ウルトラマンは突然に現れる。クラスのみんなは、どう反応したらいいかと戸惑うだろう。しかし、私はたじろぐことなくウルトラマンを冷静に、そして熱く語るのだ。その機会を虎視眈々と待っていた。1983年4月のことである。
自己紹介の時間
高校3年に進級したばかりの頃、LHR(ロングホームルーム:学級会に相当)で、クラス全員が一人ずつ自己紹介をすることになった。40人を超えるクラスメイトがいる。1人一分としても40分を超え、1時間の授業分になる。でも、担任の先生は色々話したり聞いたりお互いを良く知って欲しいからと、2時間の枠を設定してくれたように思う。
先生の小難しい話を聞かずに済むと考えたのか、知らないクラスメイトのことを詳しく知れると思ったのか、喜んだ生徒は多かった。それほどまで時間を取らなくてもいいのにと思った私は少数派のようだった。
自己紹介なんて、誰も似たようなことしか話しやしない。名前、生年月日、住所、血液型、趣味、好きなもの。あと進学校なので得意な教科、苦手な教科くらいか。それを40人分聞いて、どれだけの人が何人についてどれほどのことを憶えられるのか?甚だ疑問だった。
と、そこで思いついたのだ。ここでウルトラマンを突然に語りだしたらどうなるだろうか?と。
高3の自己紹介、傾向と対策
進学校の3年ともなれば、多くの者はこれから先、自分の夢がどの程度実現可能なのかを考える。それが希望に近いか失望に近いか、楽観的か悲観的かに関わらず、それほど気にしていない風に振る舞う子が多いというのも知っている。例外的に何も気にせず今を楽しもうぜ的に能天気を装う子が幾人かいるのもよくある話だ。
果たして、自己紹介は予想した範囲内で語られていったと思う。それでも、それぞれに工夫して、自分のことを語っていたと思う。高校生活最後の年、自分の人生の少なくない部分が左右されるだろう年、でも、今しか経験できないことにたくさん挑戦したい思いなど。将来の絶対的な自信というより願望、不屈のチャレンジ精神というより自分なりの精一杯、そんな話。中には丁寧に聞けば、なるほどと感心するような話もあったように思う。
都会か田舎か
でも、その辺の詳しい中身は憶えておらず、記憶しているのは自宅近辺が都会か田舎かという話で少し盛り上がったこと。四国に居ながら都会か田舎かというのは無理があると思われ、ちょっと可笑しかった。
高2の修学旅行で東京を一日自由に巡り、高いビルの上にしか空が見えない圧迫感や、顔形を認識できないままに人が流れる風景、地下鉄の入り口がわからず人に尋ねると思いの外やさしく教えてくれたり、地下鉄の券売機の操作に戸惑う後ろで靴をタンタンと鳴らして急かされたこと、電車の止まる位置から待つ人の列が整然と長く伸びていく当たり前…。そんなことが皆無な四国で、何階建てのビルがあるとか、店が何軒あるとか、所詮どんぐりの背比べでしかなかったろう。
話が逸れた。
とにかくそんなことを思いながら、いよいよ自分の番が近づいた頃には、ウルトラマンの何を語るか、項目立てて考えていた。原稿は無しの出たとこ勝負だ。
演説をするかのように
私の順番が来ると、心臓はバクバクしていたが、なるだけ平然を装いゆっくり歩き、教室全体を見まわしてから話し始める。
まずは自分の名前を述べ、知っている人も知らない人もよろしくお願いしますとあいさつ。そして、こんな感じで続けた。
「自己紹介ということですが、僕のことは追々わかってもらえればいいです。それより、僕にはどうしてもここで話しておきたいことがあります。」
この時、クラスの多くの人の視線を浴びた感触があった。
「それはウルトラマンのことです。」
と話すと、一気に脱力した人も多かったと思われた。
ウルトラマンは突然に
突拍子もない話に引く人がいることは予想済み。ここで怯んではいけない。
テレビがそうだったように、周囲の人は初めて見るウルトラマンに驚くが、ウルトラマンは当然のように飄々とそこに立っているべきなのだ。私もそれに倣って話を続ける。
保育園、小学生と夢中になったウルトラマンシリーズ。でもタロウシリーズの途中で興味を失った。ウルトラマンの家族に何度も助けられるタロウ。そして、シリーズが進む程に、怪獣がだんだんとウケ狙い的に見え幼稚な設定に思えてしまった。レオシリーズもほぼ見なかった。そんなことを話して、こうまとめる。
「僕は、もっとシリアスなウルトラマンが見たかったのです。」
「シリアス」だか「シンプル」だか、他の言葉だったか不明だが、ここまでが前段。
演出上、基本的に真っすぐ前を見て、ゆっくり皆を見回したつもり。できていたかどうかは知らない。
期待は裏切られた
レオの後しばらくウルトラマンシリーズは途絶えた。そうして、あろうことか、アニメ作品として復活した。『ザ☆ウルトラマン』と『ウルトラマン80』。
「僕は特撮が見たかったのです。アニメではありません。ウルトラマンをアニメにするなんて許せないです。見ていた人はいますか?僕は見る気も起きませんでした。」
がくり。教卓を腕で押さえつけるようにして、首をカクンと垂らします。
(『ルパン三世 カリオストロの城』でルパンがクラリスに救出の提案をするものの、クラリスに断られるシーンのイメージ)
そして、淡々と、「アニメでは駄目なのです。精巧なミニチュアを時間をかけて作り、それが戦闘シーンであっという間に壊されてしまう、その無情の背景があってこそ、怪獣は怒りの対象となるのです。そして、その怪獣を退治するウルトラマンの強さと哀しみが僕たちに伝わるのです。」
そんなことを話しました。そして、再び
「それをアニメにしてしまうなんて…」
と、うな垂れます。このあたりになると、話を聞き流す人もいたようでした。そして、心の中で(1,2,3)と数えた後…
顔を上げて訴える
「じゃあ、僕らのヒーロー、ウルトラマンはどうなるのですか!」
ドン!拳で軽く教卓を叩いて訴えます。
うぉっっ、と再び皆の視線が集まり、あちこちで笑い声も上がる。
私はこの時、ウルトラマンの話をして良かったと確信した。
「笑い事じゃないんです。真剣なんです。」
まだ笑い声の残る中で、締めの台詞。
「ウルトラマンを奪ってはいけません。ウルトラマンは夢であり、希望なんです。」
拳を握り締め、胸にドン。
「僕は特撮のシリアスなウルトラマンの復活を望んでいます。」
「ウルトラマンはあきらめません。僕もあきらめません。みなさん、この一年がんばりましょう。よろしくお願いします。」
そんな感じで自己紹介を終えた。
教壇から降りる時、ひときわ強い拍手が起きていたように思う。
※ 尚、さすがに一語一句まで正しく憶えているはずもなく、「導入:子どもの頃のウルトラマン」「中盤:アニメと特撮の違い」「締め:ウルトラマンはあきらめない」の構成とできる限りの記憶を元に再現した次第。
35年程、時は過ぎ
コロナ感染が広がる前の2018年。高3の同窓会をしようと言う話が持ち上がる。
その打ち合わせをしていた時だ。
「カメさんて、確か自己紹介の時、ウルトラマンの話、してなかったっけ?」
心の中ではガッツポーズをしつつ、
「そうそう、よく憶えていたね。」
と返すと、
「どんな話だったかは覚えてないけど、コイツ何を話してるんだ?頭が変なのかって思った。」
と言う。まあ、何でもストレートに言うのが彼の特徴であるから、毒の部分は無視しながら聞いていると
「でも、後にも先にも自己紹介のことを憶えてるなんてカメさんだけだった。」
その一言で、十分だ。
誰かの自己紹介の時のことを憶えてるなんてあまりない。
だから、記憶に残る自己紹介をしてみたいと考えた。
ウルトラマンは大活躍をしてくれたと嬉しかった。
そして2022年の今年、『シン・ウルトラマン』が上映され、
ミニチュアの特撮ではないが、シリアスな実写版として復活を遂げた。
ウルトラマンは今なお、活躍中である。