代の将棋について度々記事にしましたが、友達や先輩とかなり指しています。自分で詰将棋を作ったり、戦術を考えたりしてた頃。また、弱かったアーケード版も、時間つぶしにはもってこいで、飛車角桂香落ちでも勝ててました。

3位 ラリーX

「ラリーX」は、道が一部分しか見えない中を敵の車をかわしながら進むゲームです。全体を見渡せる縮小地図も表示され、それを頼りにチェックポイントの全制覇を目指します。

ラリーX イメージ

敵の車の方が少し速いため、直線コースでは追いつかれアウト。そこで細い道で煙幕を張って敵を混乱させます。ただし、煙幕にはそれなりの燃料を消費するのでどのタイミングで使うかが勝負を左右します。敵をまとめておびき寄せ煙幕を張るのがコツでした。ただ、挟み撃ちされることには要注意。

2位 ドンキーコング

スーパーマリオブラザーズ」のきっかけになったアーケードゲーム。当時は主人公に名前がなかったです。後続のトンキーコングのシリーズでマリオという名前がついたと思います。

落ちてくる樽を飛び越え、火の玉を避け、ハンマーを手にすれば無敵状態でそれらをやっつけ、ドンキーコングにさらわれた恋人を助けに行く流れ。

ゲームの中にストーリー性があったのがとても新鮮な感じでした。

1位 パックマン

多分、高校時代で一番遊んだゲームです。

パックマン イメージ

パックマンは黄色のキャラが敵キャラから逃げながら、点々を食べ尽くすというもの。でも、エネルギーボールを食べると一定時間敵キャラを食べることができるので敵キャラをひきつけてエネルギーボールを食べ逆襲するのが高得点を狙う技です。一面クリアするとフルーツでカウントしたり、左右のワープ通路など斬新でした。

 

次点として2つ挙げます。

一つ目は麻雀ゲーム。よく行く喫茶店にも置いてありました。当初は麻雀のルールも知らなかったのですが、先輩や友人が遊ぶのを見て触発され、本を買って麻雀を覚えました。詳しいところまでは憶えていませんが、勝ち方によって、クレジット数が加算され、20だったかを貯めるとコーヒー一杯が無料なんて店もありました。

 

もう一つはトランプで「めくり貧民」。過去、記事にしています。

 

社会人になるまでのベスト5

高校卒業前後からゲームセンターがかなり増えたように思います。喫茶店でもテーブル型の物を見かけることがありましたが、時代の流れの速さについて行けず、数年前の物が置かれていたイメージです。

 

1990年頃までアーケードゲームのイメージとしては、シューティング、落ち物、格闘、パズル、レース、ボードゲームでしょうか。その他に、ピンボールやバスケットボール、ボクシング、ホッケー等定番のものもありました。まだ、音楽ゲームはヒット作は無かったです。

一方でゲーム業界を大きく揺るがすファミコンファミリーコンピュータ)が1983年に登場します。友人と一緒に遊んだり、借りて遊んだことはありますが、購入は見送りました。ドハマりして学業を疎かにしそうな予感満載でしたから。


で、ベスト5は

5位 ゼビウス

シューティングゲームとしてハマったのは、多分これが最後。予備校時代、講義の待ち時間を利用して、時にすっぽかしてハマりました。

4位 ロードランナー

私のイメージでは、平安京エイリアンの立体版といったイメージです。ステージに散りばめられた金の像を全て回収して、梯子を使って次のステージに進むという流れです。金の像は、通路の上や空中、入り口の無い穴の中等、思いがけない場所にも。さらに、邪魔をする敵もいて、捕まるとアウト。主人公は穴を掘る銃を持ち、敵を穴に落としたり、入り口の無い穴への通り道を作ったり。時には敵を穴に落としたタイミングで敵の頭上に乗る等の知恵と勇気が必要です。かなりハマりました。

3位 ドラゴンクエスト

就活に失敗して落ち込んでいた時に、友人がファミコンを貸してくれました。1カ月近い間、見事にハマり、攻略本も購入してエンディングまで行き着きました。廃人に近い生活を送っていました。

2位 上海

積み重ねられた麻雀牌の山から同じ牌を見つけると消すことができます。消えた牌の下にある牌が新たに見えるようになり、それと同じ牌を消すことを繰り返し、最終的に全部の牌を消せればクリアとなります。

ただ、消す順を間違えると手詰まりになることもあること、制限時間内にクリアしないといけない等なかなか難しいです。その分、クリアできた時の喜びは大きいです。

1位 テトリス

恐らく、私の人生の中で一番多く遊んだアーケードゲームです。落ち物系という目新しさに加え、図形パズルの要素もあって、ハマりました。最初の頃はミノ(駒)の落下速度が速くなるLevel10が大きな壁となりましたが、それを越えると一度少しゆっくりになりLevel15からは高速落下が続く仕様だったと思います。

感心したのは、ミノが着地してもわずかな時間は左右に動かしたり回転が可能だったこと。1秒より短い間ですが、いびつにできたすき間を埋めることができました。もし、この設定が無かったら、ミノをすき間なく積み重ねることは至難の業で、大人気にはならなかったと思います。

最高のLevel99、Line999、スコア999999に到達できたこともあります。最高スコアになるまでに1時間を超えていたと思います。もっとも、機械によっては落下スピードが異常に速い設定にしているものもあって、そうなると無理でした。

 

社会人になってから現在まで、10選

1995年にパソコンを買いました。OSはwindows3.1。この時はまだインターネットに繋げる環境にはしていませんでした。それでもフロッピーディスクに入ったゲームをインストールして遊んでいました。

1998年にwindows98のパソコンを購入。インターネットにもつながるようにしました。とは言え、まだまだ回線は細く、容量が1MBの画像を読み込むのに1分以上かかっていました。ペイントで編集したbmp画像をメールで送ってきた友人に注意したこともあります。そんな回線なので、ブラウザ上で遊ぶゲームは、かなり限られていました。

21世紀を迎えるとゲームセンターへも段々と足が遠のき、自宅でのネットがADSL回線になって以降、ゲームは家でパソコンを使うのが主流になりました。

 

ここでは1990年頃から現在まで30年余りの10選とします。

順位ではなく、凡その年代順に並べています。

1.90年代前半 メダルゲーム

仕事が休みであれば、ほぼゲームセンターに行っていました。ハマったのは競馬や、ダイスゲーム。百枚を超える当たりを出すのが楽しみでした。ゲームセンターにメダルを預けることができ、使い切らずに終えられるのは便利でした。

2.90年代前半 さめがめ(SAME GAME)

windows3.1のパソコンに雑誌の付録にあったフロッピーディスクからインストールして遊びました。たくさん積み重ねられたタイルの内、同じ色で隣接したタイルを消すことができるというもの。これも消し方によって手詰まりが発生しますが、数回連続で全消しできた記憶もあります。

オープンソースで普及したため、いろんなバージョンがあり、どれが正規の物かは不明。アレンジの仕方、キャラクター設定も様々で、開発者の間でも人気があったと思われます。もちろん、私は、遊ぶ方専門でした。

さめがめ - Wikipedia 参照)

3.90年代後半 ソリティア

windows98のパソコンに付随していたトランプゲーム。これも手詰まりになることが多かったのですが、よく遊びました。私は家でのみやってましたが、職場の事務の人が休憩と称して堂々と職場のパソコンでやっていたのが強烈に記憶に残っています。職場にパソコンが2台しかなかった頃の話。自宅にパソコンがある人はかなりの少数派でした。

4.90年代前半~後半 バーチャファイター(3まで)

ゲームセンターのアーケードゲームで一番最後にハマった格闘ゲーム。1作目から3作目まで3D表示の進化がよくわかるゲームでした。レバーは8方向に動き、守備、攻撃、技や繰り出すボタンは3つ(VF3では4つ)。それらをタイミングよく複雑に組み合わせると大技がしかけられます。最初はコンピュータ相手に対戦することが多かったですが、後に向かい合った席の相手と対戦するのが主流になっていきました。

ゲームには待ち人で列ができる程。かつてのインベーダーゲームでもあった「順番が来た人がゲームを始める際には、次の人はがお金を入れて良いというローカルルール」が約20年ぶりに復活したのに驚きました。

決して弱くは無かったとの自負はあるものの、ゲームセンターでトーナメント制の大会に出場した際は、あっさり一回戦で敗退しました。ただその対戦相手が優勝したので少し救われた気がしています。

5.2000年前後 囲碁

パソコンが、windows XP になってCD?DVD?で廉価版の将棋と囲碁のゲームをインストール。将棋はAI将棋に勝てなくなって、あまり遊びませんでした。囲碁はルールを覚えるつもりで始めたので、PCと初級レベルから本気に対戦。初級で負けることはほぼなくなりましたが、中級辺りで苦戦。その間、かなりの数で対局をしたと思います。

6.2000年前後 Ozawa-Ken(タイピング格闘ゲーム

windows98 デスクトップを使っていた頃、インターネット雑誌で知ったタイピング格闘ゲーム。雑誌の付属CD?DVD?にフリーソフトとして圧縮ファイルで入っていたものをインストール。タイピングが苦にならなくなったのはこのゲームのおかげだと思います。( Ozawa-Ken - Wikipedia 参照)

ホームポジションの優位性に納得し、「ジャ」や「ディ」等のローマ字、テンキーを使わずに数字を打ち込む等、かなり上達した実感がありました。

その後、windows XP はモバイル性を考慮してノートPCにしました。こちらにもインストール。ネット回線も高速化したおかげで、ネットを通じて情報交換したり、作成者のサイトに訪れたり。そんなノートPC中キーの感覚の違いに戸惑いながらも、練習を重ねました。また、処理速度がwin 98よりかなり速く、以前のような成績は出せず、ある程度の成績に到達した後は、あまり使わなくなりました。

7.2000年前後 ファイナルファンタジーⅨ(PSソフト)

それまで購入を控えていたゲーム機を入手しました。PlayStation 2 です。ただし、ゲーム機を自宅に置けば廃人になる自信があったので、実家に置きました。帰省の時に遊ぶ用。win XPのノートパソコンをモバイル(PCカードスロットで無線回線Air-Hを使用)を利用していたのですが、やはり速度としては遅く、ブラウザゲームすら十分に楽しめなかった頃です。

買ったソフトの一つがファイナルファンタジーⅨ。平面上を上下左右に動くドラクエとは違ってかなりの立体感。正月と盆頃に帰省した数日はかなり廃人に近い生活でした。

数年がかりでクリアしました。

8.2000年前後 XI(サイ)(PSソフト)

ファイナルファンタジーⅨと合わせて購入したソフト。母の認知症を心配し始めた頃でもあり、その予防を兼ねて遊んでもらえたらと考えたのです。私も面白そうだと思っていたので、結構ハマりました。

敷き詰められたサイコロをの上を移動したり、一個のサイコロの上に乗って操って出る目の数を変えたり。同じ目のサイコロを目の数だけ繋げられたらサイコロを消すことができます。キャラクターも動きも可愛くて、母も気に入った様子です。

XI (ゲーム) - Wikipedia 参照)

帰省している間に出した私のスコアを、次の帰省までに母が追い抜くということが続きました。さすがにこれには驚きました。私は連鎖を発生させて高得点を狙っていくタイプでしたが、母はコツコツ低い得点でも粘り強く積み重ねるタイプ。

ただ、父の話では当初は楽しくやっていたものの、何年かすると1日に何時間もゲームを続けるようになったそうで、体に悪いとやめることになりました。もう少し上手に遊べる方法を母に教えるべきだったと、母が亡くなった今も反省しています。

9.2010年頃 アメーバピグ(2012年頃まで)

ネット回線のスピード化によってパソコンでいろんなことができるようになりました。

純粋なゲームとは言えないかも知れませんが、その頃にハマったのがアメーバピグ

自分に似せたアバターを作り、部屋のデザインをあれこれ考えました。ブロックを立体的に配置できる上、重ね方の工夫で外見を錯覚させることもでき、キャラクターが隠れられる秘密部屋や立体迷路にして、知り合った仲間に紹介していました。

魚釣りゲームやカジノゲーム、庭遊びにもハマりました。課金すると手にできるアイテムを購入することもできましたが、課金はできるだけ抑え、ピグ内で集めたポイントで購入できるもので遊んでいました。

公園などに集まって一度に大勢の人と文字で会話することも可能で、当時はかなり画期的なシステムだったと思います。東日本大震災の折には、知り合ったメンバーの数人と連絡が取れなくなるなど心配もありました。ほどなく復帰した人もいて、その人の身近な人が大変な目に遭った話なども聞きました。

その後、段々とログインすることが減り、放置状態になっています。

10.将棋(ハマるの何度目?)

PC用将棋AIに勝てなくなってから、ネット対戦をするようになりました。当初は、Yahooゲームなどでちょこちょこやる程度。ただ回線が途切れることも珍しくなく、音信不通で放置されるということも何度となく経験しました。

2000年代に将棋倶楽部24に登録。

www.shogidojo.net

勝ち負けだけでなく、感想戦まで付き合ってくれる人もいて一時期ハマりました。しかし、自分の棋力の低下は明らかで、だんだんと遠ざかることに。思い出したように弱め設定の将棋AIと指したり、ふらっとネット対戦をしたりするくらいでした。

 

ところが最近、ツイッターで簡単な詰将棋次の一手問題を解いている内に、何度目かの将棋熱が出てきています。今の将棋人気は藤井聡太の活躍があるからでしょう。1990年代の羽生善治以来の将棋大ブームという感じです。そんな中、新しく「将棋ウォーズ」にも登録。

shogiwars.heroz.jp

まだ様子見で少しずつですが対戦もしています。まだ、かつてのハマり具合に比べれば弱いものですが、時代を越えてハマれるゲームもそう多くありません。将棋のルールは変わらぬままです。ある意味、究極のハマれるゲームと言えるかも知れません。

 

今後どんなゲームが登場し、どんなゲームにハマるのでしょうか。

 

以上、長くなりましたが、

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への応募記事でした。

 

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