出発
1984年3月3日。起きたのは午前2時15分。雪国の大学受験に向かうのだ。計画は自分で立てた。3:30発の大阪行きフェリーから地下鉄に乗り継ぎ、新大阪7:40発の雷鳥3号に乗って目的地を目指す。港まで父の車で送ってもらったが、その後は長い一人旅。新大阪では電車の着くホームを間違えるハプニングもあったが無事切り抜けた。
「受験に行くときは学生服が望ましい。」学校で言われた通りにした。この受験には歌唱のテストもあって、学校の特別な計らいで指導もしてもらった。小論文の添削もしてくれた。共通一次テストの成績から言えば、合格は運が良くても難しく、奇跡に期待するしかなかったが、学校には精一杯のことをしてもらったと思う。高1の時に国公立大学の合格は無理だと言われたことを思うと感慨深かった。
初めての雪国に、多少の雪や水なら弾いてくれるジャンバーも用意した。旅行カバンも防水加工されているものを貯めたブルーチップで手に入れた。試験日程は3日に及ぶ。着替えや折り畳み傘等でカバンはパンパンに膨れ、受験に必要なものが入る程度の小さめのカバンも用意した。お守りも用意したと思う。青年漫画雑誌『スピリッツ』に連載中の『めぞん一刻』に合格祈願のページにお守りがあって切り抜いた。ヒロインの台詞、「 さん、がんばってくださいね。」の空白部分に「カメ」と書き込んだもの。ただ、この受験だったか浪人した時かが判然としない。いや、それはどうでもいい話。
雪国への旅
そうこうする内、日本海が雪景色の向こうに見えてきた。雷鳥は籠った音を響かせながら順調に進む。運よく禁煙車両に座れた後は快適な旅(詳細は別記事、分煙に救われた禁煙車両 )であった。車窓からの景色を飽きもせず見ていた。圧巻は富山湾と高くそびえる立山。電車の走る向きで見え隠れするのがもどかしかったように思う。昼食は車内販売で買い込んだ駅弁「ますのすし」。高校生には高値に思われたが、聞き覚えのあった商品名だったため、躊躇することなく購入した。一生の記憶に残った。笹の葉の緑と、マスの身の淡い朱色が鮮やかで、「駅弁なんて冷えてる上に美味しくない」という私の偏見を見事にひっくり返してくれた逸品である。
お昼過ぎには下車。改札を出ると別世界だった。長い時間、車窓から観ていた雪は私の身長程に積み上がり、道に迫る壁のようになっていた。ちょっと表面を撫でる。奇麗に思えた。そして、そのまま引き込まれるように、眼鏡を外して、身体全体を雪壁に押し付ける。魚拓ならぬ人拓だ、なんて悦に入る。離れると、人の体の跡がきちんと残っていて嬉しかった。恥も外聞もなかった。
ところがこれが災いした。靴の中にたくさん雪が入り込んでしまったのだ。さらに駅から宿に向かう道は溶けた水もたっぷりあって、スニーカーだったので、中までどんどん浸み込んでくる。その冷たさに参った。やがてじんしんと痛みだし、宿に到着する頃には、その痛みが麻痺しそうな感じになった。明日は受験初日。靴がこんな状態だと試験に集中できないと思われた。宿について荷物を降ろしたら、まず、雪用の靴を買おう。
宿に到着
この時の宿も相部屋だった。当時、遠方からの受験では大学が宿を斡旋してくれるところもあって、出願時に申し込んでいたのである。個人で予約した方が安く便利なこともあるが、大学近くに宿がまったく無い場合は申し込みが必須になる。
初めての相部屋については記事にも書いている。
大学が斡旋する宿を頼んだ結果、初顔同士の受験生が4、5人で一つの和室で相部屋になったことがある。もちろん男ばかりだ。最初は誰もが遠慮して黙って部屋の隅に陣取り勉強をしていた風だった。風だったというのは、私も参考書を手に持って座っているものの、相部屋になった人がどんな人なのかが気になって、ちっとも勉強になっていなかったのである。きっと誰もが居心地の悪さを我慢して、勉強のふりして様子見を続けていたのだと思う。
しかし、やがて皆それなりに親しくなれた経験が、今回の抵抗感を和らげてくれた。
この時の宿は、高校生には場違いとも思える少し高級感の漂う旅館だった。受験生相手でも仲居さんは、丁寧に接してくれたイメージがある。振り返れば、旅のいい思い出を支えてくれたのだと思える。記憶違いの可能性はあるが、部屋まで付いて案内してくれたり、荷物を持ってくれようとしたり、初めての街でどこにどんなところがあるか優しく教えてくれたりもした。頼りになる仲居さんだった。
部屋には先に二人がいた。その人も相部屋は経験済みのようで、気まずさは全くなく、「受験の間、よろしく。」と軽く声を交わす。同部屋の人はまだ揃っていない。まあ、お茶でも飲んでから大学の下見に行こうかという流れの中で、いや、すぐにでも雪用の靴を買っておきたいと私が切り出すと、「おぉ、やっぱりそうだよね!」とすぐ快諾され、三人一緒に靴を買いに行くことになった。
受験日程は3日に及ぶ。その数日の為に新しい雪用の靴を買うのはもったいない気もしていたそうだ。その気持ちもわからないではない。でも、高い旅費や受験料を払って受験に来て、靴代を惜しんだがために満足に受験できなくなった方が絶対に後悔する。そう話すと、一人は「そうそう。いやぁ、相部屋でよかった。一人だったら買わずに受験してたかも知れない。」みたいに言ってくれた。
雪の靴
仲居さんによると、すぐ近くに靴屋があると言う。宿の近くには商店街があり、靴屋はすぐ見つかった。さすが雪国である。雪靴の種類の豊富さと値段に驚いた。雪仕様の靴なら安くても5~6千円はするのでは?と覚悟していたが、手頃な値段で良さそうな品が山積みになっていた。
水は浸み込まない。長靴より軽くて動きやすい。スニーカーより高さがあり、側面にチャックがついているので口が閉まり、雪が入り込みにくい。靴底が滑りにくい。内側は起毛で暖かい。色は派手でなく学生服やジャンパーと合わせてもあまり違和感が無い。嬉しくなるような靴が、確か2千円より安い値で買えたと思う。
雪靴を買ったのは生涯でこの時だけだったはず。これまでに使ったのは、数回のスキー旅行や極珍しく四国に雪が積もった時くらいで、合計して100日にも満たないはずだ。
それでも、38年経ってほとんど傷みが無い。本当にこの靴が当時の靴だったのかと記憶を疑うくらいだが、今なお現役である。
大学の下見
靴を買った後、相部屋のメンバーと一緒に試験会場の大学に下見に行った。大学へは宿近くからバスがあり、15~20分くらいで着いたと思う。ただ、バスからの眺めは、雪雪雪という記憶しかない。進むほどに積もる雪が高くなる。別の記憶とも混じっていそうだが、大学に着く手前では、バスの窓の高さくらいまで雪が積もっていたように思う。
一度建物の中に入れば、どの棟に行くにも渡り廊下があり、外に出ないですむ。雪国では当たり前なのだろうが、上手く作ってあるなぁと感心してしまった。雪靴を買う必要はなかったかも知れないと一瞬思ったが、一歩外に出れば冷たい道だからと思い直したのを今、思い出した。
大学のどの窓からも深い雪景色が見えていたと思う。あちこち歩いている内に、1階だと思っていた場所が2階だったのでびっくりしたのも憶えている。雪が高く積もっているせいで、いつの間にか錯覚してしまったのだ。不思議な空間にいるようで、雪が溶けたら大学ごと消えるんじゃないかなんてことも思った気もする。
相部屋だよ、全員集合
宿近くのバス停までくると、もう日暮れが迫り暗くなっていた。バス停で降りて歩く受験生は多く、靴が濡れて冷たいという声も聞いたと思う。雪靴を買ったのは正解だ。
程なくして相部屋に全員がそろった。総勢9人。出身地を聞いたところ、どうやらこの部屋は、四国・九州の者が集められたようだ。遠く離れた場所に住みながら、雪国の大学を受験したのは似た理由が多かった。共通一次試験で思うような点が取れず、奇跡に期待してのようだ。私を含めて、皆、それなりに受験失敗の覚悟や、なるようにしかならないとの諦観があったと思う。そういう背景の共有もあって、すぐ親しくなれたのだろう。
部屋でリーダー的役割を引き受けてくれた人も、親しみやすい感じ。痩せ気味でひょろっとした外観で、考えを押し付けるタイプでもなく、「それでやってみる?」とにこやかに同意を求めてくれたと思う。そんな流れで、受験前夜に受験対策に神経を使い過ぎる方がプレッシャーになって、却って良くないだろうとの意見も一致。結局、テレビを見たり、車座になってできるゲーム(トランプ等)などでゆったり過ごしたように思う。
明日から3日に及ぶ試験が始まる。不安が無かったと言えば嘘になるが、楽しい受験旅行になる予感は確かにあった。
( 「 雪国への受験旅行(2) 相部屋仲間との結束 」に続く)
今週のお題「試験の思い出」
なお、この記事は、
の中の、2.トラベル(旅行)に当たる記事です。
旅の醍醐味を一言で表すなら、「未知との出会い」だと思う。
旅には溢れんばかりの未知との出会いがある。
引用:「旅の魅力 受験旅行を楽しむ。そこで得たもの 」より