tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

1年が327日だった年の12月給与の話

1年が短い年

1年が327日だった年がありました、その年は12月が2日だけでした。

 

1年365日(閏年を除く)なので、この話を嘘だと思う人も多いでしょう。

待て、それでも計算が合わない。と気づいたあなたは鋭いです。

そう、12月は31日あります。2日だったとしても、減るのは29日のはず。

365-29=336。1年が327日でも9日分の計算が合いません。

どうなっているのでしょう。

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1年が327日だった年

 

実は、1年が327日だったのは、旧暦の最後だった1872年(明治5年)です。その年の12月は2日で終わり、12月3日になる日が新暦1873年明治6年)1月1日となったのです。旧暦(太陰太陽暦)から新暦グレゴリオ暦)に切り替えた時に起きた?起こした?現象です。

 

前回の創作話は、今回の下調べがヒントになっています。

(誤解を与えてしまった方、ごめんなさい。追記済み)

 

 

旧暦の複雑さ

旧暦(太陰太陽暦)は私には複雑すぎてよくわかりません。

(参照・引用は 新暦 - Wikipedia 、  日本文化研究ブログ - Japan Culture Lab )

 

旧暦は月の動きを基準にしていました。新月から次の新月までの一ヵ月が平均して29.5日。1年は12ヵ月なので、29.5×12=354日となってしまいます。なお正確には、一ヵ月は29日と30日とがあり、29日ある月を小の月、30日なら大の月と呼び、年によって同じ月でも日数が違うことは普通にありました。一月が31日になることはなく、年の瀬の12月も30日まで。それで、年を締める30日を大三十日(おおみそか:大晦日)と呼んだそうです。

 

旧暦はよく言えばおおらか、悪く言えばわかりにくい暦です。例えば

明治2年(己巳)
この年は平年。月の大小は1月から12月まで「大大小小大小小大小大大」の355日間
明治3年(庚午)
この年は閏月の閏10月を含む閏年であり、 月の大小は「大大小大小大小大小(=閏10月)小大」の13か月、383日間
明治4年(辛未)
この年は平年。月の大小「大小大大小大小大小小大」の355日間

こんな感じ。この3年間でも初めの月(正月)が大(30日)であったり小(29日)であったり違っています(大小の太字)。小と大が必ず交互に来るわけでもなく、うっかり今月は30日のつもりが29日までで大慌てなんて話は日常茶飯事だったでしょうね。

 

改暦の騒動

そんなわけで改暦するのは大変でした。

改暦が決まるまで1872年(明治5年)は平年で355日のはずでした。そして来年1873年明治6年)も旧暦のまま新年を迎えるはずでした。ですから、

10月1日(新暦の11月1日)、翌年の暦(天保暦=旧暦)が一斉に発売

されています。何月が大か小かを把握するのは、庶民にとって大事だったのでしょう。カレンダーの販売も早めです。しかし、翌、11月に突然こんな布告が出されます。

11月9日(12月9日)、太政官布告337号により改暦を公布。

来る12月2日を以って天保暦を廃する。

それまでの不定時法に代わり定時法を採用する。

庶民からは翌年の暦の返本が相次ぎ、商社は大損害を被ります。12月月末までに支払えば年内に清算できるとしていた人は、大変です。当時は、年を越してのお金の貸し借りは忌み嫌われていました。その年のツケは年末までに払う前提だったので、多くの人が金策に走り回るため、12月が師走と言われたとの説があるほどなのです。

 

さらに、追い打ちをかけるように、

11月23日(12月23日)、太政官布告359号

この年の12月を廃し11月で終わることとする。

12月1、2日については、11月30日、31日とする。

と言うのです。

11月も残り1週間、その後は大変でも師走の2日で何とか1年の締めくくりを、と考えていたところ、突然、今年の12月は無しにして、11月が終われば新年にするからね、と政府が言うのです。理由は、12月分の給与を払わずに済むからお得でしょって配慮らしいです。なんという上から目線でしょうか。

 

しかし、12月分の給与が突然無くなる側からしたら堪りません。ましてや、その年中に支払いをする予定だった人は、締切日が1カ月近く早くなるのですから、ダブルパンチ。世は大混乱となり、暴動が起きかねない事態に政府は慌てて、翌11月24日に太政官布告359号を取り消す通達を出しました。

 

ところが、数日後、しれっと

11月27日(12月27日)、太政官布達374号。

公職の12月分の給料を不給とする

と、公職(公務員)には12月給料を出さないと改めて通達したのでした。なんともドタバタぶりが過ぎますが、政府の狙いがしっかり透けて見えてくるようです。

それにしても、何も悪いことはしていないのに公職の人は一ヵ月分の給与減額。恐らくこの年ほど、師と言われる人が走り回った年はないでしょう。こんな無計画が押し通される時代だったと思うと、明治政府の権力の強さと言うか、横暴さと言うかに驚かざるを得ません。

 

ちなみに、日本が明治政府になってからいち早く新暦を取り入れたのも、閏月のある年に13ヵ月分の給与支払いをしたくなかったからという説が有力です。355日で12ヵ月分、383日で13ヵ月分を払う旧暦より、365日で12ヵ月分を払う新暦の方が経費も事務処理も少なくなるという判断だったようです。

 

12月分の給与がもらえなかった人からすれば、この改暦は鬼の所業に思えたでしょう。

12月の給与を飛ばして「来年のことを言えば鬼が笑う」と、苦々しく思ったかも知れません。

 

 

今週のお題「鬼」

 

 

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<余談 思い出したこと、平成から令和の10連休>

そう言えば、平成から令和になる2019年5月前後に10連休がありました。これに関連する法律( 天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律 )が国会で成立したのが、2018年(平成30年)12月14日です。この時はおよそ半年前の決定でそれ以前にある程度の話が流れていたものの、幾らかの混乱は生じました。

 

平成から令和の10連休

2019年(平成31年)4月27日  土

2019年(平成31年)4月38日  日

2019年(平成31年)4月29日  月 昭和の日

2019年(平成31年)4月30日  火 国民の休日(2019年のみ)

2019年(令和元年)5月01日  水 新天皇即位日(2019年のみ)

2019年(令和元年)5月02日  木 国民の休日(2019年のみ)

2019年(令和元年)5月03日  金 憲法記念日

2019年(令和元年)5月04日  土 みどりの日

2019年(令和元年)5月05日  日 こどもの日

2019年(令和元年)5月06日  月 振替休日

 

カレンダー業界では対応が分かれました。即位前の発行だから年間通して平成31年で通すべきという主張、即位日より前に令和元年とすることへの疑問、表記を西暦だけにする等々。また印刷が間に合わず、祝日が記されたシールを発売するなどの対応も行われました。

学校でも入学式は平成31年度で、5月の運動会は令和元年度にする、ただし、余分な経費を掛かる場合は作り直さなくてもいい等、色々な話を聞きました。

 

新しい元号の日を挟んで10連休だと、消費が伸びて経済が活性化されていいでしょうという感じの話だったと思います。でも、10日連続で休みとなった場合、金融や医療での混乱が懸念されました。さらに日給で生活している人などは、連休中は無収入になり生活が困窮する問題も指摘されました。

 

ちなみに、( 明仁から徳仁への皇位継承 - Wikipedia )では、10連休に関わる世論について、

10連休について、朝日新聞社が2018年12月に行った世論調査では、「嬉しくない」の回答が「嬉しい」を上回った。2019年3月に時事通信社が行った世論調査では、嬉しくない理由として 「家事などの負担が増える」、「仕事を休めそうにない」との回答が多く、10日間休めると回答したのは32.4パーセントだった。

とのこと。一方で、

日本放送協会が行った世論調査では、8割以上が新元号「令和」に好感を持てると答え

ていますから、やはり、国民への丁寧な配慮は大切でしょうね。