tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況31.『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』を観た

映画の存在を知ったのはつい最近。自分の病院に行くために実家から自宅に戻り、空いた時間に映画でも観ようかと、映画館サイトの上映スケジュールに見つけた。作品情報から監督が安彦良和、 声の出演が古谷徹と知って、即、観ると決めた。

g-doan.net

※ <閲覧注意>以下、多くのネタバレを含んでいます。

なお、これから観る人の為に、多少は詳細をぼかしています。

 

ガンダムについては、ファーストガンダムのテレビ放送、三部作映画、加えて漫画版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』以外を知らない。ちなみにこんな過去記事もある。

今作ができるまでに、いろんな経緯があったのだろうが、その辺の情報入手は後回しにした。

 

特別興行のため、割引の効かない入場料1900円に少し怯んだが初志貫徹。映画を観るにも旬がある。私は、その時に観て後悔するより、観ずに後悔する方がダメージは大きいと思うタイプなので尚更だ。

 

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の魅力

本編冒頭、こんな文章が表示される

この映画は1979年に放映された「機動戦士ガンダム」第1シリーズ中の15話「ククルス・ドアンの島」を翻案したものです。

テレビ版の大筋を踏まえつつ作り替えた宣言。どこを作り替えたかより、何故、翻案したかが気になるところ。映画版鑑賞後、ネット配信で観たテレビ版「ククルス・ドアンの島」や、映画版公式サイト、他の検索で得た情報を含め3つにまとめて書くことにした。

 

1.小さな子どもの視点

全編を通して小さな子どもが登場するSF戦争アニメはあまり無い。ファーストガンダムでは、小さな子どもカツ、レツ、キッカの三人の戦争孤児が一定の意味を持つキャラクターとして描かれている。保護はもちろん必要だが、一人の人間として尊重されるべきとのメッセージも含まれていたと思う。また、アムロの成長を目の当たりにしながら、小さい子どもも未来の担い手として育っていく。高校時代はあまり感じてなかったが、ファーストガンダムならではの視点だったと思う。

 

ククルス・ドアンの島』でも、戦争孤児に焦点を当てている。テレビ版より映画版の方が子どもの数は多いが、かつてドアンの攻撃で親が犠牲になった点、ドアンが子どもを保護する点、子どもたちがドアンを慕う点、ドアンがジオン軍からの攻撃を防ぐ点等で共通している。

 

映画版では、孤児が生きる姿を丁寧に描く。わがままも多いが、成長したいの思いもあり、落ち込みもするが、回復も早い。子ども同士けんかもするが結束力もある。もちろん、ドアンが子どもの生活を守っているからこそだが、子どもを尊重するドアンの姿勢は子どもの成長に強く反映されている。当初、子どもたちはアムロに反発するが、数日過ごす内に受け入れていくのは、戦争の中にあっても子どもは成長できるという希望なのかも知れない。

 

2.地球の自然の中で生きる視点

ファーストガンダムの放送や劇場版3部作のあった時代は、暦が宇宙世紀とされている点を含め、宇宙への憧れが強くあった頃だ。また戦争の話であるため、地球の自然の中で生きる人々の姿はあまり描かれなかった印象がある。ORIGINでも『ククルス・ドアンの島』の部分は描かれなかった。

 

映画版では、地球の自然の中で生活するシーンが印象に残った。人が地球で生きていることの意味を伝えている気がした。海で魚を釣る、飲料水や生活水の確保等、人工のスペースコロニーではあり得ない生活である。直接、温暖化や環境問題には触れていないものの、地球の自然に目を向ける時代を迎えたというメッセージかも知れない。

 

3.兵と兵器の視点

映画版で連邦軍はドアンの島を作戦遂行の上で無視できないジオン軍の残置諜者が潜む場所して捉え、掃討指令を出している。一方で、ジオン軍は島が重要な作戦拠点である為、ドアンから奪還する必要があった。テレビ版とは島の重要度が大きく違っている。

 

映画版で驚いたのは、現実に起きているウクライナの戦争にも共通する兵や兵器の問題を描いていたこと。戦争を予見していたわけではないだろうが、現在の戦争を考える上で避けられない長距離弾道ミサイルも取り上げている。

 

ドアンは軍を抜け戦争の犠牲者に寄り添う一方、ザクを使って島の侵入者を撃退し、ジオンのミサイル施設については電力供給を下げることで封印していた。武力と生活のバランス保持は、世界共通の課題と言えるだろう。さらに、世界情勢の動きの中でそのバランスは大きく傾く。映画版ではその辺りにも焦点を当てていて、興味深かった。

 

ファーストガンダムテレビ版では、幾らかの庶民や難民に触れるが、戦争に虐げられた姿、利用される姿が多く、兵や軍と対峙するレジスタンス的なものではなかった。映画版では、ドアンは元軍人なので庶民とは言い難いが、連邦軍ジオン軍、どちらの正規軍にも属さず、自身の信念を貫く。軍人もまた戦争に翻弄される被害者なのだと思う。

 

ジオン軍マ・クベ大佐が、ヒトラーの言葉を真似て言うシーンがある。地球人類の文化価値を認める彼は、戦争による文化破壊についてわずかしか語らないが、重要な示唆にも思う。一方で、作品のラストには武器、兵器の在り方を問うシーンもある。この部分、賛否両論あるだろうが、これまた参院選前のタイミングを予見していたのかと思えるほど。ただ、この後ドアンの島がどんな運命を迎えるのか、誰も知らない。それは今の現実社会がどう進むのか誰も知らないことと共通している。

 

映画のメッセージ

ファーストガンダムのストーリーとして「戦争に巻き込まれてしまった以上、仕方がない」とする流れがあるのは否定しないが、当初から作品スタンスが好戦的か反戦的かで意見が分かれていたと思う。ただ、そうした二者択一ではすまされないのがガンダムの魅力だとも思う。連邦軍ジオン軍それぞれの内部事情や、それに翻弄される者、乗じる者、さらには戦争被害に視点をあてる等、奥深い。

 

今作は、テレビ版、三部作版で描き切れなかった部分に光を当て、そのメッセージをどう受け取るかを世に問うている気がする。公開のタイミングには驚かされてしまったが、ともかく、このタイミングで観てよかったと思う。

 

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<余談> 映画版の舞台、登場人物について

アレグランサ島

ククルス・ドアンの島は、映画版では北大西洋カナリア諸島に属する無人のアレグランサ島と明確にされ、実在のプンタ・デルガーダ灯台がドアン達の住処と設定されている。

アレグランサ島

実在の島から作品イメージを膨らませたのだと思うが、テレビ版では太平洋にあった島が映画版で大西洋上になったのはいろんな事情があるのだろう。ホワイトベースの地球上の航路に言及すると、テレビ版や劇場版三部作、ORIGINとの違いがあって複雑だ。本作品は南米から欧州への移動なので、ORIGINを踏襲している。

何にせよ、映画版によってアレグランサ島はこれまでにない注目を浴びているようである。既に wikipedia にも紹介されていて驚いた。

ja.wikipedia.org

 

東欧の地名

オデッサ(現呼び名は、オデーサ)もテレビ版ガンダムで知った地名だ。長らくなぜオデッサが重要な場所になっているのか知らなかったが、今のウクライナ戦争から、東欧やロシアにとって重要な拠点港であるとわかる。テレビ版と漫画版ORIGINとでは、ホワイトベースの航路が大きく違うが、東欧の都市に注目していたのは、やはり以前から世界の情勢など分析していたのだろう。加えて、一瞬の表示であったが、連邦軍の進路としてダンツィヒの都市名も出ていた気がする(見間違えかも?)。

 

ダンツィヒについては

で触れたばかりで、ここでも映画を観るタイミングの不思議さに驚かされた。

 

リュウではなくスレッガー

テレビ版ではクルーにリュウがいたが、映画版ではスレッガーである。これは、ORIGIN版でのホワイトベースの航路がジャブローに寄った後で大西洋を渡るので、それに合わせてスレッガーが合流しているのだろう。

 

この辺、深堀りするとテレビ版、三部作版、ORIGIN版、今作とでいろいろつじつまが合わない点が見えてしまう。それはそれとして、今作が最新の設定になっていると受け止めるのが良いと思う。

※ 鎌倉幕府が開かれたのが「良い国作ろう鎌倉幕府」の1192年から、「良い箱作ろう鎌倉幕府」の1185年が正しいとされるようになった感じ?え?違う?