tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況26.落ち込まず油断せず

今週のお題「自分に贈りたいもの」

以前、似たお題があったなぁと過去記事を見たら、

今週のお題「自分にご褒美」でした。前回はクリスマス前に、今回はバレンタインデー前ですね。

 

自分を労わる、励ますことは大事。自分の元気は他の人にも伝わりますから、巡り巡って周囲を元気にする作用があると思うのです。もちろん、人を労わる、励ますことも大事。ただ、上から目線とか、嫌味とかに思われる等、上手く伝わらない難しさもあって、配慮が必要ですね。

 

 

父の近況

このところ、父の具合があまり良くありません。CPAPをつけて眠ることはできているのですが、日中に少しめまいやふらつきが起きるようです。1月に病院に行って、医師からも「悪くないね。よく眠れているみたいだし。」との話で少し安心しかけた翌日からのことです。

 

大変だった時と比べると、散歩もできるし、食欲もあるし、よく眠れているしで、ずいぶんマシという感じはあります。でも、父の口から「もう駄目かもしれん。」「もう治らないだろう。」等の言葉が頻繁に出てしまうのが、悩みの種。

 

また、オミクロン株の感染が急速に広がり、不安が増大しやすい現状も影響しているのでしょう。以前はよく通っていたカラオケ喫茶も、しばらく行けずにいます。そんなこともあってか、感染者数の1日1日の増減に一喜一憂してしまい、昨日より感染者が減れば良くなってきると言い、その翌日に増えれば駄目だ、もうどうしようもないと落ち込む、そんな感じです。その度、一週間ごとで比べないとわからないよと声をかけると、ああそうだったと思い直してはくれます。それでも、一度下した自分の判断に引きずられている感じが、傍から見て取れます。

 

もう何年も、多少調子が悪くても良くても、落ち込まず油断せずで、ある程度の時間をかけて判断するように話してはいますが、なかなかそうはなりません。当事者でなければその気持ちはわからないとの思いもあるでしょうから、あまり強くは言いいません。でも、父の気持ちの乱降下につき合うのも楽ではないです。

 

私も、動き出そうとした瞬間に自分の調子が悪いことに気づき、ずぅうんと気持ちが落ち込んだ経験は幾度もあります。動けないというより、自分の横になっている布団や床が一瞬に消えてなくなり際限なく落ちていくような、底の無い不安。父を見ていて、それを不意に思い出すことがあります。でも、自分の経験がある分、大抵の場合、どこかで落ちるのが止まり、そこが絶望よりはるか手前であることも知っていて、どこか客観的に見ている自分もいます。

 

恐らく、父の調子の悪いときも、それに似てそうです。調子が悪くても、まだ大丈夫な側か、その向こう側かを冷静に考えてくれれば、落ち込みも少なくすむとは思います。でも、言われてすぐできることでもないのは私も経験済み。今は慎重に見守ることを優先しています。

 

一昨日の午前中もそんな感じで、一時横になり「もう駄目だ」と連発していましたが、昼食を普段通りに食べることができ、夕方前になると「おい、散歩に行くぞ、一緒にいかないか。」と声を掛けられ、ついて行きました。始めこそ「今日は、短めにしておく」と言っていましたが、結局普段通りのコース約40分、私の前を切って歩きました。途中、父の子どもの頃の話をたくさん聞かされ、これまたいつも通り。でも、「いつも通り歩けたね」と声をかけると、憮然とした表情で「大変だった」と言われました。

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父の散歩について行く イメージ

私には父の認知症の心配が常にあります。睡眠時無呼吸症候群認知症のリスクを高めると言われているので尚更です。CPAPを装着して寝ているので、そのリスクは大きく改善されたはずですが、健康な人でも認知症は起こり得ますから、大丈夫とはなかなか言えません。「落ち込まず油断せず」は父だけでなく、私自身にも言い聞かせているところ。父がいつも通りに散歩できたのをわかっていないのかという不安は湧きましたが、それを打ち消し、楽に歩けたわけではなかったという意味だと解釈しました。

 

そして、昨日。父は午前中、横にならずに過ごせたようですし、昼食もしっかり食べました。夕刻頃の散歩にも行きました。でも、前日の散歩が大変だったという思いがあったからか、家の前の通りを少し歩いて調子を確かめ、短めのコースにしていました。私は内心で(昨日の方が大変そうだったのに)と思うのですが、父の判断に任せました。父なりに「落ち込まず油断せず」を実践している風に思えたからです。

 

結局、体調が少し良くなったと思われた昨日は短めのコースでした。でも、散歩後、「大変だった」ではなく、「今はこれくらいが丁度なようだ」と言っていました。納得の表情が印象的でした。

 

自分に贈りたいもの

さて、お題の「自分に贈りたいもの」ですが、今回はこの記事、このブログとしておきます。以前、「自分にご褒美」として

「書き続けてきてよかった。」

そんな歯の浮きそうなセリフが、ブログ2周年を迎えた自分へのご褒美と言えそうです。

と書いたので、今回も同じかと思われそうですが、ちょっと違います。

 

このブログを書き始める前、高校時代を灰色だったと思っていた私です。受験勉強に追われたイメージが強く残っていたからです。それが、ブログで少しずつ高校時代の彩に気づけるようになりました。

 

最近、ついつい、父の不満や愚痴の連発に、苛立ってしまうことがあります。この先、それはさらに増えそうな気配満々です。そう考えると、ちょっと憂鬱になりそうです。でも、父は父なりに考えて行動をしているし、私はそれに気づけたこともあったのだと、私と父との時間が灰色ではなかった証として、将来の自分に贈りたいと思います。

 

ま、今回も、歯の浮きそうな文章ですけどね。

 

今週のお題「自分に贈りたいもの」