tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況25.病院に付き添っても手は貸さない

年末に同じの探しを作成、正月三が日に連続投稿したあと油断していたら、三連休も最後の日になってしまいました。年末の話なんてもう時期外れでしょうが、下書きで放置していたのを記事にしておきます。

 

年末に父の病院に付き添いました。

 

父がJRの利用に慣れるまで

実は、3年程前から通院にJRを使うようにしています。父の運転の心配より、公共交通も使い慣れて欲しいという思いからお願いしたのです。車の往復だと街の様子もわかりにくくなるし、刺激も少なくなるとの思いもありました。お願いした手前、JRに慣れるまで付き添って通院していました。

 

切符の購入

それまで車での移動ばかりだったせいか、最初は券売機で切符を買うのもオロオロしている感じでした。幾らか説明をした後は、手を貸さずに見守ります。

 

案内板を見て目的の駅までの値段を確かめ、お金を投入。必要な枚数と切符を選び、ボタンを押す。切符とお釣りを受け取る。自動販売機で飲み物を買うのはスムーズにできますが、少し機械が違うと思ったより時間がかかります。それでも、数回経験を積むと、スムーズにできるようになりました。

 

階段の昇り降り

目的の駅に着いた後、ホームから改札口まで階段の昇り降りがあります。通院にJRを使い始めたばかりの頃は、この階段が父の悩みでした。昇り降りが大変で、転げないかと心配していたようです。傍から見ると父はふらつくことなく歩けているのですが、本人は不格好になっていると思っていたようです。幸い、その駅にはエレベータもあったので、最初はこれを利用していました。

 

でも、エレベーターより階段に向かう人の流れの方が大きく、エレベーターを使うのが格好悪いと思ったのか、やがて階段を使ってみると言い出しました。父の判断に任せたものの、私は、階段を昇る際には父の後ろに、降りる際には父の前に付くようにしていました。最初、手すりにつかまって昇り降りしていましたが、自信がついてくると、手すりも使わなくても平気な感じになりました。

 

駅近辺の散策

駅は人も店も多いので、いろんな刺激が得られます。車だと、家と病院の往復だけになりますが、JRだと待ち時間があれば散策もします。お昼近くであれば駅近くの店に入って一緒に食事や買い物をすることもありました。知らなかった店に一人で入るのには抵抗があったようですが、私と一緒あればむしろ喜んでいる風でした。

 

何度かそれを繰り返すと、父一人で月二回の通院ができるようになりました。階段の昇り降りも、体調の良くないとき以外は、手すりも使わずにできていたそうです。

 

CPAP使用と愚痴

2020年9月、父が睡眠時無呼吸症候群SAS)じゃないかと思い、久しぶりに病院に付き添いました。切符の購入もスムーズ。階段も問題ありません。ただ、念のために私は父より下に位置を取りました。

 

病院で相談すると、すぐに家で簡易検査になりました。2021年3月には一日入院して精密検査を受け、SASの重症と判明したので治療器具CPAPを使うことになりました。始めはなかなか寝られず、愚痴も多くてかなり苦労しましたが、半年くらいしてようやく寝られるようになってきました。この間、通院の付き添いはしたりしなかったり。気になることがあれば一緒に行くという感じでした。

 

CPAPの効果でしょうか、2021年10月の記事に

結果、これまで月2回の診察だったのが、月1回の診察で様子を見ましょうとなりました。

と書きました。これはこれで良かったのですが、思わぬ問題が発生しました。

 

月1回の通院と新たな愚痴

一ヵ月分の薬は、2週分の倍の量です。チューブ入り30mlの液体飲み薬が毎日2回の30日分で1.8kg。他の錠剤などを入れると2kgは超えているでしょう。JRで通院するようにしたときに、リュックにできるカバンを購入しているので、背負えない重さではないですが、それで歩き続けるのが大変とのこと。

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薬がいっぱいのカバン

 

スーパーの給水サービスで4Lの水をボトルに入れ、手に提げて運べるのですから、大丈夫だと思うのですが、一度気になるとなかなか気持ちを切り替えられないようで、病院の行き帰りに「困った」、「大変」、「重い」が何度も口から出ます。でも、私は父とゆっくり歩きながら「大変だね」と返すばかりで手を貸しません。傍から見たらずいぶん意地悪な息子に見えそうです。

 

私の経験

実は30年近く前、私が働き出して数年経った頃、こんなことがありました。

 

両足が不自由で、立ってはいるものの、両手で杖をついて足を引きずるように移動している同僚がいました。知り合って間もない頃、手に杖だけでなく荷物も持っていたので持ってあげようと声をかけました。すると、自分でできるからと断られました。荷物を持っている分、移動に時間がかかるけれど、そうさせて欲しいとの話でした。人の手を借りず自分の力でやりたいのだろうと考え、彼の言う通りゆっくり移動しました。

 

別の時に、荷物を持っている彼と一緒にゆっくり移動していると、彼は不機嫌そうに「荷物を持とうとは思わないのか?」と言いました。私が「いや、この前は…」と話をすると、彼は「ああ、そんなこともあったなぁ。」と笑いました。その後「障害の有無で手伝う、手伝わないを決めて欲しくはない、困っているかどうかで決めて欲しい。」、「そう簡単じゃないけどね。」等と話したのです。

 

その後、「簡単じゃない」理由は、彼以外からも何度となく痛感させられることがありました。やがて、困っているかどうかを傍から見て判断するのは難しいが、それが個性や障害を理解することに繋がるのではと考えるようになったのです。

 

「簡単じゃない」からこそ

年末の診察で、良い話がありました。重たくて大変だった飲み薬を、1日1回にしてみようかという話です。ただし、回数を減らして調子が悪くなったら困るので1日2回分の薬は処方して、調子のいい時だけ減らしてみてということでした。一瞬明るくなった父の顔が、すぐにどんより顔に戻ったので、笑いそうになりましたが、そこは堪えました。

 

薬局で薬をもらう時にも同じような説明を受け、「二回説明されても、重たいのは変わらん」とさらに不満顔になり、ため息を漏らしながらカバンを背負います。

 

父のカバンを持ってあげれば、父も楽でしょうし、移動の時間も短くすむでしょう。私も父の愚痴を聞かずに済むので、全てが丸く収まりそうです。でも、愚痴をこぼしながらもやりきる父が見たくて、手は貸しません。そのために、帰りの列車を一本遅らせたこともあります。

 

何とか駅のホームにあるベンチに辿り着いて、荷物を降ろし「あ~、大変だった。」とほっとする父の表情を見て、私もほっとします。

「重い重いって言いながらも、背負って歩けたのだから、まだまだ元気だよ。」

と言うと、父は

「かなり、きつかったんだぞ。」

と言いつつ、かなりのドヤ顔でした。

簡単じゃなかった1年を締めくくる顔でした。