tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽26.『赤とんぼ』の「おわれてみたのは」を問う

それまで何気なく歌っていたのに、不意に歌われていた時代や歌の意味を考えてしまうこと、ありませんか?そんな歌の代表格が『赤とんぼ』です。歌詞をきちんと文字で見たのは高校時代の図書館だったと思うのですが、記憶に今ひとつ自信がありません。

 

『赤とんぼ』

作詞:三木露風 作曲:山田耕筰

 

1.夕焼小焼の 赤蜻蛉(とんぼ)
  負おわれて見たのは いつの日か


2.山の畑の 桑の実を
  小籠に摘んだは 幻か

 

3.十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
  お里の便りも 絶え果はてた


4.夕焼小焼の 赤蜻蛉(とんぼ)
  止まっているよ 竿の先

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赤とんぼの飛ぶ夕焼け

負おわれて見た

歌詞を見るまで1番の「負おわれて見た」を「追われて見た」と思い込んでいました。赤とんぼに追われるとは、とんぼが怖くて逃げ回っているイメージでした。それが「負われて」だと知ってイメージがガラリと変わりました。幼い頃、姉に背負われて赤とんぼを見たという意味になってきます。

 

十五で姐やは 嫁に行き

さらに3番では「十五で姐やは 嫁に行き」とあります。今は嫁に行って便りも途絶えている姉を思う歌であるとわかります。そして、4番は竿の先に止まった赤とんぼをみて、そんな回想をしている姿が見て取れます。

 

今週のお題「赤いもの」

お題を見て一番に連想したのはこの『赤とんぼ』でした。

 

と、私にしては短い記事で終わるつもりだったのですが…。

ここに来て、急に2番の歌詞が気になりました。

 

桑の実を 小籠に摘んだは

桑と言えば、思いつくのはそれを餌にする蚕(かいこ)です。かつて日本では絹の生産が盛んで、その原料の生糸を蚕の繭(まゆ)から取るため、桑は蚕の飼育に欠かせないものでした。その実を手で摘んで幾らか口にするならともかく、「小籠に摘む」というのです。そうなると、桑を育てている家主の子の歌というイメージになります。貧しい農家であれば口減らしとして早期に嫁に出すのはありそうですが、養蚕を営む裕福な家の姉が十五で嫁に行くというのは少し変です。調べてみました。

 

って、毎度お世話なっている 赤とんぼ (童謡) - Wikipedia からの引用です。

「姐や」は自分の姉ではなく、この家で子守奉公していた女中のことである。「お里のたより」は、女中の故郷からこの家に送られてくる便り、または、故郷に帰った女中からの便りと解釈されるが、女中を介して実母から届く便りなどといった説もある。

とのこと。なるほど、「姐や」は実の姉ではなく、子守の女中でした。

 

幻か

となると、「幻か」は、曖昧な記憶というより、太平洋戦争での戦災や、ナイロンの登場により、急速に生糸生産が衰退した結果、かつて確かにあった桑畑が失われてしまったという哀愁の意味に思えてきます。

 

戦後、養蚕は幾らかの復興をするものの、1958年には養蚕業危機に直面し、減反措置を取られることもあったようです。でも、先の『赤とんぼ』の引用先を見ると

三木露風1921年(大正10年)に、故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、同年8月に『樫の実』に最初に発表した。その後、12月に童謡集『真珠島』で一部修正する。この詩に、1927年(昭和2年)、山田耕筰が曲をつけた。

と書いていました。

 

1920年代は養蚕業がピークを迎える手前ですから、作詞した頃には桑畑があったと思われます。私の早とちりですね。おそらく、桑畑で一緒に桑の実を摘んだ姐やとの記憶が思い起こされたものの、幼い頃だったので淡く儚いものになっているという意味だと思い直しました。

 

三木露風

改めて、作詞した 三木露風 - Wikipedia を調べました、いえ、読みました。1889年(明治22年)6月23日 生- 1964年(昭和39年)12月29日没 とのこと。(没後50年を超え、歌詞は著作権対象外とのことなので、歌詞全文を載せています。)

 

5歳の時に両親が離婚し、祖父の元に引き取られて育てられた。

早熟の天才であり、小中学生時代から詩や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿していた。

とのこと。

 

となると、幼少の頃に子守女中と過ごした家とは別の祖父の家の周りで赤とんぼを見つけ、姐やを思い出していると解釈できそうです。

 

もっとも、これも私の勝手な解釈の可能性は高いです。詩が三木露風の幼少期を詳らかに綴っているとも限りません。でも、考えを巡らせている内に、小さい頃の思い出の中にも深い心情が込められているのは確かなことに思えました。

 

 

今週のお題「赤いもの」