一気読みの醍醐味
面白いことはわかっている。未読は何冊もある。こんなに読めるのか?という不安は、さあ、気合を込めて読むぞという決意に蹴散らされ、今日寝る時間も、明日起きてからの時間も今は考えない。体力の持つ限り、漫画の世界に没頭してやる!
そんな感じで始める漫画一気読み。読み終えた冊子を積み重ねていく度、読破感も積み重なって心地いい。そして、一冊読み終えても続きの冊子を手にできる幸せ。まだこの幸せが続くんだとワクワクする。
漫画の一気読みはそのスピード感も大きな醍醐味でしょう。小説や論説等とまた一味違います。「ページをめくる手が止まらないぜ」感ももちろんですが、「好きな漫画の山に埋もれたい」感も外せません。
頭のいい武将は誰か?
その漫画との出会いは、先輩の部屋でした。本棚にずらっと並ぶものの、背表紙をちらっと見ただけでは読んでみようという気にはなれずにいました。サイクリングや将棋、パズル、雑学、小説、科学等いろんな分野で興味関心が共通していて、これまでに幾つか記事にも登場している先輩です。
何かのきっかけから、頭のいい武将は誰かという話になったとき、「日本の武将にこだわらないなら諸葛亮孔明。」と言われました。知らないというと、この漫画を読んだらいいと紹介されたのが、ずらりと並んだ『三国志』(横山光輝)でした。三十冊ほどありました。
ただし、孔明が出てくるまでが長いとのこと。また途中から読んでも孔明のすごさはわからないとも言われ、第1巻から読み始めることに。はじめこそ、画風に馴染めずにいたのですが、壮大な夢を持って劉備、張飛、関羽の三人が桃園の誓いを立てた後は、もう夢中になってしまいました。この頃、三国志の知識は皆無で、この三人が建国を志すから三国志なのだろうと誤解していたほどです。
三国志は黄巾の乱の後に後漢が滅んだ後、魏・呉・蜀(蜀漢)の三国がせめぎ合って建国し衰退するまでを記しています。漫画『三国志』は蜀が滅亡するまでを描いています。その後、最終的には晋によって中国が再統一されることになります。西暦184年~280年の100年足らずが三国時代とされますが、その前半50年が主な舞台です。

魏・呉・蜀の三国
智将の力
先輩の家で読み始めたものの三十冊を一日で読めるはずもなく、何冊か借りて持って帰り、また本を返しに行っては続きを先輩の家で読み、また数冊借りて帰るというのを繰り返しました。何日くらいで読み終えたかは憶えていません。
策略を巡らせる話が多い上、武力で圧倒的な張飛や呂布の失敗が何とも考えが浅い風に見えて、ちょっとかわいそうな感じがもします。また、ある場面では優れた智将ぶりを発揮するのに、別の場面になるとかなり残念な指揮をしてしまう武将もいます。これは智将の威力やストーリーをわかりやすくしている面もあるのでしょう。
如何に綿密な作戦を立てられるか、それをどう上手く進めるか或いは見破るかを軸に話が進みます。そして、敵や味方の冷徹さや残酷さ、仁義の厚さ、信頼の強さ、裏切りの深さなどの要因によって厳格な信賞必罰があり、昇格、降格、死罪により次から次へと脇役が入れ替わります。
尚、漫画『三国志』は、中国の『三国志(歴史書)』に多くの脚色を加えた明時代の小説版『三国志演義』を元に、吉川英治氏が日本向けに連載した『三国志 』を基盤にした作品です。どこまでが史実でどこからが脚色なのかは知りませんが、史実を絡めた物語は壮大なロマンとして今もなお大人気です。
当時、先輩の家にあった漫画『三国志』は、赤壁の戦いを経てしばらくの後まででした。でもその赤壁の戦いは『三国志』の中でも筆頭にあがる戦いでしょう。

赤壁の戦い 火攻めのイラスト
<※ 閲覧注意 以下、ネタバレを含みます。>
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後に魏の国を建てる曹操の勢いはすさまじく、中国の北部を平定した後、南部(荊州)の制圧にとりかかります。
荊州にいたのは劉表です。曹操より先に呉の国を建てる孫権の父、孫堅に攻め入られます。苦戦を強いられながらも荊州を守り抜き、長江の南岸を制圧するなど何とか国力を維持していました。そんな中、一時曹操と味方になっていたものの、後に攻め入られて逃げていた劉備を荊州に迎え入れます。城を与えられた劉備は、そこで諸葛亮孔明を迎え入れることができたのでした。
いよいよ荊州が曹操に攻められるとなったとき、劉表は病死。跡を継いだ劉琮は曹操に降伏してしまいます。孔明は劉備にすぐ荊州を奪い返すように言いますが、劉琮を攻めることを良しとせず、逃亡の道を選びます。しかし、劉備を慕って劉琮配下や周辺の住民十数万人が集まったために逃亡は難しくなり、曹操軍に攻め込まれます。劉備軍は散り散りになった上、家族を捕虜に捕えられながらも、江夏に逃げ延びるのでした。
荊州を落とし勢いづく曹操は、続いて孫権の支配下に攻め入ろうと、長江を西から東へ下る強大な水軍を組織します。その強大さに孫権軍は怯みます。この時、孔明は劉備に孫権と同盟を結ぶことを提案。孔明は単身で孫権を訪れ、降伏論が多い家臣達を前に、同盟を結べば曹操軍を撃退できると説き伏せるのです。
諸葛亮孔明の魅力が全開する場面ですが、孫権の家臣等は、曹操から逃げ回っている劉備軍と組んでも勝てるはずがないと耳を傾けません。しかし、孔明は戦う前から敵を知ろうともせずに降伏を考えている家臣達を笑います。無駄に単に逃げ回っているのではなく、勝機を得るためのものであり、その勝機が孫権と劉備の同盟にあると迫るのです。
具体的な戦略は孫権が信頼する家臣周瑜(しゅうゆ)に反感を買わぬよう言い控えしつつ、周瑜の策を称えたり補ったり、時には周瑜の無理難題もやり遂げ信頼を得る等、その才知を発揮します。周瑜はその能力に感心しつつも、一方で後に孫権の強敵となることを恐れるようになります。
曹操の強大な水軍を破れるかどうかは、火攻めの成功にかかっていました。曹操軍に投降すると見せかけて船で接近し、船ごと火を放つというものです。ただし、風向きによっては火が曹操軍に広がらないばかりか、自軍を苦しめることになりかねません。どうしても強い東南風(たつみかぜ)が吹くことが必要でした。しかし、とても東南風を望めない季節だったのです。
孔明、命運握る東風を吹かせる
それでも準備は着々と進みます。地元の賢人により、船の苦手な曹操に揺れを減らすとの理由で、鉄鎖の陣(連環の計)を組ませることにも成功します。これは、火攻めの際に各軍船が火から逃れられないための作戦でした。また、曹操の密使も逆利用して偽の投降を曹操に信じ込ませることにも成功しました。
準備は万端、後は季節外れの東南風を吹かせるのみ。孔明は、自らが秘法を持って三日三晩の内に風を吹かせると約束し、祈りをささげる捧げる祭壇を所望します。他に手段がない孫権軍は半信半疑ながらもこれを了承、結果、孔明は見事に東南風を吹かせました。孔明は気象に通じ、この季節でも2,3日の東南風が吹くこと(後に貿易風と呼ばれる風)を知っていたのです。そして、そのまま近くに呼んでいた味方軍の船に乗って逃げます。周瑜が風を起こした孔明を恐れて殺そうとすることも読み抜いていたのです。
孫権軍は孔明を取り逃がしたものの、東南風に乗じて曹操軍に火攻めを大々的に成功させます。甚大な被害を受けた曹操軍は敗走するしかありませんでした。
孔明の先見の明
曹操の敗走する先を孔明は予測し、各地に劉備軍の武将を配置していました。読みはことごとく的中し、曹操軍は悪天候もあって壊滅的な打撃を受けました。
最後に関羽が曹操を仕留める手はずでした。しかし、関羽は曹操に恩があったので、命乞いをする曹操を見逃すだろうことまで孔明は読んでいました。結果、曹操は自国へ何とか逃げ延びることに成功します。
孔明の下に帰った関羽は首尾を報告し罰を受ける決意を述べました。孔明は、多くの家臣の前で関羽に死罪を与えようとしますが、劉備がそれをやめさせます。仁義を重んじる関羽を皆が慕っていたので、誰かがそれを止めるだろうことも読んで上でのことだったのです。また、関羽には曹操から受けた恩は十分に返したことができた上、より一層の忠義を誓うのでした。
赤壁の戦いを振り返ると、一番の立役者が孔明であることは揺るがないでしょう。知識・判断力・行動力どれをとっても、非の付け所がありません。孔明が名将である所以です。
他を圧倒する知識
赤壁の戦いでは他の誰も知らない(気づけない)重要な情報を孔明は二つ持っていました。孫権と同盟を結ぶ前から得ていたからこそ、孫権軍の降伏論を論破できたのでしょう。
東南風
第一に、この季節この地域で東南風が吹くことを知っていたことが大きいでしょう。赤壁の戦いの流れを見ると、孔明が東南風のことを知らぬまま火攻めの戦略を立てたとは考えづらいです。となれば、孫権と会うより先に、ある程度の戦略を練っていたと思われます。
曹操の水軍の実情
孔明は、荊州が曹操軍に降伏した経緯を知った上で、一時は劉備に荊州を落とすことを進言した程です。進軍に進軍を重ねた曹操軍が疲弊していること、また強大な水軍とはいえ、荊州の水軍を吸収したばかりで多くの兵が曹操に心服していないことも知っていました。数では圧倒的に劣っていても、精鋭された孫権軍、劉備軍の水軍で勝てると考えていたのでしょう。さらに曹操が川の上での戦いにも船の揺れにも不慣れなことも承知。曹操軍に疫病が流行っていたとの情報も得ていたようです。
敵と味方の力と時期を見極める判断力
いくら豊富な知識があっても、それを活かすタイミングを間違えれば失敗します。孔明が他の智将と一番違うのは、引き際を的確に判断できる点だと思います。無理な深追いをしない、機を逸した時の判断が素早く機転も利きます、また、いつ誰にどんな進言をするとよいか、あるいは取り下げるとよいかも見抜いていました。
主君劉備に荊州を奪い返すように進言しても受け入れられなかったとき、主君の意を尊重しそれ以上のことは言いません。関羽の死罪も劉備の一言で許します。自らが言い過ぎることがあっても、誰かが意見を挟むことを見抜いた上でのことです。
相手の能力をつかむ力にも長け、考えの深い者には注意深く、浅い者には一気に論破する、そうした判断力も備えていたので、誰もが孔明の手の平で操られているかのようです。
知識と判断力に支えられた行動力
孔明には知識と判断力に加えて、機を逃さず人心を掌握した行動力があります。
孫権と同盟を結ばんがため、多くの家臣の不戦論を完膚無きほどまで論破しますが、開戦論にある君主孫権には開戦を迫りません。じれったくなった孫権は、劉備になぜ降伏を勧めないのかと孔明に問います。すると、曹操ごときを相手に降伏を勧めたなら即刻首を跳ねられると答えます。裏を返せば、曹操を恐れて降伏するのはそれほど愚かだという訳です。さらに返せば、遠回しに降伏か開戦かで悩む孫権は愚かと言っているようなもの。場合によってはその場で首を跳ねられることもあり得た発言です。この言葉を最後まで聞かずに一度は腹を立てて部屋を出た孫権でしたが、孔明に降伏しないですむ策があると知って、改めてそれを聞き、大きく開戦に傾くのです。
強く出過ぎても、弱く押しても事の成立が難しい場面で、その間の細い道を敢然と進み事を為す行動力。
関羽に死罪を命じた際も、周りの者が驚くほどの厳しい態度でした。優しい態度では規律が廃り、厳し過ぎれば人心が離れる場面。君主劉備が許しを乞い、それを受け入れたがために規律を守った上で忠義を深めることができたのです。
こうした的確な行動力は、豊富な知識と的を射た判断力に裏付けられたものであったでしょうし、それが諸葛亮孔明の魅力だと思います。
漫画『三国志』の魅力
漫画『三国志』は史実を絡めた壮大な作り話です。場面によっては、かなり盛った内容ですし、同じ武将とは思えないほどの優秀さと無能さが入れ替わります。すべてを真に受けるわけにはいきません。
それでも、一つの知識の有無が戦局を左右することや、一つ一つのことに注意しながらも大局を見ること、人物や事件の過大評価も過小評価も失敗に繋がること、それを踏まえた行動が成功につながっていくこと等、学べることは多いです。
漫画『三国志』を作り話として楽しむのもありですが、一歩踏み込んで史実と関わらせて読むと、歴史が一個人のちょっと思いつきや、わずかな一言でも動くと気づけるでしょう。それは現代にも通じる話です。
テレビのニュースで聞いた誰かの一言で社会や未来が変わるかも知れない、或いは些細な出来事から世の大勢が動くかも知れない、そんなワクワクを『三国志」は教えてくれている気がするのです。
今週のお題「一気読みした漫画」
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<余談 『三国志』を詳しく知るために>
下調べをしていると、吉川氏の『三国志』を詳しく知ることができるサイトを見つけました。とても参考になったのでここに紹介しておきます。
かぶらがわさんが運営する「今日も三国志日和 史実と創作からみる三国志の世界」から「吉川『三国志』の考察」です。詳しくて面白いです。
sangokushi-biyori.com
白状します。つい読み込んでしまって記事作成が遅くなりました。
tn198403s 高校時代blog の漫画関連記事を紹介しておきます。
tn198403s.hatenablog.jp
tn198403s.hatenablog.jp