tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

空き缶の行く着く先をイメージすること

不意に何かに気がついて行動が変わることがあります。

ほんとにちょっとしたタイミングで、それまで平気でやっていたことが急に恥ずかしくなってやめる、あるいは急に思い立って動き出すそんな経験です。

 

※この記事は『tn40.ネタ帳20210115 5つの話題宣言』の中の「4.自転車に乗りながら飲んだ空き缶の置き場所のこと」に当たる記事です。

 

中学時代の経験

コロン。

中学生の時でした。帰宅の途中にちょっとした坂道があります。小学生からのママチャリを使っていたのもあって、上るのにはちょっと力が必要な道でした。坂を目前に缶飲料を飲み干し、ガードレールの向こう側にポイっと缶を投げ捨て、ハンドルを握り直し、力まかせに坂を上るなんてことを度々やっていました。ほうれん草の缶詰でエネルギーをチャージし、全力で敵に立ち向かうポパイのようなイメージです。

 

 

ところがその日は、ふと「ガードレールの向こうに誰かいたらどうしよう」と思い、投げかけた缶をハンドル前のカゴにコロンと入れたのです。この「コロン。」の音が、なんだか一ついいことをした合図のように記憶されています。そして家近くの自販機横の缶入れに捨てて、帰宅したのでした。

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ママチャリの前カゴに空き缶

なぜ、急にガードレールの向こう側のことを考えたのかはわかりません。でも、ちょっとした死角に誰かいるかも、何かあるかもと思うことや、何かがあった時の先でどうなるんだろうと考えることは増えていったように思います。その時は、もしこのまま缶をポイ捨てして、その先に誰かいたらと危ないなと思ったくらいでしたが、やがて、誰もいなかったとして、その缶はその後どうなるんだろう?とか、考えるようになっていきました。

 

見えていないものを見ようとする、あるいは想像する。

そんな始まりだったかも知れません。

見えそうなものでも見ない、考えればわかりそうなことも考えない。

そんな他人指向型から内部指向型へ変わり始めたのかも知れません。

ぼんやりでしたが、大人になる方法を一つ手にしたような「コロン。」でした。

 

小学生時代の経験

ポイ捨てが横行していた

今の時代感覚ではちょっと考えにくいでしょうが、高度経済成長期の後半(特に1970~1991年)の頃、ポイ捨ては当たり前に横行していました。

 

小学校の頃なら、公園にスナック菓子を食べながらやってきて、ベンチで行儀よく食べるなんてことはせず、開けた袋の口を絞って手に持ちジャングルジムに上ります。頂上の景色を眺めながらパクパク食べていました。そこに誰かが登って来て「ちょっとちょうだい。」との声に「うん。」と言う間もなく袋に手が伸びて、一緒に食べる。それを見つけた連中が、僕も、僕も、僕もとやってきて、手を出してくる。そんな状況に、どこか優越感を持ち、「じゃあ、順番にね。」と差し出された手の平に、少しずつ配ります。全員に平等という訳でもなく、「〇〇くんには、この前分けてもらったから多め。」など、いろんな理由をつけて加減することもありました。食べるタイミングも配った子の特権で、「はいどうぞ。」の合図で一緒に食べたり、配られた人から食べていいルールだったり。袋が空になると、「おしまい。」と空中にゴミ箱が浮いているかのように、袋を放り投げるのは日常茶飯事でした。

 

土埃のついた手や、鉄棒の金属臭い手でも、数回パンパンと手を合わせると手を洗ったことになる魔法、地面に落ちたお菓子も念力で土埃を防御し、念力が失敗して幾らか土埃がついても、振って息を吹きかけると元に戻る術などを誰もが持っていた時代です。

 

いつも皆が幾らかのお小遣いを持っているという訳でもなく、みんな一緒の同じおやつを買うことも少なく、誰かがおやつを食べているのを見つければ分け前を授かるのは当たり前。お菓子の交換はあいさつ代わり。棒付きのアイスクリームでさえ、「一口だけ。」とかじらせてもらうこともありました。男女関係なく分け合うこともあって、「間接キスやぁ~」とはやし立てると、「かじっただけ。唇で舐めてないから大丈夫」なんて、よくわからない反撃もありました。

 

お小遣いの格差は大きく、お菓子をもらうばかりの子や、お菓子を人数分買って配る裕福な子もいました。おまけの仮面ライダーカード欲しさに仮面ライダースナックをたくさん買い込んで、カードだけ持ち帰り、スナック菓子はそのまま田んぼに捨てていた事件も起こったほど。子どもの間では、「食べずに捨てるのはもったいない」「あげる相手もいないお金持ちって誰?」と議論が湧き起こります。でも、「もったいない」論こそ共通していたものの、先生が伝えたかったろう「田んぼにポイ捨てをしない」という話はあまり気に留められなかったようでした。

 

遠足のおやつルール

現在も、小学校の遠足のおやつは300円でしょうか(去年20歳になった姪も小学時代は300円でしたが、今はさすがに違う?)。私が小学生の時も300円でした。でも、明らかに300円の値打ちが違いました。私が小3の時の300円は一か月分のお小遣いだったのです。遠足は、1ヵ月分のおやつを一度に買えるスペシャルデーでした。

 

もう一つ、遠足ではお菓子のゴミのポイ捨て禁止ルールがありました。日常の公園遊びと違って、遠足先はたくさんの子がたくさんのおやつを持って行くのですから、大量のゴミができ、遠足先に迷惑がかかるという話でした。ただ、誰もがお菓子のゴミはポイ捨てが日常なので、気をつけていても遊んでいる内に、ゴミを集めた袋ごとポイ捨てしてしまう子が続出。結果、自由遊びの時間が削られ、ゴミ拾いタイムが長くなったと記憶しています。

 

そんな感じでポイ捨てはよくある行動だったと思います。中学時代に気にするまでは、私も平気で空き缶を放り投げていたのです。

 

高校時代の経験

自転車をこぎながら飲み干した空き缶、高校時代もポイ捨てはせず前カゴの中に入れていたと思うのですが、記憶が不確かです。高校時代の自転車に前カゴをつけていたかがあいまいで、自信がありません。ドロップハンドルでも缶飲料を手に運転した記憶はあるものの、回数はかなり少なかったろうと思います。

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高校時代、自転車に前カゴがあったか不明

指輪スタイルで飲む

当時の缶飲料の蓋はほとんどがプルタブ方式。輪っかを起こして指を入れて引っ張り、缶から分離させるタイプです。開けた後その場にプルタブを捨ててしまう人は多く、自販機の周りには、プルタブがたくさん落ちているのが普通でした。

 

それを避けるため、缶飲料を開けた後、プルタブを指輪にして飲むことも多かったです。飲み終えた後に、プルタブを空き缶に入れて捨てます。

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プルタブを指輪にしてポイ捨て防止

でも、その上を行く人がいました。プルタブを外したら、すぐ缶の中に沈めて中身を飲むのです。さすがに汚いのではと思いましたが、その人曰く

「開けてすぐ蓋のあったところに口をつけて飲むのは気にならないのに、その蓋は汚いって矛盾してない?プルタブを中に入れると手が一つ空いて楽だよ。」

「なるほど。」

とある程度の納得はしたものの、うっかりプルタブを飲み込んでしまうイメージが浮かんで、真似はしませんでした。

 

大学時代の経験

先生の話

講義中、何のタイミングだったか、先生が「最近の学生はどうにもだらしないというイメージだったが、そうでもないと感じたことがあったので紹介する。」と話し始めました。こんな内容です。

 

先生が車で大学に向かう途中、近くの細い道でみかけた話。学生らしき男が、自販機で買ったであろう缶入りのコーヒーか何かを飲みながら、自転車を運転していた。危ないと思って追い抜かずにいたら、学生の頭は缶を口に当てたまま天を向き、どうやら飲み干したようだった。

今度は、飲み干した缶をどうするのかが気になって、ずっとその男の後をついて様子を見ていた。男は缶を自転車の前のカゴに入れると、スピードを上げて大学まで行き、大学内のゴミ箱にそれを捨てるのを見て、感心した。

空き缶を大学の塀の上に置いたり、道端に平気で捨てる学生をよく見かけるので、だらしがないと思うことが多かったが、ゴミ箱に入れられる空き缶を見ないままに、そう判断していた。私は君たちに謝らないといけない。申し訳なかった。

 

その男が私だという確信はありません。でも、缶を自転車のカゴに入れた後にスピードを上げたという部分が、妙に私っぽくて印象に残っています。それはともかく、それを見かけて、学生を誤解していたと気づき、講義中の学生に謝った先生も変わっていると思いました。他の講義でも、同じ話をして謝っていたそうです。

 

実は高校、予備校時代に乗っていた自転車を、大学でも乗っていました。その時はチェーンなど一部改修し、ハンドル前には布製のカゴというよりバッグをつけていました。

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大学時代は布製のバッグをつけていた

落ちていた缶あれこれ

先生の話にあった通り、大学の周りにはよく空き缶や吸い殻が落ちていました。同期生の中にも缶ジュースを飲みながら歩き、飲み干した缶を塀の上に立てて置き捨てる人もいました。それが落ちて転がったら危ないと、私が預かり大学で捨てたこともあります。

 

一人で歩いていて、カラカラ転がっている缶を拾ってゴミ箱に捨てたこともありました。時には、空き缶の中身が残っていることもありました。雨が入った可能性もありますが、げんなりします。でも、一度手にしてそのまま戻すのも抵抗を感じで、側溝にドボドボと流したこともあります。経緯を知らない人が見たら、私は大学を汚している人に見えたかも知れません。

 

また、缶に煙草の吸い殻がたくさん入っていた時もあります。吸い殻をポイ捨てするのに気が引けて、何人かでそうしたのでしょうか。幾度かは缶を振りまくって吸い殻を出し、中も水で洗ったこともありますが、かなり面倒です。缶の縁に煙草の灰がついているのをみつけると、まず手を伸ばさなくなりました。

 

そんなわけで、いつもいつも拾うわけではありません。いえ、拾わないことの方が圧倒的に多く、気になった時限定の話です。気になる理由はわかりません。今考えると、ちょっと不思議な気もしますが、拾っておこうかと思った時は、中学時代の「コロン。」が脳内で鳴り、一ついいことをした気分になりました。

 

その後の缶のスタイルの変化と影響

大学時代までは、自転車や徒歩が交通手段であったため、目にとまる空き缶が多かっただけかも知れません。でも、私の感覚では、缶の主流がプルタブからステイオンタブ式(本体からタブが分離しないタイプ)になった1990年頃からポイ捨ての缶が激減したような印象があります。

 

プルタブを捨てる行為が「このくらいは捨ててもいいだろう」という気のゆるみとなり、その後で缶本体を「プルタブは捨てても問題なかったから缶を捨ててもいいんじゃないか」という誘因になっていると思いました。もちろん私の勝手な推論です。

 

ただ、後に、東京ディズニーランドにゴミが落ちていない話等を聞いて納得しました。いわゆる「割れ窓理論」です。

  1. 建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
  2. ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
  3. 住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
  4. 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

引用 割れ窓理論 - Wikipedia

ただし、この理論に諸手を挙げて賛成しているわけではないです。一つ間違えると、行き過ぎた管理社会になる可能性も内包しています。

 

ただ、ディズニーランドでは、施設のささいな傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーを向上させることに成功しているとのことです。またゴミ箱の距離やこまめな回収等の工夫で「夢の国」を実現しているとも聞きます。「割れ窓理論」をどう応用するかで、行き過ぎた管理を回避することはできそうです。

 

全然ゴミの落ちていない場所にゴミを捨てる罪悪感と、既にゴミが落ちている場所にゴミを捨てる罪悪感では、前者の方が強く感じるのは理解できます。ただ、それをどう応用するかも大事な視点でしょう。プルタブの変化は、ゴミの問題を消費者に押し付けずに、ポイ捨てを減らす素晴らしいアイデアだったと思うのです。

 

空き缶の行く着く先をイメージすること

中学時代の空き缶のポイ捨てをやめてカゴに入れた経験は

見えていないものを見ようとする、あるいは想像する。

ことの効果や大切さに気づくことに繋がっているとは思います。

 

その影響でしょうか、車の運転中に見通しの悪いカーブにさしかかると、(そのカーブの向こうでペットを連れた人が立ち止まっているかも知れない)とか思って、アクセルを弱めます。ネットに書き込みをするとき、これを読んで傷つく人がいないかと気になります。

 

でも、その程度のことをしているからと言って、胸を張れるようなことでもありません。それは単に想像した結果の一部でしかなく、何にも気づかず、考えもせずにいることの方が圧倒的に多いと思います。とは言え、あらゆることの行きつく先を考えるなんてのも不可能なことです。

 

ただ、少しでも気になったことがあったら、ほんのわずかばかりでも見よう考えようとしてみることは、自分にとって大きな収穫に繋がるかも知れないと思います。無論、不意に何かに気がついて行動を変えることが、大失敗に繋がることもあるでしょう。でも、そうならないためにはやはり、見えていないものを見ようとする、あるいは想像することが大事だろうなと思います。

 

キリがないですね。はい。

あきることなくかんがえることの行く着く先とはそういうものかと。