tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画25.『ブリキの太鼓』(2)東ヨーロッパの民族と歴史観

高校時代に観た『ブリキの太鼓』は、私にとって東ヨーロッパを知る足掛かりにもなっています。まだホロコーストという言葉も知らなかった頃です。この作品を『Uボート』(ブログ記事はこちら)と同じドイツの作品という感覚で観始めていたため、街がドイツ軍に占領され、後にソ連軍に攻撃されることがあまり理解できませんでした。

 

この記事は「映画24.『ブリキの太鼓』(1)子どもと大人との狭間で観て」の続きです。

※ <閲覧注意>以下、多くのネタバレを含んでいます。

ブリキの太鼓の魅力

2.東ヨーロッパの民族

ブリキの太鼓』も、映画館に居続けて2回目を観ています。関心は、何故ドイツ軍に攻められたのか、そもそもどこの話なのかにありました。

ポスターからドイツだけでなく、フランス、ポーランドユーゴスラビアの合作と知ります。当時、ポーランドユーゴスラビアについてあまり知らなかったのですが、映画から東ヨーロッパの事情が少し見えてきました。

 

第2次大戦で、ポーランドは西からドイツ、東からソ連と二国から侵攻されています。映画の舞台となったのは自由都市ダンツィヒ(現グダニスク)で、正式にはポーランドにもドイツにも属さない都市でしたが、1939年9月にドイツから攻撃を受け、第2次大戦の火ぶたが切られました。(高校生の時は自由都市の詳細は知りませんでした。)都市には、ドイツ人が95%を占め、少数民族としてカシューブ人とポーランド人他が存在していたとのこと。侵攻後数日でドイツへの再編入を問う投票が行われたそうです。

 

オスカルの祖母アンナはカシューブ人、その娘アグネスはドイツ人のアルフレートと結婚、一方でポーランド人のヤンとは不倫関係でした。さらに、アグネスに密かに思慕を抱くおもちゃ屋マルクスユダヤ人。実際、民族間の交流と対立がどうだったのかは知りませんが、映画の中では、アグネスが生きている間は、それなりにお互いを認め合っていたように見えました。

 

気の良さそうな一面もある夫アルフレートが、アグネスとヤンの不倫に気づいていたかどうかはっきりしません。仮に、気づいていたとしても、一定の経済力と人脈のある彼でしたから、大目に見ていた可能性もあります。また一方で、地下室の階段の扉を閉め忘れた際、オスカルか落ちて成長が止まったことに負い目があり、アグネスに何も言えずにいたのかも知れません。アグネスやヤンを怒鳴りつけることもありましたが、アグネスにプレゼント等を送る、オスカルを含めて4人で出かけるなど、それなりに仲の良さは維持できていたようです。

 

ナチスの盛衰は、アルフレートの立場に強く影響します。街にナチス色が濃くなる頃には、ヤンにドイツの新聞を勧め、ポーランド側からドイツ側になれと声をかけます。この辺り、ドイツが有無を言わせずポーランド侵攻したことを考えれば、むしろヤンへの優しさと取ることができるかもしれません。でも、いつの時代も、戦争における国の思惑と民の思惑にはズレが生じるようです。それは時に美談となりますが、多くの場合悲劇になります。それだけ、戦争が多くのものを破壊しているということでしょう。

 

アグネスの死後、ナチスユダヤ人迫害が進みマルクスが自殺します。やがて本格的なドイツ軍の侵攻が始まり、ポーランド郵便局が襲撃され戦闘に加わったヤンは処刑されます。ダンツィヒは占領され、信奉するナチスの党員になったアルフレートでしたが、戦局が変わりソ連軍に攻め入れられ、隠れていた地下室で銃殺されます。

 

ストーリーには各民族の実情が描かれていたと思います。ユダヤマルクスの影の薄さ、ポーランド人ヤンのドイツへの抵抗心、アルフレートの当初の上から目線と後のナチス党員である怯え。それらが民族的差別感からきているとの論調に繋がりやすいのもある意味頷けますが、東ヨーロッパの複雑な民族問題とその歴史が垣間見えていたのも確か。支配者が次々に変わったダンツィヒはその象徴的な都市と言えそうです。

 

三人の死に、無邪気を装ったオスカルと太鼓が絡んでいることに意図的なものを感じます。彼の太鼓は、ナチスの集会をダンスパーティーに変える力までありました。ナチスすら操れるオスカルの太鼓。それは悪魔の仕業か、悪魔すら操る人の仕業か。映画のラスト近くで、オスカルの太鼓はアルフレートの墓穴に捨てられ埋められました。でも、同じ太鼓が、オスカルが自分の子どもと思っているクルトの手に残るのです。

ブリキの太鼓 イメージ

40年ぶりに観て、そのラストに改めてぞっとしました。

 

3.時代の流れと差別感、歴史観

ブリキの太鼓』の公開から40年余り。その間、作品の評価は幾度か揺らぎました。『風と共に去りぬ』と同様、時代の流れや差別感、歴史観の変化との関連は否定できないでしょう。

この点もずっと気になっていることです。

 

差別感

ブリキの太鼓』が差別的と言われるのは、民族的差別の他に、性差別や障害者差別も含まれます。時代の流れゆえに昔の作品に一定の性差別があることは否定できませんが、この作品は児童ポルノ論争になった経緯もあり、他の作品と同列にできないかも知れません。

また、障害者差別については、小人症の人の起用がそれに当たりそうです。当時のドイツ軍の慰問に小人症の人がいたかどうかは知りませんが、ヨーロッパでは外見の物珍しさが見世物興行にされていたのは事実です。映画『エレファントマン』もそうでした。

他にも欧米の映画で小人症の人の起用は珍しくありません。『スターウォーズ』、『ネバーエンディングストーリー』、ディズニー映画など、SF物、ファンタジー物に多いです。また、映画とは別に人気を博したエマニエル君もいました。

 

今の時代からすれば、小人症の人を興行起用する根底に蔑視があったと見ることもできるでしょうが、興業が貴重な働き口であったことも事実です。また、小人症の人に光を当てたという積極的な面もあります。出演する映画を差別的だとして登場機会を減らすことが、逆差別的との論調もあります。

 

起用すること自体が問題なのか、差別を助長しない起用であれば問題ないのか、今なお両論あります。ここでの結論は避けますが、障害の有無にかかわらず、誰にとっても生きやすい方向に進んで欲しいと思います。

 

歴史観

ブリキの太鼓』の冷静な歴史観も魅力の一つです。時代の流れや国、国民の期待に応じて、映画がプロパガンダ的になることは珍しくありません。でも、『ブリキの太鼓』は、国威発揚とは距離を置きつつ、過度に反国家的でもなかったと思います。

 

映画の舞台が自由都市という特殊性を持つ上、複数国による合作となっていますが、作品の主体となる国はドイツだと言えるでしょう。第2次大戦後、世界でナチスを礼賛する映画はまずありません。ナチズムは徹底して批判の対象となります。

 

ブリキの太鼓』では、ドイツ人のアルフレートと周囲の人がナチス礼賛へと傾いていく流れも描かれています。自ら望んだのか、何も知らぬ間にそうなってしまったのかは不明ですが、迫りくる戦争にどこか迎合的なのです。ドイツ軍の進撃を楽しむように地図にピンを立て、歓喜するようになります。それ故に、ドイツ軍の敗北は、裏切られた感、喪失感、ナチス党員であった恐怖感が伝わってくるのでしょう。アルフレートの死は無情ですが、そこにはナチスを無批判に受け入れた批判も込められていると思えるのです。

 

ところで、戦時下の日本を描く作品では、戦争には積極的でなかったのに、監視や周囲の同調が圧力になり、支持するしかなくなっていくというパターンが多い気がします。戦争を嫌なものとして感じつつ、巻き込まれてしまうという感じ。もちろん、戦争を積極的に支持する一般人が描かれることもありますが、主要な登場人物でなかったり敗戦前に亡くなることが多いように思います。それ故に終戦(敗戦)を迎えて安堵し、やはり戦争はいけないと前を向く傾向になりやすいのでしょう。でも、戦争中、日本で戦争に反対していた人はほぼ皆無で、それゆえに降伏した後、アメリカに何をされるのかという恐怖と混乱は大変なものだったようです。

 

過去、日本の終戦直後について書いた記事があります。

終戦の直前、日本帝国陸海軍が保有していた膨大な資産20億ドル(現在の数兆円)について、政府は事実上の略奪を秘密裏に通達しています。敗戦3日後には、日本女性の貞操を守るとして売春施設「特殊慰安施設協会(RAA)」を立ち上げ、空襲で身の寄せ場を失った女性を含め5万3000人を集めたとも。満州から逃げ延びるため未婚女性をロシア兵に差し出した開拓団もありました。命の糧となる食料配給は減らされ遅配が常態化し、市民は飢えに苦しみ明日の生死さえ不安な日々を送っていたのです。

「戦争が終わって日本は平和になりました」の一文で、この時代を無かったように言うことに、強い疑問を感じてなりません。終戦直後を知らないまま、戦争がなければ平和だと簡単に言い切っていいのかどうか、考える価値は大きいと思います。

戦争の悲惨さはもちろんですが、よくわからぬままでも戦争に加担してしまう怖さや、戦時下に治安維持の名で自由を奪われたこと、敗戦にともなう略奪や飢餓も知っておく必要があると思うのです。それへの想像力が無いまま、近い将来、日本が戦争に向かい始めたら、歯止めなく突き進む気がしてなりません。

 

ここで、過去記事の『映画1.「利口ではない」映画』についても少し。

ガンジーの指導を受けたインドの独立運動は、占領していた英国と激しく対立していました。イギリス人が率いるインド軍は非武装のインド人の集会に向けて、弾丸が尽きるまで銃撃を続け、1,500名以上の死傷者を出すアムリットサル事件を起こします。

映画ではこれをきっちり描いています。記事ではこう書きました。

日本が、戦争相手国と共同で制作し、世界的に高い評価を得られる作品を作ることはできるのでしょうかね?

 

ブリキの太鼓』で描かれた歴史は、当時の歴史をどういう視点から見るのかも考えさせられました。もっとも、高校時代に気づいたことばかりではありません。でも、作品がずっと印象に残り続けたおかげで、後々気づいたことも多く、大きな影響を受けていると思えます。

 

「裏切られる覚悟」

さて、3点に渡って作品の魅力について書いてきました。『ブリキの太鼓』を40年後に観直して、作品を一言で表現するなら「裏切られる覚悟」となるでしょうか。

 

男を匿い、その間にできたアグネスを産み育てながら、男に逃げられるアンナ、成長しない子を育てるアグネス、不倫を続ける妻と自分の子でないかも知れない子の面倒を見るアルフレート、他人かも知れない子によって戦場に引き込まれたヤン、主人公オスカルでさえ望んだ自由は得られません。時代の流れとして、ナチスに迫害される人、ナチスの襲撃で命を落とす人、ナチスを信奉して逃げ場を失うナチス党員を映し出します。希望や期待は叶わず、多くの人が命を失います。それでも生きるために、オスカルらは西に向かい、アンナはその土地に残るのです。

 

まるで、「人生に良いことなんて一つもなく、裏切られるばかり」と言われている気もします。一方で、期待通り与えられ、受け継がれる物と言えば、厄災の根源のようなブリキの太鼓。人間の業を象徴していそうでやるせなさを感じますが、絶望とは違います。答えの見えない余韻を残して映画は終わるのです。

 

変な話ですが、この作品は決してお勧め作品ではありません。醜悪さに吐き気がする、人間の恥部を曝け出していて見るに耐えない等の声、小動物への残酷なシーンもあり、苦手な人がいることは容易に想像がつきます。ただ、私にとって魅力の多い映画なのも確か。ですから、もし観てみたいと言う方がいるなら、こう言い添えたいです。

 

「裏切られる覚悟」を持って観てください。